置いてけ堀愛歌
いつから控えていたのか、全然気がつかなかった。
「耀太くん……。どこから聞いてたの?」
「母上が帰ってからすぐなので、ほぼすべてです。すみません。盗み聞きする形になってしまって」
神妙な顔つきで耀太は言った。子どもに聞かせるには際どい部分もあったが、耀太がどういう風に受け止めたかはわからない。
「そっか。だったらもうこの場で訊くね。耀太くん、鳴城で、あたしと一緒に暮らさない?」
おそらくは意識してなのだろう。奏は明るい調子でさらりと言った。
「返事をする前に、お尋ねしてもいいでしょうか」
「どうぞ」
「奏殿にとって、拙者は巴菜殿の代わりなのですか?」
耀太は奏の目を見て尋ねた。
重い問いかけだった。耀太の顔つきからは、彼の覚悟が見て取れた。避けては通れない問いなのだということが伝わってくる。
奏は真っ向から耀太の視線を受け止めた。
「違うよ」
奏の答えはこの上なく簡潔で、しかし力強かった。
「巴菜の代わりはいないし、耀太くんの代わりもいない。あたしの目を見ればわかるはずだよ。きみは、さとりに近い力を持ってるんだから」
「気づいていたのですか」
「ついさっきね。朝霞さんの話を聞いて、そうなんだろうと思った。耀太くん、気が利きすぎるから」
言われて合点がいった。耀太の気配りは、耀太が持つ力に由来していたのだ。
「……叔母上たちには疎まれました。親子そろってさとりでもないのにと。母上はどうなのか知りませんが、拙者は心の声が聞こえるわけではありません。ただ、なんとなしに気持ちがわかるくらいです。その力を使って、不快な思いをさせないように努めていたのですが、逆効果だったようです。そして、そのことに気づいた時にはもう、叔母上たちとの関係はどうしようもなくなっていた」
耀太は目を伏せた。
行き過ぎた気遣いは、耀太の叔母たちには負担になったのかもしれない。
耀太はただ相手を思いやっていただけなのに、どうしてすれ違ってしまうのだろう。
「奏さんの言葉に偽りはありません。ありがたいと思います。……ですが、拙者は怖いのです。近しい相手を傷つけてしまうことが」
「耀太くん、顔を上げて、もう一度あたしの目を見て」
「しかし……」
「いいから、見て」
耀太は恐る恐る顔を上げる。そして奏の紅い目を見た。
「あたしの気持ちはわかるよね。朝霞さんの気持ちも」
朝霞の気持ち――
ああそうかと氷魚は思う。
耀太が人の気持ちを読み取れるのなら、朝霞の言葉の裏にあったものも読み取ったに違いない。
朝霞はきっとこう願ったのだ。
幸せになってほしい、と。
それは、朝霞では叶えることができなかった願いだ。
「はい、わかります」
耀太はうなずいた。
「その上で、口に出して言うよ。あたしは至らぬところばっかりで、耀太くんにたくさん迷惑をかけると思う。お母さんにはなれないし、お姉さんとしてもちょっとあやしい。もしかしたら、一緒に暮らすのにもっとふさわしい誰かがいるのかもしれない。でも……それでもね、あたしは、耀太くんに手を伸ばしたいんだ。――耀太くんは、どうかな」
奏の横顔の美しさに、氷魚は息を呑んだ。
芝居や演技ではない。彼女が発したのは、弓張奏としての、生の声だった。
耀太は居ずまいを正した。
「奏さん。もし、一緒に暮らすとしたら、ぼくの方こそきっと奏さんにいっぱい迷惑をかけます。嫌な思いをさせてしまうかもしれない。そうなったらぼくはつらいし、奏さんはもっとつらいと思います」
奏が身体をこわばらせた。断られると思ったのかもしれない。奏が何か言おうと口を開きかけたところで耀太が「ですが」と、続ける。
「至らぬところがあれば直します。いい同居人になれるように努めます。だから……だから、ぼくの手をつかんでくれますか」
奏は何度か目を瞬かせた。潤んでいるように見えるのはたぶん気のせいではない。
そして奏は微笑んで、こう言った。
「――ええ、喜んで」




