置いてけ堀哀歌⑲
「いさなさん。耀太くんは、これから……?」
氷魚が訊くと、いさなは難しい顔で言った。
「この家でずっと面倒を見るわけにはいかないわ。兄さんはともかく、さすがに父さんが許してくれないから。かといって、元のように遠野で暮らすのも難しいでしょうね」
自分は、何かできないのか。
何もできない。考えても、思いつかない。
朝霞と耀太の件に関して、氷魚は徹底的に無力だった。最初から、おそらくは最後まで。
「じゃあ……」
「耀太くんと一緒に暮らしてもいいっていう隠れ里のあやかし夫婦たちを、すでに何組か見つけてる。あとは実際に耀太くんと会ってもらって、ってところかな。鳴城や泉間からは離れちゃうけど」
手際がいい。いさなは、耀太と朝霞が一緒に暮らすのは無理だと事前に予想していたのだろう。その上で、すでに行動していた。
「遠いんですか?」
「うん。戸隠とか出雲、高千穂だね。本当はもっと近場がよかったんだけど、見つからなかったの」
どこも遠い。戸隠は長野県だし、出雲は島根県、高千穂に至っては九州の宮崎県だ。
馴染みのない見知らぬ土地で、耀太はうまくやっていけるのだろうか。
「――あの、先輩」
意を決したように、奏が口を開いた。
「あたしじゃ、駄目でしょうか」
氷魚は、奏が何のことを言っているのかわからなかった。いさなも氷魚と同じだったようだ。
「駄目って、何が?」
いさなの問いに対する奏の答えは、その場にいる全員の度肝を抜くものだった。
「耀太くんと一緒に暮らすことです」
「――え?」
いさなと氷魚の声が重なった。
姿を現した凍月が、奏を見上げて言う。
「本気で言ってんのか。犬猫を引き取るのとはわけが違うんだぞ。あいつが半分妖狐だからって、同様に考えてねえだろうな」
「本気で言ってます。朝霞さんの家に行ってから、ずっと考えてたんです。あたしにできることはないかって」
「だからって、極端すぎるだろ」
「父も母も、いいって言ってくれました」
「は? おいおい、マジか」
「マジです。ウェブカメラ越しですけど、何回も話し合って、最後には納得してくれました」
ここ最近の奏がずっと考え込んでいたのは、それが理由だったのかと思う。
氷魚の知らないところで、いさなだけではなく、奏もまた行動していたのだ。
2人ともすごいなと思う。年齢だけで言えばさほどの違いはないのに、氷魚よりもずっと大人だ。
「小童を引き取る理由は?」
凍月が訊いた。
「おまえと同じ半妖だからとか、小童がかわいそうだからとか、脊髄反射みたいな同情心からじゃねえよな?」
「父と母にも同じことを訊かれました」
「おまえはなんて答えたんだ」
「それもあるだろうけど、違う、と」
「だったら――」
「伸ばせば届く手があるのに、伸ばさないのは嘘だ。あたしはそう答えました。凍月さんの問いにも、同じ答えを返します」
「その理屈だと、溺れているやつ全員は救えねえな」
「そうかもしれません。でも、今回は違う。あたしの手は届くんです」
「……」
「早良巴菜」
不意に、奏は氷魚が聞き覚えのある名を口にした。
「――あん?」
「あたしはあの子に手を伸ばせなかった。もう二度と、あんな思いはしたくない」
「……早良巴菜、どっかで聞いたことがある名前だな」
「女優さんですね。1年くらい前に亡くなってます」氷魚は言った。
確か奏と同じ事務所に所属していたはずだ。奏が泣きはらした目でインタビューを受けていたのを思い出す。その後しばらくして、奏は一切テレビに出なくなったのだった。
「――ああ、思い出したぞ。一時ワイドショーを賑わしてたな。自殺したんだったか」
「はい。ドラマの、彼女が演じるはずだったヒロインと同じ方法で」
「『あなただけに見えればいい』だったね」いさなが言った。
ベストセラーになった小説が原作で、人生に絶望して自殺したヒロインが、幽霊になって主人公の青年と一緒に日常の謎を解いていく話だ。
青年と接するうちにヒロインの強張った心が徐々にほぐされていく展開に涙した人も多いと話題になっていた。
ドラマはお蔵入りになったが、主演女優の自殺、それも原作と同じ方法で、という衝撃的な出来事が世間の耳目を集め、元々人気だった原作小説がさらに売れたという。
「それが小娘と何の関係があるんだよ」
「巴菜は事務所でのあたしの後輩で、歳もひとつしか違わなくて、あたしによく懐いてくれてました。あたしも本当の妹みたいに思ってた。――巴菜は、演技はうまいんだけど、役に恵まれなくて、なかなか日の目を見なかったんです。子役を卒業してから、巴菜は大役をつかもうと焦っていました。そんな巴菜にとって、ドラマのヒロインを演じることはまたとないチャンスだった。なのに……」
奏は言葉を詰まらせる。
「主演が決まったタイミングで自ら命を絶つのはおかしい、と?」
いさなが後を引き取って言った。
「……はい。彼女が亡くなったと知った時、あたしもそう思いました。何かの間違いだ。ひょっとしたら、巴菜は殺されたんじゃないかって」
「他殺だったの?」
いさなの問いに、奏はかぶりを振る。
「状況から、事件性はないと警察は判断したようです。あたしは信じなかった。けど、信じざるを得なくなった」
奏が拳を握りしめた。抱えた怒りを凝縮しようとしている。そんな握り方だった。




