あやかしのサガ⑭
「中条さん」
氷魚は、ホームルームが終わるなり鞄をつかんで即座に帰ろうとする中条に声をかけた。
「なに?」
無視するわけにもいかなかったのか、中条は固い声を出す。やはり氷魚と目を合わせようとしない。
「遠見塚先輩が、話があるって。今から、いいかな?」
「……内容は?」
いかにも恐る恐るといった様子で中条が問う。
「事件について」
氷魚がそう言った次の瞬間、中条の顔に浮かんだのは、恐怖と安堵が入り混じったような表情だった。
それから中条は奏の席に目を向ける。奏はクラスメイト達と歓談していた。
この教室では珍しくない光景だ。奏の周りには常に誰かいる。奏はただそこにいるだけで、人を惹きつける。眩いばかりの存在感は、しかしそれだけ反発も強いのかもしれない。
「弓張さんは、一緒に?」
氷魚は首を横に振った。
「先輩とおれだけだよ。場所は、部室じゃなくて屋上に続く階段の踊り場。おれは先に行ってるから」
言って、氷魚は立ち上がった。
そのまま振り返らずに教室を出て、踊り場に向かう。
踊り場には、すでにいさながいた。
「声をかけてきました」
「ありがとう。一緒には来なかったんだね」
「そうですね」
朝の行動からして、中条は氷魚と一緒に教室を出るのを避けていた。妙な噂を立てられたくないのだろう。相も変わらず、教室で浮いている氷魚とできるだけ関わりたくないのは理解できる。
そういうわけで、先に来たのだが、今になって中条が来なかったらどうしようと思う。
来なかったら来なかったで、怪しさは増すのだが――
しかしほどなくして、中条は姿を現した。
踊り場のいさなと氷魚に気づいた中条は、ある種の覚悟を感じさせる目で、一歩一歩階段を上ってくる。
「中条さん、来てくれてありがとう」
いさなが微笑みかけるが、中条の固い表情は崩れない。
「話って、なんでしょうか。事件についてと聞きましたが、わたしから話せることは特にありませんよ」
「そうだね。まずわたしが話す」
いさなは壁から背を離し、中条に向き直った。
「もうちょっと落ちついてから言うつもりだったんだけど、中条さんの髪を切った怪異は、わたしたちが諫めたよ」
その言葉を聞いた中条は、目を大きく見開いた。
「……え?」
あらかじめ打ち合わせをしていたので、氷魚は冷静に中条の様子を探ることができた。中条が浮かべる驚愕の表情は、紛れもない本物のように見える。
「だからもう、新しい被害者は出ないはずだったんだけど」
「でも、じゃあ、弓張さんの髪は」
「うん。彼女の髪は切られてしまった。怪異に」
「……」
「今回の怪異には、前回の怪異には見られなかった特徴がある。何だと思う?」
「……そんなの、わたしにわかるはずないじゃないですか」
中条は首を振る。いさなは自分の首を指さして見せた。
「わかると思うよ。弓張さんの首に巻かれた包帯、見たよね」
「見ました、けど……」
「弓張さんは髪ごと首を切られたの。制服がだめになったのも、そのせい」
「……う、ぁ」
その場面を想像したのか、口を押さえた中条が小さくうめく。
「不幸中の幸いで、大事には至らなかったけどね。下手したら大惨事になってた」
「死んでいたかもしれない……?」
「ええ。今回の怪異には、明確に弓張さんを傷つけようとする害意があった。弓張さんが狙われたのは、偶然ではないと思う。もしかしたら、人間が関わっているかもしれない」
「――誰かの意思が裏にあったと? 弓張さんを傷つけたいと?」
いさなはその質問には答えなかった。代わりに氷魚が口を開く。
「1つ、確認したいことがあるんだ。さっき、中条さんは『弓張さんの髪が短くなった理由』を知りたがっていたよね」
さきほどの引っかかりだ。中条のこの言い方は、どうしたって違和感がぬぐえない。
「……ええ、そうだけど」
「なんで?」
「なんでって、それは」
「『髪を切った理由』ならわかる。でも、なんで『髪が短くなった理由』なの?」
氷魚が重ねて問うと、中条は黙りこんだ。
「中条さん、髪を切られた弓張さんが登校してきた日、青ざめていたよね。あの時点で、弓張さんの髪が『切られた』ことを確信したんじゃないかな」
思い返せば、すでに中条の様子はおかしかったのだ。髪を切ったクラスメイトを見た時の反応にしては、過敏過ぎた。
いさなが再び口を開く。
「でも、どうやって切られたかは、中条さんにもわからなかった。ストレートに聞くわけにもいかず、だから曖昧な言い方になった。違う?」
「わたしは……」
中条の肩は、小刻みに震えていた。この反応、もはや事件への関与は明らかだ。
2人がかりでの追及は正直、気が進まないが、真相は解き明かさなくてはいけない。小町のためにも、奏のためにも、中条のためにも。
中条は顔を上げ、いさなを睨みつけた。
「そもそも、遠見塚の人がわたしにくれたんですよ」
そう言って、開き直ったような薄ら笑いを浮かべる。
「――遠見塚?」
「はい。あの男の人、そう言ってました。自分は遠見塚の人間だって。先輩とは正反対の生き方をしてるって。端正な顔立ちをしていたけど、妙に存在感がない人でした」
しばし呆然としていたいさなは、唇を噛む。「春夜」という小さなうめき声が聞こえてきた。
その可能性は、考えてはいた。だが、実際に春夜が関わっていたと知って、氷魚の胸中に暗いものが広がっていく。




