置いてけ堀哀歌⑮
「さっき、耀太が置いてけ堀の真似事をしてたって言ってたけど」
「腹を空かせて、釣り人からザリガニを巻き上げてたんだよ。狐火で焼いて食ってたぜ」
「ザリガニ……。隠れ里にいれば、少なくとも飢えずには済んだのに」
朝霞は口元を押さえる。
「腹は満たされても、母の愛情には飢えてたんじゃねえか」
「……っ」
「耀太くんは、あなたに会いたいそうです」
いさなが静かな口調で言った。
「会ってどうしようっていうの。私と一緒に暮らしたいと?」
「いいえ。耀太くんは、あなたが自分を置いていったのには事情があるのだろうから、一緒に暮らすのは望まないと言っていました」
「……そう。ずいぶんとしっかりした子に育ったね。私に似なくてよかったよ」
朝霞は寂しそうに笑う。はっとするほど、耀太の笑い方によく似ていた。
「耀太くんは、ただ、訊きたい、と」
「何を?」
「あなたが耀太くんを置いていった理由です」
「――理由って、そんなの、あの子を愛せなかったからに決まってるのに」
一拍置いて、朝霞は言った。
子を愛せない親もいる。だから虐待や育児放棄のニュースはテレビからなくならない。
そういうことがあると知ってはいても、氷魚には子を愛せない親の気持ちがうまく想像できない。普段は意識しないが、自分が親に愛されているからだと思う。
「だったら、会って、耀太に直接言ってやれよ」と凍月が言う。
「ずいぶんと酷なことを言うね。どのツラ下げて会えっていうのさ。そっちからうまく伝えておいてよ」
「おまえの口から聞かねえと、あいつは納得しねえよ。誰に似たんだか知らねえが、しっかりしたガキだからな」
「言ってくれるね、小さな大妖怪」
朝霞が迫力のある目で凍月をにらみつける。氷魚の背筋が寒くなった。やはり朝霞もあやかしなのだと実感する。
凍月は、一歩も引かなかった。
「ああ、言うぜ。なりはでかくても子育てできない妖狐さんよ」
2人はしばしにらみ合っていたが、朝霞がふいと目を逸らした。
「……私だって、努力はしたんだ」
自分に言い聞かせるように呟く。
「どうしてですか」と言ったのは、奏だった。
「え?」
朝霞はそこで初めて奏の存在に気づいたかのように、奏に視線を向ける。鳴城からここまで、奏はずっと眼鏡をかけたままだった。
「耀太くんを愛せなかったのは、どうしてですか。人の血が混じっているからですか」
責めるような口調ではない。頑なな心をほぐすような、穏やかな声音だった。
だからだろうか、朝霞はゆるく首を振り「――人の血は関係ないよ」と心情を吐露するように言った。
「耀太の父親は、私が一時でも好きになった人間だから」
「耀太くんの父親は、今は?」
「さあ、どこで何をしているやら。私が耀太を産んだことも知らないだろうね」
「協会の関係者ですか? それとも、カタギの?」
「協会の調査員。全国の隠れ里を回って、問題がないか調べてるって言ってた。私の里にいたのはほんの2週間かそこらだったね」
「それで朝霞さんと出会ったんですね」
「そう。口下手だけど、いい男だったよ。朴訥で、自分を飾らない人間だった」
朝霞は口元を緩める。
「協会に確認すれば、身元がわかるのでは?」
「別に私はあの人と所帯を持ちたいわけじゃない。そんな自分は想像できないね。私は身軽でいたいのさ」
「身軽? だから、耀太くんと距離を置いたんですか?」
奏の問いに、朝霞は考え込むような顔になる。
「――どうなんだろう。お腹を痛めて産んだ子だもの。愛そうとはしたよ。でも、駄目だった。どうやっても愛情を抱けないの。自分でも、はっきりした理由がわからないんだよ。あの人の血も間違いなく流れてるっていうのに、あの子を育てたいとはどうしても思えなかった。身軽でいたいから、というのとは、また別の理由な気がするよ」
「そうですか……」
返す言葉がなかったのか、奏はそれきり黙り込んだ。
奏を見ていれば自然とわかるが、彼女は両親の愛情をたっぷりと受けて育っている。だから、朝霞の気持ちがうまく想像できなかったのだろう。そしてそれは氷魚も同じだった。
「母親でも、自分の子を愛せないというのはあると思います。理由なんてなしに」
そう言ったのはいさなだった。朝霞は唇の端を釣り上げる。
「わかったような口をきくね、お嬢ちゃん。あんた、子どもを産んだ経験があるのかい」
「ありません。でも、わかります。わたしの母親がそうだから」
思わぬ言葉だったのか、朝霞は虚を衝かれたような顔になった。
「わたしの母親はわたしに関心がないんです。おそらく、彼女は子どもに愛着が持てないのでしょう。それはもう最初からそういう性質なんだと割り切るしかない。じゃないと苦しいだけです。子も、親も。子育ての途中で愛情を抱く場合もあるんでしょうが、わたしの母は徹頭徹尾無関心だった。」
淡々と、いさなは朝霞の目を見つめながら言う。
いさなが自分の母親のことを話すのは珍しい。何かしら確執があるのだろうとは思っていたが――
ネグレクトとまではいかなくても、それに近い状態だったのかもしれない。




