髪のまにまに㉔
前の話の誤字報告、ありがとうございます。
空気を呼んでたらなんかの異能者っぽいですね。
「……うちのお店は、常連さんが多いんです。小町も決して腕は悪くないんですが、皆さん、大抵私か白鷹を指名するので……」
小町は3人の中で一番幼く見える。青葉や白鷹の方が頼りになるとお客さんが思うのも、仕方がないかもしれない。
自分だって、仮に何の情報もなしに3人の中で誰に髪を切ってもらいたい? と訊かれたら、真っ先に青葉を選ぶと思う。下心はたぶんない。白鷹はなんだか怖そうなのだ。
「なるほどな。だからむくれて家出して、憂さ晴らしに人間の髪を切って回ってたってか」
凍月が得心したように言った。
「それは違うと思います」
「あん? 違うって、どこがだよ」
氷魚が即座に否定すると、凍月は前足でむにむにと氷魚の頬を押した。絶妙な柔らかさの肉球が心地いい。いさなはいつもこの肉球を堪能しているのだろうか。
と、今はそれどころではない。
「むくれたってところと、憂さ晴らしってところです」
「ほとんどじゃねえか。なら、おまえはどう考えてるんだ」
「今はまだはっきりとは言えません」
これまでの会話や状況から、うっすら事情は見えた。だが、確信には至っていない。
「なんだよ。もったいぶりやがって」
「そういうわけではないんですが。――とにかく、小町は憂さ晴らしで人の髪を切ったりなんかしないって断言はできます」
「あなたは人間ですよね。なぜ、そこまで小町を信じてくれるんですか?」
青葉に問われ、氷魚は考え込んだ。
理屈ではない。人間とかあやかしとかも関係ない。
「楽しそうだったから」
「え――?」
「おれの髪を切るために、ハサミを持った小町が楽しそうだったからです」
「楽しそう? たったそれだけの理由で……?」
「本人の許可を取らずに髪を切ったのは確かに乱暴だけど、あんなに楽しそうにハサミを持つ小町が、八つ当たりで人の髪を切るなんて、おれにはどうしても思えません」
結局のところ、理由はそこに集約される。それだけかと問われたら言い返すことはできないが、氷魚にとっては小町を信ずるに足る十分な理由だった。
「へえ、ずいぶんとあの台風娘の肩を持つじゃねえか。会ったばかりだってのに」
「氷魚くん、小町と仲が良さそうだったものね」
いさながぽつりと言った。思わず注目すると、自分でも予想外の発言だったのか、いさなははっとしたように口元を押さえる。
いさなが何か言いかけたその時、廊下でインターフォンが鳴った。
「白鷹さんたちが戻って来たのかな。ちょっと外します」
氷魚の見間違いでなければ、どこかほっとしたような顔になったいさなは立ち上がり、応対に向かう。
「いさなさん、どうしたんでしょうか」
珍しく、若干言葉に棘が含まれていた気がする。
「難しい年頃なのさ」
凍月が訳知り顔で呟く。
「――?」
氷魚がきょとんとしていると、凍月は呆れたようにため息をついた。
「いさなも無自覚なんだろうが、おまえも大概だな」
「はあ……」
凍月の言葉を咀嚼できない氷魚は、気のない相槌しか打てない。
ほどなくして、白鷹を伴ったいさなが戻ってきた。小町の姿はない。
「すまない、姉さん。逃げられた」
白鷹は見るからに意気消沈していた。肩を落とした姿もサマになっていて、きっと女性客に人気があるのだろうなと思う。白鷹目当てで通うお客さんもいるかもしれない。
「ううん。仕方ないよ。小町は足が速いから」
立ち上がった青葉は白鷹の肩をやさしくぽんぽんと叩く。慈愛に満ちている。白鷹が女性客に人気なら、青葉はきっと男性客に大人気に違いない。
小町は、男女問わず子どもに好かれるタイプだと思う。
「青葉さんたちは、これからどうしますか。小町を探すなら協力しますよ」
いさなが提案すると、青葉は少し考え込み、
「――そうですね。私と白鷹は、ひとまず市内の宿を取ろうと思います」と答えた。
「だったら、この家に泊まりませんか」
「また道隆がぼやくぞ」
「今更でしょ」
「ありがたい申し出ですけど、小町がここに戻ってくる可能性を考えると……」
「――そっか。おふたりがいたら逃げてしまいますね」
「ええ。なので、大丈夫です。お気持ちだけで嬉しいです」
何かあったら連絡してください、といさなに自分の連絡先を教えた青葉は、白鷹を伴って去っていった。
「おれたちはこれからどう動きますか? また市内に出ます?」
学校が休みの日中にさすがに女装はできないが、そもそも女装の必要がないことに思い至る。
「氷魚くんは一旦家に帰った方がいいよ。昨日の今日で疲れてるでしょう。小町がどこにいるかもわからないし」
「いえ、おれは元気――」
そこで、氷魚はふとある可能性に思い至った。
「――そうですね。今日は家でゆっくりしようと思います」
「? やけに素直だね」
いさなは疑わしそうな目で氷魚を見つめる。
「観たい映画があったのを思い出したんですよ。それじゃ、帰る準備をしますね」
氷魚は肩の凍月をそっと抱きかかえると、いさなに差し出した。
「う、うん」
凍月を受け取ったいさながそれ以上何か言う前に、氷魚はそそくさと居間から出る。




