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この怪異は誰のもの?  作者: イゼオ
第八章 鳴城の置いてけ堀
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幸せの条件

 いさなとかなで、そして耀太ようたを招いた日曜日のたちばな家の食卓は、盆や正月でもないのにちょっとした宴の様相を呈していた。

 氷魚ひおの両親のはしゃぎようは、半端なものではなかった。

 2人とも、はっきりそれとわかるほどテンションが高いわけではない。表面上は落ち着いている。だが、テーブルに所狭しと並べられた料理の山が、母の張り切りっぷりを物語っていた。

 ビーフシチューにパエリア、ミートソーススパゲッティに、海鮮サラダ、氷魚がパン屋で買い占めてきたバゲット、などなど。

 氷魚と姉も手伝ったが、母の勢いについていくので精一杯だった。

 父は父で朝からオーブンフル稼働でクッキーやブラウニーを焼き上げていた。

 母の料理にも使われたオーブンは、文句ひとつ言わず働いてくれたようだ。付喪神だったらストライキしていたかもしれない。

 それにしても、2人とも作りすぎではないだろうか。

 おいしそうな料理もお菓子も、これだけずらりと並べられると見ているだけで胸焼けしそうになる。

 でも、これは2人の厚意の表れなのでありがたく思う。

 耀太と、少し遅れたが奏の歓迎会がしたいと氷魚はいさな、奏、耀太を橘家に招待したのだった。当初の予定とは違うが、耀太も呼べたのでかえってよかった。

「これは圧巻ですね」

 料理を前にした耀太が目を輝かせる。

「たくさん食べていってね」と母が微笑んだ。

「はい!」

 耀太は屈託のない笑顔を浮かべた。今日は尻尾は出ていない。どうやら、自分の意思で出したり引っ込めたりできるようだ。

 耀太は奏の親戚だと説明している。事情は一切知らない母だったが、何か察するところがあったのか、耀太に向けるまなざしは柔らかみを帯びていた。

「腕が鳴るわね」

 氷魚の隣でいさなが呟いた。顔つきが大食いバトルに挑む挑戦者のそれだった。

「鳴るのは腕じゃなくて腹だろ。全部食ったりするんじゃねえぞ」

 姿の見えない凍月が小声でぽそりと言う。

「しないよ?」

「――あの、橘くんのお母さん」

 奏が、テーブルの上のある一点を見つめながら言った。

「よければ美奈藻(みなも)って呼んで。奏ちゃん」

「だから距離の詰め方!」

 氷魚の突っ込みにも、2人はお構いなしだった。ちなみに奏は眼鏡をかけていない。なので、母は完全に奏をカナカナとして認識している。その上でこの接し方なのだ。母は強い。

