髪のまにまに③
朝のホームルーム前、氷魚は窓際の一番後ろの席から教室内を見渡した。席が変わるだけで、見慣れたはずの教室が違ったもののように見える。
担任の式見が生徒たちの訴えに根負けし、2学期半ばでついに席替えが行われたのだ。
「橘、おはよう」
登校してきた薊が氷魚の前の席に座る。
「おはよう」と氷魚は挨拶を返す。
前の席が、この前置いてけ堀の調査を依頼してきた薊だったのは何かの縁かなと思う。
耀太の一件が落ち着いた後、氷魚はいさなたちと一緒に、置いてけ堀に置きっぱなしになっていた薊と薊の弟のバケツを回収した。
どうするのかなと思っていたら、いさなはバケツを学校に持ってきて薊に差し出した。目を白黒させる薊に、いさなは置いてけ堀騒動の解決を告げたのだ。
薊は半信半疑だったが、その後、置いてけという声を聞く者はぱったりと途絶えたため、最終的にはいさなを信じたようだ。
喜ばしいことだが、氷魚は一体どうやったんだという薊の追及を躱すのに苦労した。
先輩がどうにかした。方法は企業秘密だから、自分も教えてもらっていない、という氷魚のふんわりした言い訳を、薊は一応受け入れてくれた。あの先輩なら仕方ないと思ったらしい。いさながミステリアスというのは鳴高生の共通認識のようだ。
「2人とも、おはよう」
氷魚と薊が雑談をしていると、陣屋が登校してきた。氷魚と薊は挨拶を返す。
陣屋の席は薊の隣だ。またしても氷魚と近い。猿夢に関わった面子が固まっているのは、やっぱり縁かもしれない。
まだ来ていないが、氷魚の隣も――
「おはよう、深優」
その生徒が登校してきたことに気づいた陣屋が声をかける。
中条深優、やはり猿夢に巻き込まれた彼女の席は氷魚の隣だ。
「……おはよう」
中条は浮かない顔で席に着いた。昨日までの中条とは、少し雰囲気が違う。理由はすぐにわかった。
「中条さん、髪切った?」
氷魚が声をかけると、中条は怯えたようにうつむいた。どうしたのだろう。
「お、ホントだ。橘、よく気づいたな」
薊がまじまじと中条の髪を見つめた。
「……わかる?」
「うん。丁寧に切られていると思うけど」
氷魚が言うと、中条は表情を更に曇らせた。
「だよね……」
「どしたの。希望通りじゃなかったとか?」
陣屋が気遣うように訊く。
「そんな感じ。そもそも、髪を切ってなんて誰にも頼んでないから」
「頼んでないって、どういうこと?」
「それなんだけど」
中条は周囲を見渡すと、声を落とした。それから、勇気を振り絞るようにして言う。
「橘くん。放課後、遠見塚先輩に話を通してもらってもいい?」
「いいよ」氷魚は即答した。
中条は呆気にとられたように、
「――自分で頼んでおいてなんだけど、事情とか訊かなくていいの?」と言う。
「何か怖いことがあったんでしょ。ここで無理に話さなくていいから」
中条の話は、おそらく、中条の髪が切られていたことに関係している。周りを気にしている様子を見るに、自分のクラスではおおっぴらには言いにくいのだろう。
中条はほっとしたように息を吐き出した。
「助かる。ありがとう」
「中条に何があったかは知らないけど、遠見塚先輩は頼りになるよ」
「そうそう」
距離的にどうしても聞こえていたのだろう。前の席の薊と陣屋が交互に言った。
「え? 2人も先輩に相談したの?」と中条は意外そうに訊いた。
薊と陣屋は揃ってうなずいた。
「そっか、わたしだけじゃなかったんだ……」
「以前、変な夢を見たか、とか訊かれた時には、なんだこのうさんくさい人は、って思ったけどな」
「あたしも。でも、実は信用できる人だったね」
薊と陣屋だけではなく、猿夢騒動の際、いさなに呼び出されたクラスメイトはみな一様に怪訝そうな反応をしていた。氷魚も初対面の時、いきなり怪異の話をされて面食らったのを覚えている。それが今では氷魚も本当に怪異があることにすっかり慣れてしまった。もっとも、慣れたところで怖いことに変わりはないのだが。
「――じゃあ中条さん、放課後、郷土資料室で」
「うん、よろしく……」
緊張した面持ちで、中条はこくりとうなずいた。




