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この怪異は誰のもの?  作者: イゼオ
第九章 あやかしのサガ
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あやかしのサガ⑲

 いさなが青葉あおばを斬った。速すぎてよくわからなかったが、氷魚の目にはそう映った。

 よろめいた青葉が仰向けに倒れる。

 しかし、血だまりは広がらないし、青葉が塵のようになって消えたりもしなかった。よく見れば、青葉は出血していないようだ。

「峰打ちだね。といっても、あの速さなら骨の1本や2本は折れたんじゃないかな」

 呑気な口調で道隆みちたかが言った。

 しかし、今はそれよりも――

「いさなさん!」

 氷魚ひおはいさなに駆け寄った。背中に怪我をしているとは思えないほどの見事な所作で納刀したいさなは、その場に膝をつく。

「ああ、氷魚くん。心配かけちゃって、ごめんね」

 弱々しく笑ういさなの顔色は、蒼白だった。

 剣道着は血で染まっている。無数の切り傷に、何よりひどいのは背中の傷だ。痛ましくて、直視できない。

 鎧武者と戦った時とは比べ物にならない怪我だった。いさなはこのまま死んでしまうのではないかと思う。

 それは、怪異に遭遇するよりもずっとずっと恐ろしい想像だった。

「道隆さんっ! 手当てを」

 焦燥に駆られて、声が裏返った。

「そうか。いさなが絡むと、氷魚くんも冷静さを失うんだな」

 のんびりとした足取りでやってきた道隆は、そう言ってポケットに手を入れた。

「焦るに決まってるじゃないですか!」

「大丈夫。この子は、これ以上の修羅場をいくつも経験してるからね」

 道隆は、作務衣のポケットから手のひらほどの大きさの容器を取り出す。

「少し痛むよ」

 蓋を開け、中の軟膏を乱暴とも思える手つきでいさなの背中に塗り付ける。

「――ぅっ!」

 いさなが声にならない悲鳴を上げた。氷魚は自分のことのように身をすくめる。

鎌鼬かまいたちに付けられた傷は、鎌鼬の薬を使うのが一番いいんだけど、まあ、これでも効くだろう。後で包帯を巻こうか」

「……ありがとう、兄さん。それより」

「ああ、わかってるよ」

 道隆は口の中で低く呪文のような言葉を囁いた。

 道場の壁に貼られた護符が輝き出し、薄い光の幕が周囲を覆っていく。

「これでよし。しばらく、青葉さんはここにいてもらおう。明らかに精神を汚染されていたからね」

「兄さんは診られない? 言霊魔術っぽいけど」

 青葉の様子がおかしかったのは、魔術のせいだったらしい。

 そう考えると、中条なかじょうも誘導された節がある。春夜は、人やあやかしの負の感情を揺さぶるような魔術が使えるのだろうか。

「僕じゃ無理だと思う。専門家を呼ぼう。きみも背中の傷を診てもらうといい」

「わかった」

 うなずいて、いさなは立ち上がろうとする、が。

「――っと」

 途中でよろめいたので、氷魚は慌てて支えた。

「ごめん。ありがとう」

「部屋までおぶっていきます」

 氷魚が断固とした口調で言うと、いさなは目を丸くした。

「……え?」

「それとも、お姫様抱っこの方がいいですか?」

 ついこの前、かなでにも同じ提案をしたなと思う。そういう巡りあわせなのだろうか。

「冗談――じゃないね。その顔。ええと、そうじゃなくてね。ほら、血がついちゃうし」

 いさなは氷魚から身を離し、ぶんぶんと勢いよく手を振る。傷口が開かないか心配になる。

「そんなの気にしません。元はといえばおれのせいですし」

 途中でいさなが青葉に背中を見せたのは、おそらく氷魚をかばうためだ。そのせいで切られてしまった。

 青葉が言っていた通り、氷魚がいなければ、いさなはあのまま勝っていたに違いない。

「……氷魚くんのせいじゃないよ」

「いいじゃねえか。連れて行ってもらえよ」

 いさなの影から顔を出した凍月いてづきが言った。

「僕は手当の準備をしておく。氷魚くん、いさなを頼んだよ」

「あ、ちょ、ちょっと兄さん!」

 道隆はなぜか親指を立てると、道場を出ていった。

「そういうわけなので」

 氷魚はいさなに背中を向け、かがみこむ。

「――言っとくけど、わたしはそんなに軽くないよ」

 諦めたようないさなの声が聞こえてきた。

「大丈夫です」

 ここ数ヶ月、体力をつけるための筋トレは欠かしていない。問題ないはずだ。

「じゃあ、お願いします」

 いさながおぶさってくる。落とさないように抑えつつ、氷魚は立ち上がった。

 ――あれ?

 いくらなんでも羽毛のように軽いとは思っていなかったが、意外と、なんというか、マイルドに表現すれば、リアルな重みがあった。

 考えてみれば、いさなの身長は170ちょっとある氷魚とさほど変わらない。ほっそりしているが、体重もそれ相応なのだろう。

 だが、背負って歩けないほどではない。

 なるべく揺れないように気をつけつつ、氷魚は道場を出た。

 結界のことが頭をよぎったが、問題なく抜けられる。凍月はいさなの影に入っているから大丈夫なのだろう。

 にしても――

 下心など微塵もなかったのだが、背中に当たる柔らかい感触が気になって仕方ない。無視できないのは男のサガだろう。

「氷魚くんの背中、結構大きいんだね」

 急に声をかけられて、氷魚はどきりとした。

「いさなさんは、軽いんですね」

 焦ったからか、つい、口が滑った。

「ホントに?」

 氷魚は言葉に詰まる。

 この場合、どう答えるのが正解なのだろう。

「――そ、それなりに」

 一拍、間を置いて言う。

「だよね……」

 いさなの声が露骨に沈んだ。しくじったかもしれない。

「そりゃ、毎日あんだけ食ってりゃな」

 凍月が茶化すように言った。

「食べた分はきっちり魔力で使ってるから」といさなが反論する。

「そういうことにしとくか」

「そうなの!」

 氷魚は思わず笑ってしまった。いさなも背中で笑っている気配がある。

 凍月に感謝だ。

 そうして、そんなやり取りをしているうちに、屋敷に入った。

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― 新着の感想 ―
[一言] うーんやはりこの二人がベストカップルなのか、凄まじい剣の技量を持ちその在り方はまさしく明鏡止水!....かと思いきや、その実少し、いやかなり嫉妬しいないさな氏、そして数々の怪異に巻き込まれ、…
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