髪のまにまに⑥
「いさなの場合はとにかく食う、だよな」
一転、凍月はおどけた口調で言った。
「わたしは必要に迫られて……食べるのは嫌いではないけど」
いさなが健啖家なのは周知の事実だが、食べる量の割に体形は細い。食べたものがどこに消えているのかいつも不思議に思う。食べても太らない体質なのか、それとも魔力に変換されているのか。
「歴代影無の方たちも、やっぱりよく食べたんですか?」
ふと、気になったことを凍月に訊いてみた。
「いや、いさなが特別」
「わたしは平均的だよね、凍月」
「……そ、そうだな。全員、それなりには食べたな」
いさなは「だよね」と言ってにっこり笑う。
どうやら、触れてはいけない部分だったようだ。
「――さ、周囲を調べてみましょうか。十分に注意してね」
氷魚と奏はこくこくとうなずいた。
一通り辺りを調べた氷魚たちは、お堀近くの街灯の下に集合した。すっかり日が暮れて、もう黄昏時だ。秋の虫の鳴き声が聞こえる。
「例の怪異はいないみたいですね」
生い茂る木々の方を見つめながら奏が言った。ダンピールである奏は暗い場所でも問題なく見えるという。一体どんな感じなのだろう。
「妖気は残ってるんだがな。移動したみたいだ。気配が薄くて跡は辿れそうにないな」
「せめて手がかりでもと思ったんだけど、当てが外れたか。特定の場所に現れるわけではないのかも」
「だとしたら厄介だな。的が絞れねえ」
「あやかし発見機みたいな魔導具はないんですか? 道隆さんなら作れそうですが」
「氷魚くん、わたしの兄さんを某猫型ロボットか何かみたいだと思ってない?」
「……若干、思ってます」
氷魚が正直に言うと、「無理もないか」といさなは苦笑した。
「近くのあやかしを探る魔導具はあるらしいけど、わたしが使ったらたぶん凍月に反応しちゃうでしょうね」
「あたしにも反応しそう」
「あり得るね」
「じゃあ、地道に探すしかないんですね」
「今のところはそれしかないわね。っていっても、今日はもう暗いから解散にしようか。帰ったら何かいい方法がないか考えてみるわ」
「あたしも、耀太くんに相談してみます」
「おれも考えてみます」
とはいえ、現状、いいアイデアは浮かびそうにない。通り魔のような怪異を捕まえるには、どうすればいいのだろう――
夜、どうにも勉強に身が入らない深優は姿見の前に立った。絶妙にカットされた髪を触る。
いつも予約して行く泉間の美容院の美容師より腕がいいかもしれない。妖怪が切ったなんて、突拍子がなさ過ぎて誰も信じてはくれないだろうが。
――いや、あの先輩たちなら。
いさなたちは妖怪が本当にいるということを、微塵も疑っていないように見えた。実在に確信すら持っているみたいだった。
まさか、会ったことがあるとか――?
妖怪なんているわけない。
昨日までの深優なら自信を持ってそう言えた。でも、今は存在を否定できない。深優の髪を切ったのは、人間以外の何かであるのは間違いないからだ。
本当に妖怪なのか。
否定はできない。けれども現実味もない。ふわふわとつかみどころがなくて不安になる。
深優はため息をついて姿見から離れる。
椅子に座り、携帯端末を手に取った。現状を誰かに話したいけど、話せるほど親しい友人はいない。
あえて言うなら陣屋幸恵だが、信じてくれるかどうかはわからない。幸恵もどうやら怖いこと絡みでいさなに相談したようだが、深優はその内容を知らない。
単純に話しにくかったのかもしれないが、幸恵は深優に心を許していないのかもしれない。
無理もないと思う。
常に一定の距離を置き、必要以上には踏み込まないし、踏み込ませない。
深優はそういう人付き合いをしてきた。深く関わらない方が楽だからだ。そんな深優に一体誰が心を開いてくれるのか。
親友の不在を寂しいと思ったことはなかったが、今は少し悲しい。
郷土部兼怪異探求部の部員たちの顔を思い浮かべる。みんな仲が良さそうだった。奏も自然に溶け込んでいた。彼女は部活では特別扱い無しで、みんなと対等な存在なのだろう。
「いいなあ……」
我知らず、深優は呟いた。薄っぺらい人間関係しか築けない自分が、無性に情けなかった。
誰かのせいではない。すべて自分のせいだ。わかっているから、なおのことやるせない。
深優は椅子を離れ、ベッドに寝転がる。勉強する気はとうに失せていた。
悩んだ末に携帯端末を放り出す。やっぱり幸恵にはまだ話せない。
でも――
全部終わったら、話してみてもいいかもしれない。それで少しは何かが変わるかもしれない。




