あやかしのサガ⑱
「凍月、手出しは無用だよ」
戦いは避けられない。青葉は、剣術のみで勝たねば納得しないだろう。
「承知」
凍月もわかっていたようで、文句ひとつ言わず影に溶けて消えた。
ゆらり、と青葉の身体が動いた次の瞬間、いさなは首筋に寒気を感じた。
身を低くしつつ、旋転。さきほどまでいさなの首があった場所を、逆さまになった青葉が振るった刃が通り過ぎていく。瞬時にいさなを飛び越したらしい。
いさなは旋転の勢いを利用し、青葉の伸びきった腕を狙って刀を振り上げる。空中で身をよじった青葉は、人にはありえない体勢で斬撃を躱してみせた。
そうして着地するなり、今度は真っ向から切りつけてくる。
胴体狙いの斬撃を刃で受け止め、弾く。かすかな隙ができた。
返す刀で、いさなは刃の付け根目がけて斬りつける。切っ先が青葉の腕を浅く切り裂いた。つうと赤い血が流れ出る。
しかし青葉は止まらない。お返しとばかりに、矢継ぎ早の連撃が嵐のように襲い来る。
――やはり、速い。
瞬き1つが致命傷に繋がる。
速度だけでいうなら、青葉はいさなが今まで戦った相手の中で一番だ。
斬撃のすべてを無傷で防ぎきることなど到底できず、いくつかが身体をかすめていく。まだ動きが制限されるほどではないが、出血は確実にいさなの体力を奪う。長引けば長引くほど、戦況はまずくなる。
圧倒的な身体能力の差を、嫌というほど思い知らされる。
あやかしと相対した時はいつもこうだ。人の常識など軽々と飛び越えていく。
だが、戦えないわけではない。速度で劣るなら、技で補えばいい。
青葉の息遣い、視線、そして思考。一挙手一投足から、次にどこに刃が来るかを予想し、こちらの刃を先回りさせる。
青葉の斬撃は癖がなく、素直だ。フェイントがないので、読みやすい。一手ごとに、いさなは着実に詰めまでの手順を計算していく。
おかしい。何かの間違いではないのか。
青葉の当初の予定では、数合切り結ぶ暇もなく、目の前の小娘の首が道場の床に転がっているはずだった。
なのに、相手は数か所の怪我こそ負ってはいるが、まだぴんぴんしている。こちらを見透かすような冷徹な目が憎らしく、本気で切りかかるも、やはり躱されてしまう。
正面、側面、時には背面、休む暇など与えるものかと放った無数の斬撃は、しかしすべて読み切られる。身体能力は明らかにこちらが勝っているのに、人の身でさばききれるのが信じられない。
春夜は、いさなは間に合わせの影無だと言っていた。恐れるに足りないと。
なのに、どうだ。
大妖凍月の力も借りず、魔術も異能も使えないのに、あやかしである青葉と渡り合っている。
あやかしと人の力の差は、魔術をもってしても簡単に埋められるものではないはずなのに。
どうして。
自分は鎌鼬だ。切るあやかしなのだ。
人などひとたまりもない必殺の斬撃が、なぜ当たらない。
「このっ、なんで当たらないんですか!」
焦れたのか、青葉が強引に踏み込んできた。
好機。
視線で思考を誘導し、斬撃を躱しざま、左ひざの側面を足刀で打つ。
意識が逸れた瞬間を狙い、いさなは刀を逆手に持ち替え、柄頭を青葉の鳩尾に突き入れた。
「あぐっ……」
青葉が前のめりになる。間髪入れず、掌底で下から顎を打ち抜く。鈍い音がして、青葉はのけぞった。
斬りこもうと一歩を踏み出すが、青葉はトンボを切って大きく距離を取った。
顎をさすり、いさなを憎々し気に睨みつける。
「バカにしているのですか。突き入れたのが切っ先だったら終わっていたでしょうに」
「あなたの命を奪うのは本意ではないので」
できれば今の掌底で気絶してほしかったのだが、さすがにタフだ。
「――そうですか。だったら」
青葉はいさなの背後に視線を向ける。後ろにいるのは、氷魚。
「奪いたくなるようにしてあげますよ」
青葉が斜めに一歩踏み出す。意図は明白だった。
――させない。氷魚くんの前で迎撃する。
動きを先読みしたいさなは、青葉の進行方向を予想し、身を投げ出すように突進する。
刹那、背中に灼熱のような痛みが走った。
「本当にいい子ですね。あなたは」
あざけるような声に振り向けば、さきほどの位置から動いていない青葉がいた。腕の刃から血が滴っている。
背中に手をやると、ぬるりとした感触がある。戻した手には、べったりと血が付着していた。
「そんなにあの少年が大切ですか。襲う気配をにおわせただけなのに、ひどく簡単に引っかかりましたね」
ぐうの音も出ない。道隆に任せるという選択肢もあったのに、身体が勝手に動いていた。
いさなは無言で血をぬぐった。
「しかし、解せません。あなた1人なら勝機もあったはずなのに、なんでわざわざ足手まといを連れてきたんですか。大切なら、遠ざけておけばいいのに」
今や、背中の傷は立っているのもつらいほどの激痛をもたらしている。
口を開く労力すら惜しかったが、これだけは言わねばならない。
「氷魚くんは、足手まといなんかじゃない」
自分が証明する。そのためにも、青葉に勝たなくてはいけない。
「だったら、何ですか?」
いさなはそれには答えず、静かに納刀する。
「あら、命乞いのつもりですか。無駄ですよ」
右手を柄にかけたまま、腰を落とす。
「居合? まさか、その状態で、私と速度比べでもしようと?」」
視線をひたと青葉に固定する。意識は深く、刀と一体になるように集中する。
「――いいでしょう。ご自慢の技を披露する暇もなく、そっ首を刎ねてあげます」
青葉は唇の端を持ち上げ、刃を前に向けた。
一切の音が消える。
迎え撃つつもりはない。こちらから行く。
道場の床を蹴り、いさなは一気に踏み込んだ。
予想外の行動だったのか、青葉は驚いたように目を見開き、それから刃を振るう。
――遅い。
抜刀。
きん、と済んだ音が響き渡った。
真っ二つに折れた青葉の刃がくるくると回転し、道場の床に突き刺さる。
「うそ……」
呆気に取られたように目を見開く青葉に向け、抜刀の勢いはそのままに、いさなは刀を振るった。




