あやかしのサガ⑩
「凍月さん、最初からそのつもりで……」
「ちげえよ。俺はおまえみたいにお人好しじゃないからな」
顔を背けた凍月はうるさそうに前足を振る。
凍月が小町をある程度疑っているのは本当だと思う。でも、それ以上に、やっていないと信じたいのではないか。
「台風娘への疑いだって捨てちゃいねえ。――ただ、人払いの魔術が使われたかもしれないってのは気にかかってる。台風娘が魔術を使うとは考えにくいからな」
そこは氷魚も気にかかっていた。いつもは人がいる時間帯に、誰もいなかったと奏は言っていた。いくらなんでも不自然だ。魔術が使われた可能性は大いにある。
「バカにして。……使えないけど」
小町が頬を膨らませる。
「魔術って、あやかしも使うんですか?」
なんとなく、魔術は人が使う『技術』というイメージがあった。
「ああ。人間じゃ到底扱えないような魔術を使うやつもいるぜ」
「それ、鬼に金棒ですね」
「言い得て妙だな」
「聞き取りを続けてもいいかな」
いさながやんわりと言った。
「は、はい。邪魔をしてすみませんでした」
「いいよ。訊きたいことをいくつか訊いてくれたし」
微笑んだいさなは、すぐに表情を改めた。
「じゃあ、これが最後の質問。青葉さんと白鷹さんは、今回の件に関わっていると思う?」
改めて意識する。青葉と白鷹も鎌鼬――切る妖怪だ。
「2人は無関係だよ。絶対に」
いさなを睨みつけ、小町は即答した。
「あたしは、青葉さんたちとは面識がありません」と奏が補足する。
ということは、やはり小町同様、青葉と白鷹にも動機がないと考えても問題はないのではないか。
しかし、己の知らないところで恨みを買っているということも、ありえなくはない。考えたくはないが、氷魚はそれを猿夢騒動で知ってしまった。
「――わかった」いさなはうなずき、立ち上がった。
「今日の聞き取りはこれでおしまい。小町、協力に感謝するわ」
「え、もういいの?」
「十分よ」
「先輩、これからどうするんですか?」と奏が尋ねる。
「まずは協会に怪異災害として報告する。現地のわたしが初動調査に当たると思うけど、長引いたら応援として別の許可証持ちが派遣されるでしょうね」
「そうなったら……」
奏は心配そうに小町を横目で見る。
「その前に、怪異の正体を突き止めればいい」
「それなら、あたしも」
「傷の具合は?」
「平気です」
いさなはしばし考え込み、
「――茉理さんから、あなたにできるだけ経験を積ませてと言われてる。一緒に調査しましょう。ただ、今日は休んで」と言った。
「でも」
「肝心な時に十分な力が発揮できないと困る。今は体調を整えるのに専念してほしいの」
「……わかりました」
不承不承といった感じで奏はうなずいた。小町たちの潔白を証明するため、本当は今すぐにでも動きたいのだろう。
「だったら」
おれの魔力を、と言いかけて、氷魚は慌てて言葉を飲みこんだ。奏に魔力を渡そうとすると、なぜか殺気を放ついさなが怖かったわけではない。この場には小町と耀太がいるからだ。奏が遠慮していたのに、魔力譲渡をばらすわけにはいかない。
「どうかした?」
「いえ。そしたらいさなさん、今日はこれから現場を調べますか」
いさなはちょっと訝しがる顔をしたが、気を取り直したようにうなずく。
「そうだね。――あ」
「どうしました?」
「血痕。現場に弓張さんの血が残ったままじゃない? 結構な量だったんでしょ。騒ぎになっちゃうかも」
いさなが言うと、奏ははっとしたような顔になった。
「! すみません。言い忘れてました。あたしの血なんですが、今朝確認したら、消えてたんです」
「消えてた?」
「はい。掃除しなきゃと思ってたんですが、きれいさっぱり」
「妙だな。雨が降ったわけでもねえのに。誰かがなめとったのか?」
凍月が首をかしげる。
確かに奇妙だ。コンクリートに染みついた血の跡というのは、そう簡単には消えないのではないか。
小学校の時、校門近くで派手に転んで出血した児童がいて、血痕がしばらく残っていたのを思い出す。なんとなく気味が悪くて、黒ずんだ血痕が消えるまで離れて歩いていた。
「もしそうだったら、ちょっと気持ち悪いですね。新手のあやかしでしょうか」
「直接吸うならともかく、地面についた血をなめるってのは聞いたことがないがな」
「とにかく、調べてみましょうか。じゃあ弓張さん、くれぐれも安静に」
「はい」
「耀太くん、小町、しっかり見張っていてね」
「心得ました」「任せて」
2人は力強くうなずいた。
「信用ないなぁ。無茶はしませんって」と奏は苦笑する。
「あんな状態で学校に来ておいて、よく言うわ」
いさなは肩をすくめた。
実際、その通りだと思う。体調もそうだが、制服がだめになったからとジャージで登校する気概もすごい。
「……だって、できるだけ休みたくなかったから」
「どうして?」
「楽しいんです。前の学校と違って」
実感のこもった言葉だった。
実際、学校での奏はいつも楽しそうだ。高校生活を心底満喫しているのだと思う。
一瞬、虚を衝かれた顔になったいさなだったが、すぐに笑みを浮かべた。
「そう。だったら、尚更早く身体を治さなきゃね」
「はい! あ、でも、制服を買いに行くのは許してください。さすがに連日ジャージはきついので」
「――ええ、それくらいなら」




