あやかしのサガ⑰
「残念。初太刀で首を刎ねるつもりでしたのに」
さらりと恐ろしいことを言って、青葉は優雅に微笑んだ。
「青葉さん。あなたでしたか」
いさなは鞘を腰紐にねじ込み、刀を正眼に構える。
来るとわかっていたから対応できたが、不意を突かれていたらどうなっていたかわからない。それほどまでに、青葉の刃は速かった。
「あまり、驚いてはくれないのですね」
青葉は笑みを絶やさず、小首をかしげる。一見、正気のようだが――
「来るのは、あなた方の誰かだと考えていましたから」
刀の切っ先を青葉に向けたまま、いさなは言う。
「小町も疑っていた?」
「はい」
「まあ、怖い人」
青葉はたおやかな仕草で唇に手を当てた。腕から生えた、死神の持つ鎌を思わせる刃が不気味に光る。
「一番疑わしいのは、白鷹さんでしたけどね」
雰囲気もそうだが、殺気めいたものも感じたのだ。元々、彼は人間があまり好きではないのかもしれない。
「あの子はよく誤解されますからね。もう少し愛想よくするように、普段から言い聞かせているのですが」
「弓張さんを襲ったのも、あなたですか」
「そうです」
拍子抜けするくらい、あっさりと青葉は認めた。
「春夜の差し金ですね」
アプリで情報を得た春夜があらかじめ人払いの魔術を使い、青葉が襲撃を担当したと考えれば筋が通る。ふたりの犯行だったのだ。
「差し金、と言えるかどうかはわかりませんが、彼が私に助言をくれたのは確かです」
「助言?」
「ええ。もっと自分の欲求に素直になったら良い、と。あの女の子、中条さんも同じでしょう。だからアプリを使った。いい子を続けるのは大変ですものね」
青葉は、自嘲するように喉の奥でくっと笑う。
いい子とは、中条だけではなく、青葉のことも差しているのではないか。
いさなの目には、青葉はいい姉のように映っていた。しかしそれは、彼女の本意ではなかったのだろうか。
青葉は、いい姉を続けるのがつらかったのだろうか。
「春夜さんは不思議な人ですね。言葉に力がある。おかげで、楽になりました」
「あなたの欲求とは?」
いさなが問うと、青葉の目がぎらりと輝いた。
「人を切ること」
言って、青葉はなまめかしい手つきで自身の刃を撫でる。
「弓張奏は半妖でしたけどね。最初、春夜さんは教えてくれませんでしたし。まあでも、いいです。あなたを1人目にします」
つまり、青葉はこれまで人を殺めたことがない――
ならばまだ、取り返しはつく。
「私、人の髪を切ることでどうにか誤魔化していたけど、本当は、ずっとずっと我慢していたんです。私は、人を切り刻みたい。腕を、足を、首を」
熱に浮かされたように青葉は言う。
「それはあなたの本心ではないでしょう。春夜の言葉に惑わされているだけです」
青葉は明らかに正気ではない。何らかの誘導を受けているのは確実だ。
「言霊魔術かもな」と凍月が呟いた。
言の葉に魔力を乗せる魔術だ。使い手は限られるらしいが、器用な春夜ならば習得していてもおかしくはない。
「いいえ、魔術なんかに惑わされてはいません。本心ですよ。だって、鎌鼬ですから。人を切りたいと願うのは、私のあやかしのサガです」
「あやかしの、サガ……」
「我慢するのはもううんざり。なんで私たちが人に混じって暮らさなければいけないんですか。どうして人に気を遣わなければいけないんですか。規律でがんじがらめにされているのは、人間だけで十分でしょう」
「だからって、人を傷つけていい理由にはならない」
「優等生の答えですね。あなたもいい子なのかしら。――行き場のなくなった気持ちを爆発させる人間なんて珍しくもない。テレビをつければその手のニュースであふれている。不寛容な人間が増え、弱い人間や適応できない人間は自己責任の言葉と共に社会の網から取りこぼされる。そんな、人が生きにくい世の中に放り込まれたあやかしが、人と同じように破裂するのは無理もないと思いませんか」
「だとしても――」
それでは負の連鎖だ。どこかで食い止めなくてはいけない。
社会の枠組みを変えるほどの力は自分にはない。だが、今まさに道を踏み外そうとしているあやかしを止めることはできるはずだ。
「私は、私たちの住処を奪っておいて、のうのうと生きている人間たちが憎い。だから切って、切って切って切って、人間どもを血の海に沈めてやるんです」
青葉の憎しみの根源はそれかと思う。
人間社会に溶けこんで暮らしているあやかしの中には、元の住処を奪われたものもいる。表向きは波風立てないように日常生活を送っていても、心の中では人のことをどう思っているかはわからない。
怒りや憎しみを募らせるあやかしだっているはずだ。一方的に住処を奪われたのだから、怒るのは当然の権利だ。一体誰が責めることができるだろう。
だが、それでも――
「あなたの気持ちはよくわかりました。ですが、そのために人を殺めるというのなら、わたしはあなたを止めねばなりません」
人とあやかしが共に歩む道を守る。自分たちのような人間は、そのためにいるのだ。
「あなたにできますか。春夜さんから聞いていますよ。遠見塚いさなには、剣術以外に何もないと」
いさなは思わず苦笑した。春夜は、いさなに剣で負けたことがよほど悔しかったに違いない。
「いかにも春夜が言いそうなことですね。昔と、ちっとも変わっていない」
「でも、事実なのでしょう?」
「違います。剣術しか取り柄がないのは確かですが、他に何もないわけではない」
いさなは足元の凍月をちらと見て、それから道場の片隅でこちらを見つめている氷魚と道隆に視線を移す。
氷魚と目が合った。確かな信頼を感じさせるまなざしに、胸の奥が温かくなる。
「わたしは、1人ではないから」
怪異が汚れたものである場合を考え、気配を察知してもらうため、氷魚に来てくれるように頼んだ。
だが、それは表向きの理由だ。
自分は、氷魚がいてくれた方が力を発揮できる。原理はよくわからないけど、氷魚にはそういう力があるのかもしれない。それは魔術ではなく、特別な異能でもない。
自分が振るう刀より、よほど強い力だといさなは思う。
氷魚を呼んだのは、だから自分のわがままだ。
絶対に守り抜かなくてはいけない。その思いが、更にいさなに力を与える。
「あなただって、そうでしょう。青葉さん」
白鷹が、そして小町がいるのだ。青葉はひとりではない。それを思い出してくれれば、あるいは戦わなくても済むかもしれない。
しかし、甘い期待だった。
青葉は笑みを消し、刃の切っ先をいさなに向ける。
「あなたの首を刎ねた時の、彼らの反応が楽しみになりました」




