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この怪異は誰のもの?  作者: イゼオ
第八章 鳴城の置いてけ堀
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置いてけ堀哀歌⑮

「さっき、耀太ようたが置いてけ堀の真似事をしてたって言ってたけど」

「腹を空かせて、釣り人からザリガニを巻き上げてたんだよ。狐火で焼いて食ってたぜ」

「ザリガニ……。隠れ里にいれば、少なくとも飢えずには済んだのに」

 朝霞あさかは口元を押さえる。

「腹は満たされても、母の愛情には飢えてたんじゃねえか」

「……っ」

「耀太くんは、あなたに会いたいそうです」

 いさなが静かな口調で言った。

「会ってどうしようっていうの。私と一緒に暮らしたいと?」

「いいえ。耀太くんは、あなたが自分を置いていったのには事情があるのだろうから、一緒に暮らすのは望まないと言っていました」

「……そう。ずいぶんとしっかりした子に育ったね。私に似なくてよかったよ」

 朝霞は寂しそうに笑う。はっとするほど、耀太の笑い方によく似ていた。

「耀太くんは、ただ、訊きたい、と」

「何を?」

「あなたが耀太くんを置いていった理由です」

「――理由って、そんなの、あの子を愛せなかったからに決まってるのに」

 一拍置いて、朝霞は言った。

 子を愛せない親もいる。だから虐待や育児放棄のニュースはテレビからなくならない。

 そういうことがあると知ってはいても、氷魚ひおには子を愛せない親の気持ちがうまく想像できない。普段は意識しないが、自分が親に愛されているからだと思う。

「だったら、会って、耀太に直接言ってやれよ」と凍月いてづきが言う。

「ずいぶんと酷なことを言うね。どのツラ下げて会えっていうのさ。そっちからうまく伝えておいてよ」

「おまえの口から聞かねえと、あいつは納得しねえよ。誰に似たんだか知らねえが、しっかりしたガキだからな」

「言ってくれるね、小さな大妖怪」

 朝霞が迫力のある目で凍月をにらみつける。氷魚の背筋が寒くなった。やはり朝霞もあやかしなのだと実感する。

 凍月は、一歩も引かなかった。

「ああ、言うぜ。なりはでかくても子育てできない妖狐さんよ」

 2人はしばしにらみ合っていたが、朝霞がふいと目を逸らした。

「……私だって、努力はしたんだ」

 自分に言い聞かせるように呟く。

「どうしてですか」と言ったのは、かなでだった。

「え?」

 朝霞はそこで初めて奏の存在に気づいたかのように、奏に視線を向ける。鳴城からここまで、奏はずっと眼鏡をかけたままだった。

「耀太くんを愛せなかったのは、どうしてですか。人の血が混じっているからですか」

 責めるような口調ではない。頑なな心をほぐすような、穏やかな声音だった。

 だからだろうか、朝霞はゆるく首を振り「――人の血は関係ないよ」と心情を吐露するように言った。

「耀太の父親は、私が一時でも好きになった人間だから」

「耀太くんの父親は、今は?」

「さあ、どこで何をしているやら。私が耀太を産んだことも知らないだろうね」

「協会の関係者ですか? それとも、カタギの?」

「協会の調査員。全国の隠れ里を回って、問題がないか調べてるって言ってた。私の里にいたのはほんの2週間かそこらだったね」

「それで朝霞さんと出会ったんですね」

「そう。口下手だけど、いい男だったよ。朴訥ぼくとつで、自分を飾らない人間だった」

 朝霞は口元を緩める。

「協会に確認すれば、身元がわかるのでは?」

「別に私はあの人と所帯を持ちたいわけじゃない。そんな自分は想像できないね。私は身軽でいたいのさ」

「身軽? だから、耀太くんと距離を置いたんですか?」

 奏の問いに、朝霞は考え込むような顔になる。

「――どうなんだろう。お腹を痛めて産んだ子だもの。愛そうとはしたよ。でも、駄目だった。どうやっても愛情を抱けないの。自分でも、はっきりした理由がわからないんだよ。あの人の血も間違いなく流れてるっていうのに、あの子を育てたいとはどうしても思えなかった。身軽でいたいから、というのとは、また別の理由な気がするよ」

「そうですか……」

 返す言葉がなかったのか、奏はそれきり黙り込んだ。

 奏を見ていれば自然とわかるが、彼女は両親の愛情をたっぷりと受けて育っている。だから、朝霞の気持ちがうまく想像できなかったのだろう。そしてそれは氷魚も同じだった。

「母親でも、自分の子を愛せないというのはあると思います。理由なんてなしに」

 そう言ったのはいさなだった。朝霞は唇の端を釣り上げる。

「わかったような口をきくね、お嬢ちゃん。あんた、子どもを産んだ経験があるのかい」

「ありません。でも、わかります。わたしの母親がそうだから」

 思わぬ言葉だったのか、朝霞は虚を衝かれたような顔になった。

「わたしの母親はわたしに関心がないんです。おそらく、彼女は子どもに愛着が持てないのでしょう。それはもう最初からそういう性質なんだと割り切るしかない。じゃないと苦しいだけです。子も、親も。子育ての途中で愛情を抱く場合もあるんでしょうが、わたしの母は徹頭徹尾無関心だった。」

 淡々と、いさなは朝霞の目を見つめながら言う。

 いさなが自分の母親のことを話すのは珍しい。何かしら確執があるのだろうとは思っていたが――

 ネグレクトとまではいかなくても、それに近い状態だったのかもしれない。

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