髪のまにまに②
会計を済ませた深優は、バニーズでたい焼きを2つ買ってスーパーの外に出た。辺りはもう薄暗い。
家に着くまで我慢しようと思ったが、誘惑に耐えきれず、深優は袋から自分の分のたい焼きを取り出して頭からかぶりついた。あんこのやさしい甘さが口の中に広がる。
外で食べるたい焼きはなぜこんなにもおいしいのだろう。冬の肉まんといい勝負だ。
そんなことを考えながら、たい焼きを半分ほど食べ終わった深優はふと足を止めた。
帰り道の途中、鳴城城址のお堀の近くだ。
少し前、奇妙な噂が流れていたのを思い出す。
なんでも、お堀にはザリガニがよく釣れる場所があって、そこでザリガニを釣りすぎると帰りに置いてけ、と何者かに脅かされるという。1-5でも委員長の薊がそんなことを言っていた。
もっとも、噂があったのは一時のことで、最近はめっきり聞かなくなった。怪談なんて、そんなものなのかもしれない。飽きられたらそれっきりだ。
城下町だからか、はたまた別の原因でもあるのか、鳴城は不思議な話や怖い話が多い。
深優は怖いのは苦手なので、積極的に怖い話を聞いたり、心霊スポットに行ったりする人の気持ちがわからない。危ない場所には近寄らないのが吉だと思う。
たい焼きを食べ終え、歩き出した深優は、後頭部に誰かの視線を感じた気がしてすぐに足を止めた。
振り向く。
誰もいない。お堀をアヒルがのんきに泳いでいる。まさかあのアヒルの視線ではないだろう。
気のせいか。
髪を撫でつけた深優が前に向き直った瞬間だった。
ふわりと、足元を何かに払われた気がした。身体が浮かび上がり、深優はなすすべもなく尻もちをついた。
「痛ぁ……」
何もないところで転ぶとは。誰かに見られていたら恥ずかしい。
辺りを窺おうとした深優の視界を、小さな影が素早くよぎっていった。
「――?」
影は木々の茂みに隠れ、すぐに見えなくなった。暗くてよくわからなかったが、猫だろうか。
深優は痛むお尻を気遣いつつ、ゆっくりと立ち上がった。その拍子に、はらはらと髪の毛が落ちる。
「……え?」
深優は頭を触る。数本、髪の毛が落ちてきた。見れば、足元に少量の髪の毛が散らばっている。まさか、自分の髪だろうか。けど、なぜ? 意味がわからない。
焦りが膨れ上がる。自分の髪はどうなったのか。触った感じでは特に大きな変化はないようだが。
確認のために携帯端末を取り出そうとして、ポケットに入っていないことに気づく。そうだ、部屋で充電中だ。こんな時に限って。
全力で走り出したいのを堪え、深優は足早に家へと急ぐ。
「ただいま! ソースとたい焼き置いておくね」
帰宅した深優はキッチンのテーブルにエコバッグを置いた。
「おかえり、ありがとう」
母が振り向くより早く、キッチンを出た深優は自室に駆けこんだ。
心臓が早鐘を打っている。深優はつばを飲み込み、姿見と向き合った。
顏から血の気が引いた。
「うそでしょ。なんで……?」
髪が、切られていた。
ばっさり切られたというわけではない。見る人が見ればわかる程度だ。美容院でカットしてもらったみたいに、きれいに切られている。それがかえって不気味だった。一体、どうやって。
帰り道、深優は誰ともすれ違っていない。
心当たりといえば転んだ時だが、あの一瞬で誰が髪の毛を切れるだろうか。仮に可能だとしても、人間業ではない。周りに人はいなかったのだから。
背筋がひやりとした。
人間ではないのなら、何が自分の髪を切ったのか。
立っていられず、深優はへたり込んだ。たまらなく怖かった。怖い話なんて、自分には縁がないものだと思っていたのに。前触れもなく、自分の日常が浸食されてしまった。
「どうしよう……」
怖い目にあった時の対処法など、深優は知らない。一体誰を頼ればいいのか。
お寺、神社、霊能者――
神社の子ならクラスメイトにいるが、相談するのはなんだか気が引ける。信じてもらえなかったらどうしようと思う。
「あ……」
深優は郷土資料室のドアの張り紙の文言を思い出す。
――日常に這い寄る怪異、引き受けます。
唐突に己の身に降りかかったこれは怪異なのか。だとしたら、あの遠見塚いさなに相談すれば、なんとかしてくれるのだろうか。以前、変な夢を見たかとか訊かれた時は変な人だなとしか思わなかったが。
彼女が霊能者かどうかは知らないが、ダメもとで話してみてもいいかもしれない。少なくとも、深優の体験を鼻で笑ったりはしないだろう。
直接話しかけるのはハードルが高いが、幸い深優のクラスにはいさなと同じ部活に入っている男子生徒がいる。
橘氷魚――いさなと変な部活を立ち上げたり、夏休みの間に奏と知り合っていたりと、最近クラスでちょっと注目されている。いい意味でも、悪い意味でも。
若干浮いてしまっているが、本人はあまり気にしてないようだ。おおらかなのか、のんきなのか。
ともかく、まずは、あの橘氷魚に話してみよう。