「では、美奈藻さん。このパイは一体?」

 テーブルの上で異彩を放つそれは、誰もが見て見ぬふりをしていた一品だった。

 一見したところ、パイである。生地だけ見れば、ではあるが。

 母が奏の疑問に答えた。

「スターゲイジーパイよ」

「星を見る」の名の通り、5つのイワシの頭部がパイ生地から顔をのぞかせ、天を仰いでいた。

 初めて見た時には、正しく未知との遭遇だと思った。世界は本当に広く、知らない料理が星の数ほどある。そんなことを考えさせられる。

「え?」

「え?」

 どうやら、奏と母の間で何か重大な認識の齟齬が発生しているようだった。

「奏ちゃんのお母さんって、イギリスの方なのよね」

 母が確認作業に入る。

「そうです」

 ただし吸血鬼である、と奏は心の中で付け加えたかもしれない。

「スターゲイジーパイはイギリスの伝統料理って聞いたんだけど。奏ちゃんのお母さん、作ったりはしなかった?」

 イギリスのコーンウォール発祥だと、氷魚もネットで調べて初めて知った。

「いやあ、作ってもらった記憶はないですね。というか、初めて見ました」

 由緒正しい吸血鬼がこのパイを作っていたら、それはそれで面白いと思う。

「ああ、奏ちゃんは日本育ちだものね」

 母は納得したようにうなずいた。

「そういう問題?」と水鳥が呟く。

 ともかく、イギリスの伝統料理を作ってもてなそう、という母の気持ちは奏に伝わったらしい。

 奏は笑みを浮かべて、「食べるのが楽しみです」と言った。

「安心して、弓張さん。見た目はともかく、味はいいと思うから」と姉が言った。

 数多の料理レシピサイトを巡り、母が作り上げた料理だ。姉の言う通り、そこは信頼できる。

「ちょっと水鳥、見た目だっていいじゃない。ね、かわいいわよね、いさなちゃん」

 母は傍観者を決め込んでいたいさなに矛先を向けた。意図してか、それとも天然か、おそらくは後者だ。

 完全に不意を打たれたいさなはわかりやすく狼狽した。

「――え、あ、そ、そうですね。かわいいと思います。その、口のところとか」

 氷魚はつい笑ってしまう。

 顔を赤らめたいさなが恥ずかしそうにうつむく。

「さあ、冷める前に食べましょうか」

 母の一言で、食事が始まる。


 玄関のドアを開けると、外は夕焼けだった。

 耀太を背負った奏が頭を下げる。いつの間にかソファーで眠ってしまっていたのだ。

「今日は本当にありがとうございました。お料理、おいしかったです」

「こちらこそありがとうね。映画の話、たくさんできて嬉しかったわ」

 奏と映画の話を始めた母は止まらなかった。氷魚も姉もついていけず、途中で抜けていさな、耀太とテレビゲームをしていたのだ。

 奏は耀太を片手で押さえ、眼鏡をかける。

 母は何度か瞬きした後、にこりと笑って、「また来てね」と言った。

 母に挨拶し、奏たちは橘家を出る。

 スニーカーを履いて、氷魚も外に出た。奏に背中を向けて、かがみこむ。

「どうしたの?」

「耀太くん、おれが背負うよ」

「だいじょうぶ。全然重くないから」

 忘れたわけではないが、奏は力持ちなのだ。氷魚を軽々お姫様抱っこできるくらいに。

「でも、おれ、今回何もできなかったし」

 せめてそれくらいは手伝いたい。

「そんなことないよ。今日、こうして呼んでくれたの、嬉しかったし。他にもいろいろ――そうですよね、先輩」

「うん」といさながうなずく。「そうだね」

 まるで実感がなかった。ただ付き添っていただけなのに。

「とにかく、耀太くんはあたしに背負わせて」

 どうやら譲る気はないらしい。氷魚は「わかった」と立ち上がる。

「あ、だったら、送っていってくれるかな。先輩、いいですか?」

 なぜかそこで奏はいさなに確認を取った。

「わたしは、別に……」

「――じゃあ橘くん、お願いしてもいい?」

「う、うん。それじゃいさなさん、また、学校で」

「ええ、またね」

 帰り道が逆方向のいさなと別れ、氷魚は奏と一緒に駅の方へと足を向けた。

 奏の住まいは駅近くのマンションらしい。

 奏の実家は泉間にあり、鳴城には1人で引っ越してきたと聞いている。

「橘くんのお母さんって、不思議な人だね」

 ゆったりとした歩調で歩きながら、奏は言った。

「……まあ、そうだね」

 その通りなので、否定できない。

「眼鏡をかけても、あたしをあたしと認識していたみたい」

「あ、そっち?」

「――?」

「いや、なんでも。――っていうか、目の前でかけたからじゃないの? おれもずっと弓張さんだって認識してるし」

「そうなのかな? この魔導具、自分で使っているくせに、どういう仕様かよくわかんないんだよね。――ま、いっか」

 奏は軽く流してしまった。いいのだろうか。

「耀太くんとの新生活は、どう?」

 気を取り直して、氷魚は尋ねた。

「家具や服を揃えたばっかりで、これからって感じかな。広めの部屋を借りておいてよかったよ。あ、来週から小学校に通うんだ」

「小学校? 手続きとかは?」

「お師匠が手を回してくれた。必要な書類も偽ぞ……用意してくれたし」

 さすが茉理である。抜かりがない。

「でね、耀太くん、めちゃくちゃ料理がうまいの。家事は当番制にしたんだけど、あたし、料理はしないほうがいいかも」

「ドラマでは上手そうに見えたけどね」

「実際は悲惨なものよ。まあ、指を切ってもすぐに治るからいいけど」

 こういう時、やはり奏にはあやかしの血が流れているのだなと感じる。

 奏はちらと背負っている耀太に顔を向けた。かわいらしい寝顔だ。

「耀太くんには、幸せになってほしい。普通に学校に行って、普通に大きくなって、普通に就職――はどうかな。やっぱり協会のお仕事に就くのかな。とにかく、そんな感じで」

 奏の耀太を思う気持ちは本物だ。

 ただ、どうしても、氷魚はある一点が気になった。

「弓張さんもだよ」

 奏の言葉には、自分自身のことが含まれていない気がしたのだ。

「え?」

「耀太くんだけじゃなくて、弓張さんも、一緒に幸せになるんでしょ」

 奏はぴたりと足を止めた。自信なさげに、

「……今のあたし、幸せそうに見えないかな」と言う。

 氷魚は肯定も否定もしなかった。代わりにこう言った。

「幸せの条件って、人それぞれじゃないかな」

 もし、奏が女優の仕事を続けたいと望むのなら、それが彼女にとっての幸せになるための条件だろう。だが、そうじゃないのなら、自分で見つけるしかない。

「そう、だね。――うん」

 奏は耀太を背負いなおした。そうして、再び歩き出す。

「あたし、まだ気持ちの整理がついてないっていうのを言い訳にして、色々宙ぶらりんにしてた。お師匠と、あと、マネージャーとよく話してみる」

「それがいいと思うよ。何かあったら、おれでよければいつでも話を聞くから。ファンとしてじゃなくて、その――友達として」

「あれ、橘くん。自分で言って照れてる?」

 奏の指摘に、氷魚は耳まで赤くなるのを感じる。

 駅と、大きなマンションが見えてきた。氷魚はこれ幸いと、逃げに入る。

「家の前まで行くのは悪いし、おれはこの辺りで帰るね」

「えー、いいのに。お茶でも飲んでいってよ」

 明らかにからかわれている。

「それじゃまた、学校で」

 早口で言って、氷魚は踵を返した。逃げるが勝ちだ。

「橘くん! またね!」

 背中に奏の声を受けて、氷魚は振り向く。奏が笑顔で手を振っていた。氷魚は笑ってうなずく。

 そうして、もう鳴城で置いてけ堀の話を聞くことはないだろうと思いつつ、氷魚は帰路に着いた。



 鳴城の置いてけ堀 終


 鳴城で置いてけ堀の話をやったらどうなるかな、という軽い気持ちで書き始めたのですが……気づいたらこうなっていました。


 これまでとはだいぶ違う雰囲気の話になった気がしますが、楽しんでいただけたでしょうか。

 

 次は9章ですが、いくつか書きたい話があって、どれを書くかまだ決まっていません。

 なので、投稿はちょっと間が空いて7月くらいになるかと思います。

 9章投稿の際には、またお付き合いいただけると嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 奏氏のお姉ちゃん力にはにっこり頬が緩んでしまいましたな\(__) [一言] 奏氏の禍根、まぁエンタメ系だと聞く話ではありますが一個人にトラウマを与えるには充分なものであり良くも悪くもこの世…
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