あやかしのサガ⑨
「学校からの帰り道で、後ろから髪ごと首を切られたんです」
テーブルの前に皆が落ち着いたのを確認し、奏は言った。
いさなと氷魚は揃って絶句する。予想もしなかった驚愕の事態だった。頭を思い切りぶん殴られたような衝撃があった。
「く、首って……」
震える声で氷魚が言うと、奏は冗談めかして首を叩いてみせた。
「幸いぎりぎりで繋がってたけど、危うくデュラハンになるところだったよ」
デュラハン――アイルランドに伝わる首なし騎士だ。
つまり、奏は首を落とされかけた――
いくらダンピールでも、首を刎ねられたらただでは済まないと思う。
氷魚は唾を飲みこんだ。
「それって、今は……」
「ひとまずくっついたから、大丈夫。包帯は外せないけどね。合わせ鏡で見たんだけど、傷跡が結構グロイんだ。スプラッター映画顔負けだよ」
奏は首筋をさすった。包帯の意味はわかったが、まさかそんな事情だったとは。
目の前の奏が、死の淵のぎりぎり一歩手前にいたという事実がうまく咀嚼できない。
詳しく聞けば、奏は首を切られて倒れた後、しばらくして気がついたのだという。
大量に血を流しはしたが、どうにか最低限回復し、這うようにして帰宅したとのことだ。魔導具の眼鏡のおかげか、騒ぎにはならなかったらしい。
血で制服がだめになっちゃったのは痛かったな、と奏は話を締めくくった。
氷魚は血だまりの中に奏が倒れ伏している場面を想像し、身震いした。助かったというのに、胸が苦しくなる。
奏が生きていてくれて、本当によかった。
「何にやられたのかは、わかる?」
今まで黙って話を聞いていたいさなが尋ねる。
「すみません。気づいたらやられてました。よほど速かったか、あるいは不可視か」
奏の優れた動体視力でも捉えられない速度となると、相当なものだろう。
不可視の存在だとしたら、夏のイソギンチャクもどきみたいなやつだろうか。あのバケモノには、触手の他にカギ爪もついていた。
いずれにせよ、厄介な相手には違いない。
「協会には?」
「……まだ連絡してません。先輩に相談してからの方がいいかと思って」
奏は一瞬小町に視線を向けて、うつむいた。
それで氷魚ははっとした。
協会に連絡すると、おそらく小町も取り調べの対象になるのだろう。髪を切って回っていたことから、今回の事件の容疑者として疑われるかもしれない。だから、奏は連絡を先延ばしにしたのではないか。
「……昨日、奏が血まみれで帰って来た時は心臓が止まるかと思ったよ」
弱々しく笑って、小町は言った。
「小町にも心配かけて、ごめんね」
「おまえは無関係なのか」
唐突に、いさなの影から姿を現した凍月が言った。
氷魚は、小町がやったとは考えてない。だが――
「あたしは……」
「小娘の髪を切ろうとして、勢い余ったんじゃねえのか」
凍月が畳みかける。
「違う! あたしはそんなことしない!」
氷魚はいさなの様子を窺う。いさなは沈黙を貫いている。追及は、どうしても避けられないのか。
「凍月」と、いさなが口を開いた。
「なんだよ。止める気か?」
「違う。あなたにばかり押し付けられない。わたしが訊く」
静かに宣言して、いさなは小町に相対した。
「小町、許可証持ちとして質問するよ。この意味はわかるね?」
小町はうなずく。
「弓張さんの髪を切ったのは、あなた?」
いさなの問いに、小町はかぶりを振った。いさなの立場上、訊かざるを得ないのはわかるが、いさなと小町の心中を想像すると胸が痛む。
「やってない。あたしが鳴城でやったことを考えれば、疑われるのはわかるよ。でも、あたしには、奏を傷つける理由が無い」
「どうかな。小娘の髪は長くてきらきらしていたからな。近くにいて、我慢できなくなったんじゃねえのか」
「それは、確かにきれいな髪だとは思ってたけど……」
自分は口を挟むべきではない。それはわかっている。
でも。
「――小町は、やってません」
氷魚は言った。黙っていようと思ったが、どうしてもできなかった。
「根拠はあるのか、小僧」
凍月が、いい加減な発言は許さないとばかりに鋭い目を向けてくる。
「転倒です」
必死に頭を働かせ、氷魚は言った。
「転倒?」
「小町は、必ず相手を転ばせていた。たぶん、鎌鼬の伝承通りの行動なんだと思います。1人目が転ばせて、2人目が切りつけ、3人目が薬を塗って素早く去る、っていう。小町は、元々転ばせるのが担当だったんじゃないかと」
鎌鼬については、小町と出会ってから色々調べた。
氷魚は目線で小町に確認を取る。小町はこくりとうなずいた。
「今回、弓張さんは転ばされてはいないよね」
「うん。いきなり攻撃されたね」
「だったら――」
「だとしてもだ。絶対転ばせないといけないってわけじゃねえんだろ」
「……そうだね。あたしは、下手に動かれてけがさせちゃうのが怖かったから転ばせてたの」
小町は氷魚を申し訳なさそうに見て、言った。誤魔化さないのはいかにも小町らしい。
「だとさ。小僧、根拠としては弱いぜ。おまえだってわかってるんじゃねえのか」
その通りだった。指摘されるまでもなく、薄弱な根拠だ。
「――それなら、アリバイ。弓張さんが被害に会った時、小町は耀太くんと一緒に家にいたのでは?」
不在証明――アリバイなんて言葉を現実で自分が使うとは思わなかった。
皆の視線が集中し、耀太は居心地が悪そうに身じろぎした。
「すみません。昨日、僕は学校の友達と買い物に行ってました。なので、この家には……」
「あたし1人だった」
小町は素直に認める。
アリバイも、ない。形勢は不利になるばかりだった。
「でも、小町がやったっていう証拠はないですよね」
苦し紛れに氷魚が言うと、凍月は即座に切り返してきた。
「やってないっていう証拠もないな。本人の証言だけだ。このまま協会の調査が入ったら、台風娘は真っ先に疑われるぜ。髪切りの件があるからな」
焦燥感に駆られる。八方塞がりか。
いや、違う。考え方を変えるべきだ。
大前提として、自分は小町がやったとは思っていない。だったら、するべきことは単純明快ではないか。
「――なら、小町の潔白を証明する方法は1つしかないですね」
「なんだ」
「弓張さんの髪と首を切った怪異の正体を突き止めること」
氷魚の答えを聞いた凍月は、にやりと笑った。
「まぁ、それが一番手っ取り早いな」




