髪のまにまに⑲
「よし。ねえ氷魚、あたしが髪を切ってあげようか」
小町は、ハサミに見立てたのか人差し指と中指を軽くぶつけてみせた。イタチの姿の時の鎌は、今は見えない。その気になれば手を変形させられるのだろうか。
氷魚はなんとなしに『シザーハンズ』を連想する。ずっと手がハサミだと、何をするにも不便に違いない。
「かぶってたカツラは弓張さんに返しちゃったよ」
「カツラじゃなくて、氷魚の髪だよ。今のままでもまあ悪くはないけど、あたしだったらもっと見栄えよくできる。地味な氷魚もちょっとはマシになると思うよ」
やはり、あやかしから見ても氷魚は地味らしい。
「髪を切ってくれるのはありがたいけど、モヒカンや金髪は困る。停学の危機だ」
「違うし! そういう方面じゃないよ!」
「だよね」
「こいつ……」
小町はじろっと氷魚をにらんだが、すぐに破顔した。
「氷魚は変わってる」
「そう?」
「そうだよ。あたしの本当の姿、見てたよね。あやかしのあたしが怖くないの?」
氷魚はゆるりと頭を横に振る。
「おれが知ってるあやかしは、みんなやさしいから。もちろん、怖いところもあるんだろうけど」
やさしい部分も怖い部分も、そのあやかしのすべてではないのだと思う。いろんな側面があって、そこは人間と同じだ。
「そんなにあやかしに知り合いがいるの?」
「ちょっとだけね。少し前までは、あやかしが本当にいるってことすら知らなかったんだ」
「ってことは、氷魚は普通の人間?」
「うん。いさなさんに協力はしてるけど、協会とは関係ないよ。特別な力もない」
「はぁ。やっぱ変わってるわ。普通の人間なのに、怪異に首を突っ込むんだ」
おそらく、普通の人間は好き好んで怪異に首を突っ込んだりはしない。とすれば、小町が氷魚を「変わっている」と見なすのも妥当なのかもしれない。
「そこは成り行きというか、なんというか……」
言葉を濁す氷魚を見て、小町は「そういうことか」とにんまり笑った。
「どっち?」
「え?」
いきなり話が飛んだ。小町が何を訊いているか、すぐには理解できなかった。
「一緒にいた黒髪と金髪。どっちかが好きなんでしょ。だから一緒に行動してる。あ、もしかして、どっちも好きとか?」
小町の問いかけは直球だった。今度はさすがに理解できた。
「いいじゃん、言っちゃいなよ。おねーさんに教えて」
小町は氷魚を肘でつつく。
数時間前とはまるで印象が違う。距離の詰め方が極端だ。迎えに来てくれた道隆の車の中では、借りてきた猫みたいに黙りこくっていたのに。
「いや、それは……」
奏には、友情みたいなものを感じていると思う。
いさなには、好意を持っているのは間違いない。だが、その気持ちを果たして恋愛感情と言っていいのかどうか、氷魚にはよくわからなかった。
「わからない」
なので、氷魚はバカ正直に小町に告げた。
「わからないってことはないでしょ」
「本当にわからないんだ。もちろん、2人とも魅力的だと思うけど」
「――はー、ふーん、なーるほどね」
小町は氷魚をまじまじと見つめ、生暖かい笑みを浮かべた。
「な、なんだよ」
「氷魚はかわいいね」
「な……」
予想もしなかった言葉をぶつけられ、氷魚は絶句した。小町はくつくつと笑う。
「田舎の子は純粋でいいね。泉間の子はすれてる子が多くて多くて」
「それ、完全に偏見だと思うけど。――って、小町は泉間に住んでるの?」
小町は、しまった、というような、実にわかりやすい顔をした。
「そして、それなりに地元の人と接するような生活をしてる」
「う……」
「泉間にはあやかしが働いているお店があるって聞いたけど、もしかしてそういうお店で働いていたり? 鎌鼬の特性を活かせるような」
小町は目を泳がせた。隠し事が下手なタイプらしい。氷魚も人のことは言えないが。
「――知らない」
白状したも同然だった。どうやら、ここまでは合っているようだ。
「そっか。だったらいいんだ」
攻守は逆転したが、氷魚はこれ以上追及する気にはならなかった。強引に聞き出そうとしても、小町はきっと話してはくれないだろう。
「いいの?」
小町は上目遣いで問う。さっきまでお姉さんぶっていたのに、急に幼くなったように見える。
「いいよ。無理矢理ってのはよくないから」
「――それ、あたしへの当てつけ?」
「当てつけ? どうして?」
「本人の同意なしに、無理矢理髪を切ってたから」
虚を衝かれた。どうやら、小町も、強引だったことを認めているらしい。
「――ああ、いや、そんなつもりじゃなかったんだけど、気を悪くしたのなら謝る。ごめん」
「……まあ、いいけどさ」
微妙に気まずくなってしまった。当てつける気などこれっぽっちもなかった。迂闊な一言だったと反省しても後の祭りだ。
にしても――
氷魚は髪切り事件の最初の疑問に立ち戻る。
そもそも、小町はどうして人の髪を切って回っていたのか。強引であることを自覚しつつも、続けていたのはなぜか。
協会を知らなかったわけではなさそうだし、いずれ協会の人員が派遣されるのも予想していたのではないか。
「――その、小町はさ」
気まずくなったのは逆に好機かもしれない。
どうせなら、この機に乗じて訊いてしまえと腹を括った氷魚が口を開いた瞬間だった。
「ごはん、できたよ」
居間に、いさなが顔を出した。絶妙なタイミングだった。




