髪のまにまに㉖
「小町はさ、髪を切るのが好きなんだよね」
小細工を弄するのはやめにする。自分にできることをするだけだ。
「……うん、好きだけど。なに、急に?」
小町は氷魚に探るような目を向ける。
「青葉さんに聞いたんだけど、お店ではもっぱら青葉さんと白鷹さんが指名されてるんだって?」
これを訊くのはちょっとした冒険だった。小町の逆鱗に触れる可能性があったからだ。かといって、遠回しな言い方は小町の好むところではないだろう。
はたして小町は怒らなかった。
「そうだよ。あの2人、人気だから」とあっさり認める。
それから小町ははっとして、
「――あ、ちょっと待って。だからといってあたしは別に」と、焦ったように手を振った。
「八つ当たりや憂さ晴らしで辻斬りめいたことをしてたわけじゃないんだよね」
氷魚は小町を安心させるために、そう言って微笑んだ。
「……そう、だけど」
「やっぱり。だと思った」
「む……」
小町はふいと目を逸らす。
「それで、小町に謝らなきゃいけないことがあるんだ」
「なに?」
「小町が鳴城で髪を切って回っていたこと、青葉さんに話した。勝手に話しちゃって、ごめん」
小町は横目で氷魚をちらりと見て、苦笑する。
「そんなの、別にいいよ。どうせすぐにばれちゃうことだし。っていうか、氷魚、律儀だね。黙ってればわかんないのに」
「単に自分の中でもやもやしてるのが嫌なだけだよ。――でさ、小町は鳴城で武者修行してたの?」
謝ったところで、氷魚は本題に入った。
「武者修行?」
「そう、髪切りの修業」
「あ、え……、な、なんで?」
「おれの髪を切ろうとしてくれた時、人間の手にも慣れておきたいって言ってたよね。小町は、人の姿の時は鎌鼬の時ほど上手に髪の毛が切れないのかなって」
「だから、修業?」
「うん。おれはそうじゃないかなって考えたんだけど、どう? で、本当は人間の姿で髪を切りたかったんじゃない?」
「修業かどうかはわからないけど……それに近いかも」
どうやら、どんぴしゃりとはいかなかったらしい。
小町は少し考え込み、
「――ねえ氷魚。美容師と理容師の違いって、知ってる?」と訊いてきた。
「いや、よく知らない」
なんとなく、男性が行くのが理容室、女性が行くのが美容室、といったイメージだ。姉も母も美容室に行っている。
「ざっくり言うと、剃刀を使ったシェービングができるのが理容師。パーマや着付け、場合によってはネイルなんかをするのが美容師だね。資格によってできることが違うんだ。最近ちょっと境目が緩くなったけどね」
「そうなんだ」
大体2か月に1回の頻度で氷魚が通っているのは理容室だ。何気なくやってもらっている顔剃りだが、あまり気にしたことがなかった。
「で、あたしと青ねえは理容師免許、白にいは美容師免許を持ってるの。あ、ちゃんと試験を受けて取ったんだからね。戸籍なんかは協会にごまかしてもらったけど」
「すごいじゃないか。努力したんだね」
あやかしが人の世の資格を取るのは大変だったに違いない。
協会に便宜を図ってもらえるのなら、もぐりで営業しても問題ないような気もするが、そこはきっちり仁義を通したのだろう。
小町は肩をすくめる。
「すごくないよ。腕前じゃ、青ねえにも白にいにも全然敵わない。お店に来るお客さんはみんな2人にカットを頼むわ。あたしは顔剃りやシャンプーがメイン。あたしも髪を切りたいけど、お客さんが喜んでくれるのが一番だから、青ねえと白にいに任せた方がいい。ずっとそう思うようにしてた」
「そっか……」
さらりと言ってはいるが、その境地に達するまで、小町はどれほど葛藤してきたのだろう。
「でもね」
小町は一旦言葉を切る。
「好きなひとができたの」
氷魚は思わず小町の顔を見る。
「いつも青ねえが担当してるんだけどね、あたしは、この手でそのひとの髪を切りたいと思ってしまった」
薄暮の空を見上げる小町の顔は、完全に恋する乙女の顔だった。純粋に、いいな、と思う。好きな人の話をする人の顔は、輝いている。
それにしても大胆な告白だった。会って間もない氷魚に打ち明ける内容ではないと思う。
――いや、会って間もないから、かえっていいのか。
「どんな人なの?」
「とっても素敵なひと。性別上は男性で、女性の格好をしていて、それがすごく似合っている。かっこ良くて、きれいなの」
なんだろう。すごく心当たりがある気がする。この界隈の広さがどれくらいかは知らないが、小町の言葉通りの特徴を持つひとなんて、そうはいないのではないか。
「……ひょっとして、小町が好きなひとって、茉理さんって名前だったりしない?」
「な……!」
小町は、大きな目をさらに大きく見開いた。
「な、なんで氷魚が茉理さんを知ってるの?」
噛みつくような勢いだった。
やはりというかなんというか、的中したらしい。あやかしがやっているお店ということで、接点を持つ可能性は十分にあったようだ。
「この前知り合ったんだ。茉理さんって、いさなさんと弓張さんの師匠なんだよ」
「そうなの!? ずるい!」
「ずるいかな」
「だって、茉理さんにつきっきりで面倒見てもらえるんでしょ?」
そこか、と苦笑する。
「からかわれたりもしたみたいだけどね」
黒歴史の写真を撮られた、というのはいさなの名誉のために黙っておく。
「それでもいいの!」
「――で、小町は茉理さんの髪を切りたいって思ったんだ。言えばいいのに。切らせてくれって」
このままでは埒があきそうにないので、軌道修正を試みる。
「言えるわけないでしょ」
おまえはアホかというような目で見られた。ちょっと傷つく。
「なんで。茉理さんだったらきっといいよって言ってくれるよ」
「茉理さんがよくても、あたしが……」
そこで小町は言いよどむ。
「小町が?」
促すと、小町は指をもじもじさせながら、
「その……恥ずかしい。青ねえや白にいほどうまくないし」
乙女だなあ、と氷魚は心の中で呟く。腕前より気持ちの問題の方が大きいのだろう。
「――そっか」
「なににやけてんのよ」
「にやけてないよ」
「うそ。ぜったいニヤニヤしてる」
小町ににらまれ、氷魚は咳払いをした。
「――ともかく、気持ちも含めて茉理さんに恥ずかしくない腕前になるために、鳴城に殴り込みに来たと」
「……殴り込みっていう表現が気になるけど、まあ、そんな感じ。100人切りが目標だったの。それくらい切れば自信がつくかなって」
壮大な計画だった。もし実現していたら、鳴城髪切り事件として鳴城市民を震撼させていたかもしれない。
恋する乙女の行動力はすさまじい。腕を磨くためだろうとは推測したが、そういう動機だとは思わなかった。




