置いてけ堀哀歌⑯
「でも、朝霞さんはわたしの母親とは違うと思います」
「どうして?」
「話していればわかります。朝霞さんは、耀太くんのことを気にかけていますよ」
「私が?」
朝霞は意外そうな顔をする。
「はい」といさなはうなずく。
それは氷魚も感じていた。会話の節々に、耀太への気遣いが見え隠れしていたからだ。
「……でも、私は耀太を置いてけぼりにしたんだよ」
「自分では育てられないから信頼できる誰かに託す、というのも、親としての責任の取り方の1つだと思います」
「だとしても、そんなの、私の都合だよね。耀太は姉さんたちによくしてもらってないんだろ。じゃなきゃ、家出なんてしない」
一理ある。耀太は叔母によく思われていないと言っていた。
「耀太くんがどう思っているかは、耀太くんにしかわからない。一度、話してみてはどうでしょうか。その方がお互いすっきりするはずです。今後の耀太くんの身の振り方は、それから考えればいい」
いさなはよどみなく言った。この流れを予想していたのかもしれない。
「あんたはどうだったの」
思わぬ切り返しだったのか、いさなは目を瞬かせた。
「――え?」
「あんたは、母親と腹を割って話したのかい?」
「あ……いえ。わたしは、その機会すら与えられませんでした」
いさなの顔が、一瞬ひどく幼く見えた。いさなにとって、朝霞の問いは不意打ちだったのかもしれない。
「もしかして、あんたの母親は、もう……?」
「生きてます。父と一緒に、元気に世界中を飛び回っていますよ」
「なんだ。だったら、まだ機会はあるじゃないか」
「そうだといいですね」
いさなは寂しげな笑みを浮かべた。そんな機会は未来永劫訪れないと確信しているような笑みだった。
「――って、今は私と耀太の話だったね」
「会って、話していただけますか」
「そうだね。その方がいいかもしれない」
「では、耀太くんをここに連れてきても?」
「いや、私の方から出向くよ。あの子には私の生活を見せたくないんだ。耀太はあんたの家にいるんだよね」
「はい。ご希望であれば、朝霞さんの指定の場所でも構いませんが」
「これ以上手間を取らせちゃ悪い。あんたの家にお邪魔させてもらうよ」
「わかりました」
いさなはバッグから手帳を取り出すと、ペンを走らせてページを破った。
「遠見塚の家の住所と電話番号です」
「ありがとう。しかし、妙な言い方だね」
「そうですか?」
「うん。普通、自分の家だったら『わたしの家』じゃないか?」
確かに、いさなが遠見塚家のことを言う時には、「わたしの家」ではなく、「遠見塚の家」を使う時の方が多い。いさなにとって、あの家はもはや帰るべき家ではないのだろうか。
氷魚が知る限り、いさなはあの家に入る際に「ただいま」を言ったことがない。挨拶を欠かさないいさなにしては珍しいなと思ったのでよく覚えている。
春夜のこと、彰也のこと、そして両親のこと――
いさなは、あの家にどういった感情を抱いているのだろう。
「――ああ、そう……。そうかもしれませんね……。今は住んでいるわけじゃないから、そういう言い方になったのかもしれません」
いさな自身は、どうやらあまり意識していなかったようだ。
「あんたも色々あるみたいだね」
言って、朝霞は壁にかかった時計に目を向ける。
「ごめん。そろそろ支度をしなきゃいけない。できるだけ早く都合をつけて電話をさせてもらうよ」
「――はい、お待ちしています」
そうして、氷魚たちは朝霞の家を辞した。
外はすでに薄暗い。
3人は言葉少なにバス停への道を歩く。
耀太を置いていった朝霞という妖狐を、氷魚は冷たいあやかしなのかもしれないと思っていた。
でも、傍らで話を聞いているうちに、朝霞も悩んでいたのだと知った。
朝霞は、きっと悪くない。無責任だという人もいるかもしれないが、氷魚はそうは思わない。
朝霞は朝霞として母親の責任を果たそうとしている。それは間違いない。
あやかしだからとか、そういうのは関係ない。
母親として悩んで、悩み抜いた結果が耀太と離れることだったのだと思う。
あとは、耀太だ。
どうなるのが、耀太にとって一番いいのだろう。
朝霞と耀太の話し合いがいい結果になることを、氷魚は強く願った。




