髪のまにまに⑬
「わたしと氷魚くん、身長が近いからサイズは問題ないと思うんだけど」
どうやら、いさなの服らしい。当然洗濯はしているに決まっているが、なんだかドキドキする。
「さっそく着てみて」
いさなは満面の笑みで服を氷魚に差し出した。
飾り気はないが、シンプルで品のいいブラウスとスカートだ。いさなが着ればさぞや似合うだろう。
いかにも女の子な服じゃないのは不幸中の幸いだった。その辺はいさなも気を遣ってくれたのかもしれない。
今更抵抗しても時間の無駄なので、服を受け取った氷魚はおとなしく隣の部屋へと移動した。
「着替え、手伝おうか?」
上を脱いだところで、ドアの向こうからいさなの声がした。
「だ、だいじょうぶです」
生まれてこのかた身に着けたことのないスカートの構造に苦戦しつつも、氷魚はどうにか着替えを終えた。
うつむきながらリビングに戻る。みんなの反応が少し怖かった。
「おぉ、橘くんが女の子ですよ、先輩」
「ふふ。似合ってるよ、氷魚くん」
「馬子にも衣裳だな」
みんなの楽しそうな声を聞いたら、なんだかいい感じに肩から力が抜けた。
「ありがとうございます」
顔を上げ、氷魚は笑みを浮かべる。女の子らしい笑顔だったかどうかはわからないが、いさなと奏は笑みを返してくれた。
もう開き直ろう。女装を受け入れたのは自分だ。どうせなら前向きに行こうと思う。これも貴重な経験には違いない。
「それじゃあ、出発しましょうか」
「みなさん、お気をつけて」
留守番の耀太に見送られて、氷魚たちは外へと出た。
「中条さんが襲われた時間って、大体今くらいですよね」
黄昏時の一歩手前、秋空が暮れかかる時刻だ。
「そうね。深夜もだけど、あやかしが動きやすい時間だから」
向こうから歩いてくる人の顔もよくわからない。だからこそ、あやかしも闊歩しやすいのだろう。
そして、人の顔がわかりにくい時刻は氷魚にとってプラスに働いた。遠目に見れば誰も氷魚が女装しているとは気づかないはずだ。
開き直りはしたが、もしも女装していることがクラスメイトにばれたら、次の日からどういう顔をして登校すればいいかわからなくなると思う。なかなか危険な綱渡りだ。
だが、幸い、知り合いに会うことなく無事に目的地に到着した。
人気のない、さびれた小さな公園である。
昔は遊んでいる子どもたちがたくさんいたらしいが、近くに大きな公園ができてからは、めっきりその数も減ってしまったとのことだ。
するとどうなるか。
曰く、風もないのに誰も乗ってないブランコが揺れていた。
曰く、夜中になるとペンキのはげたパンダの遊具が勝手に動き出す。
曰く、公衆トイレの常に閉まっている個室のドアを一定の回数、一定のリズムで叩くと中から返事がある。
などなど、どこかで一度は耳にしたことがあるような噂話が生まれてしまう。
そういう、鳴城では割と有名な公園に、氷魚は1人で足を踏み入れた。あやかしが引き寄せられそうな、人工心霊スポット一歩手前の場所である。
いさな、奏とは公園に入る少し前に別れている。近くで待機するとのことだ。
氷魚は無人の公園の中を歩く。
誰もいない夕暮れの公園は、怖いというより物寂しい。以前はたくさんの子どもでにぎわっていたはずなのに。
公園内を適当に歩けという指示だったが、氷魚はなんとなく鎖に錆の浮いたブランコに腰かけた。足が余ってしまう。小さい頃は地面にやっと届くくらいだったのに。
姉とブランコで遊んだ時は、姉の荒っぽい技を真似してよく失敗したものだ。反動をつけて鳥のようにブランコから飛び上がった姉は格好良かった。
――あの頃は、まさか自分が女装するとは思いもしなかったな。
今の状況を突きつけられ、氷魚は我に返った。ブランコに座っている場合ではない。立ち上がり、お尻を叩く。
それにしても、スカートというのはどうもスースーして落ち着かない。慣れれば気にならないのだろうか。
それから氷魚は10分くらい公園をうろうろしていたが、髪切りの怪異も公園の怪異にも出くわさなかった。
ポケットの携帯端末が震える。取り出して確認すると、いさなからの撤収指示だった。




