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この怪異は誰のもの?  作者: イゼオ
第九章 あやかしのサガ
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あやかしのサガ⑪

 いさなの後に続き、マンションを出た氷魚ひおは思う。

 かなでが巻き込まれた事件は、今までの髪切り事件とはわけが違う。首を切られるなんて、被害者が奏じゃなかったら、おそらく命を落としていたはずだ。

 殺人、という単語が頭をよぎる。鳴城で殺人事件なんて、滅多に起こらない。少なくとも、氷魚が知っている事件はない。

 なのに――

 胸がざわつく。

 一体、鳴城で何が起きているのだろう。

「この辺りだね」

 先行していたいさなが足を止めたので、氷魚も立ち止まった。

 夕暮れの中を、親子連れや、制服姿の生徒たちがちらほら歩いている。

 鳴城のあちこちでよく見かける、日常の光景だった。

 しかし、昨日はここで奏が首を切られたのだ。その事実にぞっとする。つい想像してしまった血だまりに倒れ伏す奏の姿は、悪夢以外の何物でもない。本当に、生きていてくれてよかった。

 いさなと氷魚は、通行人の邪魔にならないよう、道の端に移動する。

弓張ゆみはりさんが言っていた通り、血の跡は見当たりませんね」

凍月いてづき、どう?」

 いさなが小声で尋ねる。

「血の匂いがかすかに残っている。微弱だが、妖気も」

 姿を消して氷魚の肩に乗っている凍月が言った。

「ってことは、あやかしの仕業でしょうか」

 氷魚が言うと、いさなは顎に手を当てる。

「どうかな。人の魔術師が関わっている可能性もあるし」

 短絡的な思い込みや先入観は禁物、ということか。

 ただでさえ正体不明の怪異に魔術が絡むとなると、自分ではお手上げかもしれない。だが、だからといって考えるのをやめるわけにはいかなかった。小町の潔白がかかっているのだ。

「そうだ。妖気であやかしの種類を特定できないんですか?」

 小町ではないとわかるだけでも大きいのだが。

「無理だな。残留している微弱なものじゃ、俺には区別がつかん」

「そうですか……」

 どうやら、そう都合よくはいかないらしい。

「今日は引き上げましょうか」

 いさなは周囲を見渡し、そう言った。

「もういいんですか?」

「見通しが悪くないってことを確認できただけで充分かな。今のところはね」

 氷魚の目には手がかりは何もなさそうに映ったが、いさなは違ったのかもしれない。

「なんだ小僧。まだいさなと一緒にいたいのか」

「そうですね。2人で調査するって、久しぶりな気がしますし」

「俺は?」

「もちろん凍月さんもです。ね、いさなさん?」

「……そうだね」

 氷魚が視線を向けると、いさなは慌てたように目を逸らした。

「――?」

 どうしたのだろう。氷魚が首をかしげると、凍月はくつくつと笑った。

「よかったな、いさな。小僧の関心は薄れてないみたいだぞ」

「関心?」

「いいから行くよ」

 そっけなく言って、いさなはさっさと歩きだしてしまう。

「あ、いさなさん。待ってくださいよ」


 氷魚といさなはマンションの駐輪場に戻り、自転車のロックを外す。自転車のサドルにまたがったいさなは、どうしたわけか、すぐに自転車から降りた。

「少し、歩こうか」

「いいですよ」

 帰り道は途中まで一緒だ。

 ゆったりとした歩調のいさなに合わせ、氷魚は自転車を押しながらのんびり歩く。

「いさなさんは、今回の件をどう考えてるんですか」

 氷魚が問うと、いさなは少し考えてから、

「氷魚くんは、小町こまちを信じてるんだよね」と言った。

「はい。感情的にっていうのもありますけど、今回のは、以前の小町のやり方とあまりにも違うと思うんです」

 さっきは落ち着いて考えられなかったが、今なら大丈夫だ。

「具体的には?」

「まず、魔術。魔術が使えるなら、最初から使っていたはずです。けど、小町は人の少ない時間帯と道を慎重に選んでいた。魔術が使えることを隠すカモフラージュだったとしても、まどっろこしすぎます」

「そうだね。他には?」

「動機です。小町には弓張さんを強引に狙う理由がない。凍月さんは髪のきれいさを理由に上げてましたけど、居候先の家主を狙うって、不自然だと思います。しかも弓張さんはダンピールで、一筋縄ではいかない。どうしても髪を切るのが我慢できないのなら、こっそり出かけて別な人を狙った方が楽ですよね」

「どうかな。動機に関しては、なんとも言えないよ。氷魚くんの推理は、『弓張さんが誰にも恨みを買っていないこと』を前提としているからね。わたしたちが知らないところで、小町が弓張さんを恨んでいるかもしれないし。まあ、小町に限った話ではないけど」

「それは……」

「弓張さんは魔導具の眼鏡をかけていたにも関わらず、狙われた。通り魔的犯行とは考えにくい。強い執着があったか、あるいは恨みがあったか」

 そう言われると、ぐうの音も出ない。無意識に考えることを避けていたのを見透かされた気がした。

「――ごめん。意地悪だったね。わたしも、小町を信じたいけど」

「立場上、疑わざるを得ないんですよね」

 いさなは感情で動くわけにはいかないのだ。信じたいから信じるでは、通用しないのだろう。考えたくないことも考えなくてはいけない。

「幻滅した?」

「まさか。逆ですよ。尊敬します」

「……尊敬って、どうして」

「だって、親しくなった人にああいうことを訊くのって、とてもつらいですよね。でも、いさなさんは逃げなかった。疑いたくないのに、疑うようなことを言った」

「買いかぶりすぎ」

 いさなは、困ったように笑った。

「小僧は、この界隈じゃ長生きできねえな」

 姿を消したまま、まだ氷魚の肩に乗っている凍月が言った。

「かもしれないですね」

「なあ小僧」

「なんですか」

「おまえは、誰かを疑って長生きするのと、誰かを信じて早死にするの、どっちがいい?」

 難しいことを訊くなあと思う。そして、ちょっと意地の悪い質問だ。

「どちらかと言えば前者ですね。できるかどうかは別として、ですが」

「へえ、てっきり後者を選ぶと思ったぜ」

 少し前の自分だったら、さほど迷わず後者を選んでいたかもしれない。

 以前の自分は、家族に迷惑はかけたくないと思いつつも、己の命にはあまり頓着していない節があった。

 一度拾った命なのだからという思いが、胸のどこかにあったからかもしれない。だからこそ、怪異に出くわした際に後先構わない無茶ができたのだろう。

 でも、今は違う。死にたくないと思う。

「早死にしたら家族を悲しませるし、それに……」

 氷魚は隣を歩くいさなを横目で見る。

 どきりとした。

 いさなが真剣な目で、こちらを見つめていた。

「それに?」と、いさなが続きを促す。

「――その、周りの人も、悲しませてしまうので」

「そうだね。氷魚くんが死んだら、わたしは悲しい」

「おれもですよ」

「――?」

「いさなさんが死んだら、おれは悲しいです」

「そっか。――うん。なるべく、死なないようにする」

「おまえら、もうちょっと言いようがあるだろうが」

 凍月が嘆息する。いさなはふんわりと笑った。

「いいんだよ。わたしたちは、これで」

「ですね」

 氷魚は前に向き直る。

 夕暮れの中、2つの影法師が淡く伸びていた。



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