置いてけ堀哀歌⑱
しばらくの間、誰も何も言わなかった。
感動の親子の再会を予想していたわけではない。それでも、こんなに苦い結果になるなんて、思ってもいなかった。朝霞は一体どういうつもりだったのか。氷魚たちには言わなかっただけで、さっきのが朝霞の本心だったのだろうか。
わからない。
「――さて」とハンドバッグを手に取り、朝霞が立ち上がる。
「言うべきことは言ったし、そろそろお暇させてもらおうか。私が帰ったら、塩でも撒いといておくれ」
踵を返そうとする朝霞に、奏が声をかけた。
「朝霞さん、あんまり演技がうまくないですね。耀太くん、たぶん気づいてますよ。朝霞さんの本心から出た言葉じゃないって」
「演技……?」
氷魚は呆然と呟く。何かおかしいとは思っていたが、あれは朝霞の演技だったのか。とてもそうは見えなかったが。
「大根役者で悪かったね。そういうあんたはなに様なのさ。奇妙な眼鏡なんてかけて」
朝霞はじろっと奏をにらみつけた。演技というのは否定していない。
「失礼しました。名乗っていなかったですね」
奏は眼鏡を外す。朝霞は目を瞠った。
「うそでしょ……」
「弓張奏と申します。今は協会に所属しています」
「なんであの弓張奏が……。あんた、女優だよね」
「あたしの父は人間ですが、母は吸血鬼なんです。耀太くんと同じ半妖ですね。だから、というわけでもないんですが、色々あって、ここにいます」
しばし唖然としていた朝霞だったが、
「そうかい。本職に言われたんじゃ、ぐうの音も出ないね。事前に演技指導でも頼めばよかったかね」と、おどけたように言った。
「どうして、あんな心にもないことを言ったんですか」
朝霞は観念したのか、重いため息をついた。
「……あの子の目の中に、期待を見ちまったからさ」
「――?」
「さとりとまではいかないが、私は、目を見るとある程度相手の気持ちがわかるんだ。仕事じゃ役に立つけど、知りたくない時もある。今みたいにね」
「……耀太くんは、何を期待したんですか」
「母親としての振る舞い」
「あ……」
「耀太は、心のどこかで思ってしまったんだろうね。もしかしたら、一緒に暮らせるんじゃないかって。でもそれは絶対に無理で、仮に実現したとしても耀太が不幸になるに決まっているから、私はああ言うしかなかった」
耀太は、母親と一緒に暮らすことは望まないと言った。嘘ではないのだろう。でも、心のどこかで期待したのだ。成長した自分を見た母親が、一緒に暮らそうと言ってくれることを。
氷魚は胸が詰まった。
たった11歳の少年なのだ。母親と離れて暮らすことがつらくないわけがない。
「だから、これ以上、耀太くんを傷つけないために……」
朝霞は明確な拒絶をするしかなかった――
朝霞は寂しげに笑うと、踵を返す。
居間を出ていく直前、足を止めた朝霞は「ああ、そうだ」と振り向き、奏に目を向けて言う。
「ダンピールのお嬢さん、あんたもなかなか溜め込んでいるみたいだね。抱え込むばっかりじゃ、いずれ破裂するよ」
「え……?」
それから朝霞は氷魚に視線を移した。
目が合ってどきりとした。深い水の中を思わせるような目だ。
「あんたは――」
「はい?」
「なんでもない。言うだけ野暮だね」
一体、朝霞は自分の目の中に何を見たのか。知りたいけど、知るのは怖くもある。だから朝霞が何も言わなかったことに、氷魚は少し安心した。
そして朝霞は最後にいさなに目を向ける。
「いろいろ、ありがとうね」
「いえ……」
いさなは力なくかぶりを振る。
「そんな顔をしないでよ。これでよかったのさ。あんたが動いてくれなきゃ、耀太も私も止まったままだったろうから」
「あの、耀太くんの今後は」
「今更母親面なんてできないし、するつもりもない。後は任せるよ」
ひらりと手を振って、朝霞は軽やかに去っていった。




