髪のまにまに⑤
「今日はこれからどうします?」
荷物をまとめ、校舎を出たところで氷魚はいさなに尋ねた。
「中条さんが被害にあった現場を見に行きたいんだけど、いいかな」
いさなならきっとそう言うと思った。
髪を切る怪異が一度で満足するとは限らない。放っておいたら新たな被害者が出るかもしれない。被害が広がるのを食い止めたいという気持ちは氷魚も同じだ。早く動くに越したことはない。
「わかりました。行きましょう」
「あたしも賛成」
そうして、氷魚、いさな、奏はお堀に向かって歩き出す。
場所は中条から聞いている。すでに周囲は薄暗くなりかけているが、かえって都合がいいだろう。明るい時間よりも、黄昏時が近い方が怪異も出てきやすいはずだ。
薄暗く人の顔の区別がつきにくくなる時間である黄昏時は魔に出会いやすい、というのを、氷魚はいさなから聞いて知った。
「にしても、髪を切るって、ずいぶん乱暴なあやかしですね」
周囲に人が少なくなったことを確認し、氷魚は言う。
「髪を切るだけだぞ。おとなしい方じゃねえか」
いさなの影から声がする。凍月だ。
「いや、髪は女性の命って言うじゃないですか。無理矢理切るなんて、暴力ですよ」と氷魚は反論する。
奏といさながうなずく。
「だね、ひどいことするよ」「場合によってはこっちもきるしかないね」
いさなの言う「きる」は、なんだか別の意味のような気がする。
「散髪代の節約になっていいじゃねえか。今回のはきれいに切られてたんだろ」
「そういう問題じゃないの。凍月だって強引に丸刈りにされるのは嫌でしょ」
「強引じゃなくても御免こうむるが……」
丸刈りになった凍月はどういう姿なのだろう。想像できない。
そんなことを話しているうちに、中条が被害にあった現場に到着した。置いてけ堀に続く小道の近くだ。辺りは薄暗く、どことなく不気味な気配が漂っている。風が吹くたびに木々がざわめいた。
「凍月、どう?」
「かすかだが、妖気が残ってるな」
「氷魚くんは?」
「胸は全然痛みません。今のところは、ですけど」
「とすると、やっぱりあやかしの仕業かな」
「だとしても、髪切りかどうかは疑わしいな」
姿を現した凍月がふわりと氷魚の肩に跳び乗った。
「凍月さんは、違うあやかしの仕業だと思うんですか?」と氷魚は尋ねる。
「だな。鳴城で髪切りが出たっていう話は聞いたことがねえ。髪切りは伊勢――三重の松坂辺りで知られたあやかしだ。江戸にも出たらしいがな」
「耀太くんみたいに、何らかの目的があって鳴城にやってきたとか」
「まあ、その可能性は否定できねぇな。けど、わざわざ鳴城まで来て人の髪を切るか? あの嬢ちゃんに恨みがあったとかならともかく」
「そうですね……」
ただ人間の髪を切るだけなら、鳴城である必要はない。中条があやかしの恨みを買ったとも考えにくい。恨みがあるなら、あんなにきれいにカットはしないと思う。
「目的かあ。――さっき中条さんも言ってましたけど、髪切りって、なんで髪を切るんでしょうね」
奏がお堀を見つめながら言う。
「髪には魔力が宿るから、切った髪を集める、とかならまだわかるんですが」
「あやかしのサガだな」
「サガ、ですか」
「自分じゃどうにもならねえ衝動があるんだろうさ。吸血鬼が無性に血を吸いたくなるようにな」
「あたしのお母さんは我慢してますよ? あたしも血を吸いませんし」
奏は小さく口を開けて自分の八重歯を指さす。
「そうじゃねえあやかしもいるってこった」
「凍月さんにもあるんですか? そういう衝動が」
「――ある。実はずっと我慢してたが、こいつを丸かじりしたくてたまらないんだ」
唐突に、凍月は氷魚に向けてくわっと大きく口を開けてみせた。
「うわっ」
氷魚は思わずのけぞる。凍月は肩に乗っているので、逃げたくても逃げられない。
「なんてな。冗談だよ」
「や、やめてくださいよ。心臓に悪い」
割と本気で怖かった。
凍月はくつくつと笑い、
「――にしても、衝動か。俺にも何かしらあったのかもしれんが、忘れちまったな」と、呟く。
「そうですか……」




