髪のまにまに⑮
「そろそろ夜ご飯の時間だけど、氷魚くんと弓張さんはお腹減ってない?」
いさなに問われて時間を確認すると、すでに午後6時を回っていた。
「若干減ってます」「あたしも」
そういえば、夕食については決めていなかったなと思う。このまま夜まで鳴城を歩き回るのだと考えていた。
家には部活の集まりで遅くなるとあらかじめ言ってある。いつも屋名池に口裏を合わせてもらうのは悪いと思っていたので、部活動という大義名分? を得たのはありがたかった。
「だったら、どこかのお店でご飯を」「おれは外で待ってます!」
さすがに女装したまま地元の飲食店に入る勇気はない。暗くなりかけている外を歩き回るのとは次元が違う。
「冗談だよ。コンビニで何か買って外で食べようか。歩きながらでもいい」
「あたしはピザまんがいいです」
いさなの提案に、奏が賛同する。
「それなら……」
氷魚も、反対する理由はなかった。
「じゃあ氷魚くん、いえ、ひーちゃん。買い出しよろしく。わたしは焼きそばパンね」
そう言って、いさなは実に素敵な笑みを浮かべた。冗談を言っているようには見えなかった。
「い、いさなさん……?」
「この近くにゴーソンがあったね。あたしはピザまんとからあげさんのレッド。あとGチキンの竜田でよろしく。あ、デザートにシュークリームも」
奏が便乗する。
「鶏肉がかぶってる。……って、そうじゃなくて」
「わかってる。冗談だってば。ですよね、先輩?」
「え?」
「え?」
奏としばし見つめ合っていたいさなはおかしそうに笑い、
「そうだね。ごめん氷魚くん、ちょっとからかいたくなった」と言った。
氷魚はどっと脱力する。本気なのかと思った。
「買い出しはあたしが行ってきますよ。ひーちゃんは何がいい?」
「……肉まんとあったかいお茶で」
「了解。先輩はどうします?」
「がっつりめの総菜パンと、あればコロッケとメンチカツでお願い。飲み物はほうじ茶がいいな」
リクエストが完全に体育会系のそれだ。
「足りますか?」
「後できちんと夕食を食べるから」
「わかりました」
うなずいて、奏は足早に買い出しに向かった。
「座って待ってようか」
いさなに促され、公園内に戻った氷魚はベンチに腰掛ける。木のベンチは所々ささくれ立っていて、いさなから借りたスカートを傷つけないように気を遣う。
「ごめんね、氷魚くん。悪ノリしちゃって」
氷魚の隣に座ったいさなが口を開いた。
「いえ、いいですけど……」
思えば、いさなとこうして2人きりになるのは久しぶりな気がする。
といっても、正確には凍月がいるのだが。
「あれ、そういえば、凍月さんが静かですね」
奏の家を出てから、声を聞いていない。
「ああ、影の中に入ってるよ。眠いんだって」
「え、具合が悪いんですか?」
あやかしも風邪を引いたり、病気になったりするのだろうか。
「ううん。たまにね。あるんだ。病気とかじゃないから安心して」
「なら、よかった」
それきり会話が途切れた。
いさなといる時は、沈黙が気にならない。間を埋めるために無理に話しかける必要がないのだ。他の人だとこうはならないのに、不思議だ。
「ねえ氷魚くん。氷魚くんのクラスは、文化祭でなにやるの?」
沈黙を破ったのは、いさなだった。
中間テストも終わり、鳴高はお祭りムードに包まれつつある。10月の文化祭に向けての準備が始まるからだ。
「喫茶店が今のところ優勢ですね。お化け屋敷の案もあったんですが、準備がめんどいっていう声が多数で、選ばれなさそうです」
「喫茶店だとしたら、氷魚くんはウェイトレスかな?」
「ですね。……って、やりませんよ」
「それは残念。似合ってるのに」
「――いさなさんのクラスは?」
「休憩所。うちのクラス、あんまり結束力がないから。1年の時とおんなじ」
いさなは、少し寂しそうに言った。
鳴高文化祭はクラスごとに出し物があるが、強制参加ではない。そのため、休憩所という形でパスすることも可能だった。
「いさなさんは、何かやりたいことはないんですか? キョーカイ部として」
「そうだね」
そこで、いさなはちらと氷魚を見た。
「どうかしました?」
「――いえ、別に。キョーカイ部としては、星山くんが号外を作るって張り切ってるよ」
「そうですか……」
「あ……。で、でね。氷魚くん」
「お待たせしました!」
いさなが何か言いかけたところに、奏が戻ってきた。両手に大きなビニール袋を持っている。一体どれだけ買ったのか。
「ありがとう、弓張さん」
「腹ごしらえしたら、さっそく次の場所に向かいましょう!」
夜が近づくにつれ、奏は元気になっていくようだ。あまり意識してなかったが、やっぱり夜型なのかもしれない。
いさなは袋から焼きそばパンを取り出し、おいしそうに食べ始める。
結局、いさなが何を言いかけたのかは、訊けずじまいだった。




