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この怪異は誰のもの?  作者: イゼオ
第九章 あやかしのサガ
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あやかしのサガ⑤

「僕はきみに提案をしに来たんだ」

「提案?」

「そう。中条さん、得体の知れない怪異に髪を切られたんだって?」

 青年は楽しそうに言う。深優みゆは咄嗟に髪を押さえた。

「どこでそれを……。まさか、遠見塚とおみづか先輩が?」

 いさなに依頼してから一週間以上経っている。まさかとは思うが、彼女が話したのだろうか。だとしたら、いさなと青年はどういった関係なのか。

「いさなではないね。まあ、とある情報筋とだけ言っておこうか」

 どうやら、青年はいさなを知っているようだ。

 更に問おうとした時、不意に、深優の足元をするりと何かが通り抜けていった。見れば、どこから現れたのか三毛猫だ。

 三毛猫はなぁんと一声鳴くと、青年の肩に跳び乗る。猫は嫌いではないが、どことなく不気味な猫だと思う。

「でね、中条さん。やられっぱなしって悔しくない?」

 青年と三毛猫が揃って深優を見つめる。頭の芯が鈍く痺れるような感覚があった。

「そりゃあ、悔しいですけど、復讐しようとは……」

 気づけば、深優はそんなことを口走っていた。

 言ってからはっとする。自分が口にした言葉が信じられない。

 ――復讐って、誰に? 怪異に?

 青年は、傑作だと言わんばかりに手を叩いた。

「そりゃあいい。復讐ときたか。おとなしそうな見た目とは裏腹に、なかなか過激だね。でも、残念ながら、違うよ」

「……だったら、どうするっていうんですか」

 深優は唇を噛む。

 これ以上、この青年と話していたくない。いくらきれいな顔をしていても、不愉快だ。

 しかし、すぐにでもこの場を立ち去りたいのに、足は地面に縫い止められたかのように動かない。

「僕からの提案はこうだ。他の誰かを同じ目に合わせるっていうのは、どう?」

「同じ目にって……」

「きみがやられたようにさ」

 青年は人差し指と中指をぶつける。ハサミに見立てているのだろうか。

「誰かの髪を切るってことですか」

「そう。いるだろう。身の回りに、気に食わないやつの1人や2人。その子の髪を切ってやるんだ。きっとすっきりするよ。もちろん、きみの手は汚れないから安心して」

 ひどい提案だった。呆気に取られ、次いで怒りで胸の奥がかっと熱くなる。

 怪異に髪を切られたのはショックではあるが、だからといって他の誰かに同じ目にあってほしいなどとは――

 一瞬、かなでの顔が脳裏をかすめた。

 自分はさっき、どう考えていた?

 深優は身震いし、青年をまっすぐに見返した。

「そんなの――」

 わたしは望まない。深優はそう言おうとした。

 しかし、その前に、青年と三毛猫が再び深優を見つめた。心の奥まで見通すような視線だった。

 頭の奥が痺れる。

「……っ」

「ずっといい子でいるのは疲れるよね」

 青年は断定するように言った。

 はたして自分はいい子だろうか。

 親の言いつけに背いたことはないし、学校でも特に問題を起こしていない。

 成績はまずまず。悪い友達はいないが、本心を打ち明けられるような親友もいない。これといって打ち込んでいるものはないが、かといっていい加減に日々を過ごしているわけではない。真面目に生きているつもりだ。

 世間一般の基準に照らし合わせれば、自分はいわゆる「いい子」の部類に入るだろう。深優はそれを嫌だとは思わないし、疲れると感じたこともない。

 だから深優は青年に反論しようとした。

 それより早く、青年が口を開いた。

「たまには、己の欲求に正直になってもいいんじゃあないかな」

 青年の声には、頭に浸透するような甘い響きがあった。ふわふわと、心が奇妙に軽くなる。

「わたし、は……」

 気づけば青年がすぐ側まで迫っていた。青年は深優の耳元に整った顔を近づけて囁く。

「僕を信じてよ」

 まさしく魔法の言葉だった。

 最後に残っていた不快感と不信感がぐずぐずに溶解していく。この青年を信じてもいいと思う。

 深優はこくりと子どものようにうなずいた。

「いい子だ。じゃあ、携帯を貸してくれる?」

 いい子を否定するようなことを言ってたくせに、と頭の片隅で思わなくもなかったが、深優は言われるままにポケットから携帯端末を取り出し、ロックを外してから青年に差し出す。

「ありがとう」

 青年はにっこりと魅力的に笑い、深優の携帯端末を受け取る。それから自分の携帯端末を取り出し、深優の携帯のカメラを近づけた。

 QRコードでも読んでいるのだろうか。ラインの友達登録をするわけではないと思うが。

 深優はぼんやりした頭でそんなことを思う。

「はい、おしまい」

 青年は深優の携帯端末を差し出した。受け取った深優が画面を確認すると、見慣れないアプリが増えていた。名前はない。鎌のアイコンがなんだか不気味だった。

「使い方はアプリの中に書いてあるから」

 青年はやさしく深優の肩を叩いた。

 深優ははっとして青年の顔を見つめる。

「――あの、あなたは?」

 そういえば、名前も聞いていなかったと思う。

「僕はいさなと同じ遠見塚の人間だよ。もっとも、いさなとは正反対の生き方をしているけどね」

「え……?」

 どういう意味だろう。

「それじゃあ、いさなによろしく」

 青年は、深優に問いかけの時間を与えなかった。

 ひらりと手を振り、悠々と歩いて深優の前から去っていく。肩には三毛猫が乗ったままだった。

 呆然と青年の背中を見送った後、深優は携帯端末の画面に目を落とした。

 夢かと思ったが、違った。

 暑くもないのにじっとりと汗ばんだ手で握りしめた携帯端末の画面の中では、鎌のアイコンのアプリが異様な存在感を放っていた。


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