置いてけ堀哀歌⑭
泉間駅は人でごった返していた。休日も込み合うが、平日の夕方も帰宅ラッシュですごいことになるのだと知った。鳴城駅とは規模が違う。
氷魚たちはペデストリアンデッキを渡り、バスターミナルに下りる。いさなが示した乗り場に向かうと、すぐにバスが来た。乗り込めたが、ほぼ満員に近い。ぎゅうぎゅうで息苦しくなる。
バスを降りる頃には、氷魚はだいぶ消耗していた。泉間の人たちは毎日こんな感じで通学、通勤しているのだろうか。都会は大変だ。こんなに人が多い中で、あやかしが暮らしていけるのだろうかと疑問に思う。茉理は泉間に住んでいるらしいが――
「ここから少し歩くよ」
いさなの先導で、氷魚たちは夕暮れの見知らぬ市街地の中を歩く。平日の夕方に知らない場所を歩いているなんて、なんだか不思議な感じがする。
バス停から歩くことおよそ10分、携帯端末の画面を確認したいさなは「ここだね」と足を止めた。きれいなアパートの前だった。
いさなは103号室のチャイムを鳴らした。
「――はい?」
少しして、ドアが開いた。訝し気な顔をした女性が姿を現す。若くて、きれいな女性だった。このひとが耀太の母親なのだろうか。耀太くらいの歳の子どもがいるようには見えない。外見的にも、雰囲気的にも。
いさなはポケットからパスケースを取り出すと、女性の眼前に掲げた。
「妖狐の道下朝霞さんですね。突然訪問してすみません。わたしたちは協会の者です」
女性、朝霞はパスケースといさなの顔を見比べ、「許可証持ちが何の用? 私は退治されるようなことはしてないけど」と言った。
「退治の心配をするところは親子そっくりだな」
姿を現した凍月がいさなの肩に乗る。凍月の姿を見ても、朝霞は驚かなかった。
「親子って……」
「わたしたちは、耀太くんの件で話があって来ました」
「耀太? あの子は遠野にいるはずでしょ。まさか、あの子の身に何かあったの?」
「だいじょうぶ。耀太くんは元気ですよ。今は鳴城の遠見塚――わたしの家で保護しています」
「鳴城? どうして……」
「おまえに会いたかったんだとよ。あいつ、鳴城で置いてけ堀の真似事をしてたぞ」
朝霞ははっとしたような顔になり、それからいさなと凍月の視線から逃れるように目を逸らした。
「――上がってくれる? 少し話がしたいわ」
歓迎する、という感じではないが、ひとまず追い返されるということはなさそうだ。
朝霞の部屋は、驚くくらい物が少なかった。最低限の調度品しかない。
「もっと贅沢な暮らしをしていると思った?」
部屋を見渡している氷魚たちに気づいたのか、テーブルに飲み物を置いた朝霞が言う。
いさなはかぶりを振った。
「仕送りをしているんですよね。あなたのお姉さんの家に、耀太くんの養育費として」
氷魚と奏は顔を見合わせた。全然知らなかった。そういえば、いさなは朝霞について氷魚たちに何ひとつ喋っていない。
「私の足取りもだけど、よくそんなことまでわかったね」
「捜しものが得意な方に頼みました」
「ああそう。やっぱり協会は怖いね」
「同意します」
「……あんた、遠見塚って、あのバケモノ殺しの一族だよね。影無を排出する」
「はい。わたしが今代の影無を務めています」
「驚いた。あんたみたいな女の子が? とすると、このちっこいのが、かの大妖凍月?」
やはり凍月はあやかしの間でも有名なようだ。
「ちいせえっていうのは余計だ。否定できねえけどな」
「あやかしを震え上がらせる遠見塚が、どうして耀太の面倒を見てくれているの?」
「遠見塚といっても、全員が全員、好き好んで退治をしているわけではありません」
「あんたは他の遠見塚とは違うと?」
いさなは無言で出されたコーヒーを飲んだ。
一息ついて、言う。
「必要とあらば刃は振るいます。その意味では、わたしも遠見塚の人間です」
いさなはカップを置く。コーヒーの表面が揺れる。
「どうしようもねえお人好しだけどな。だから家出してきた半妖の小僧も放っておけなくて、面倒を見ちまうのさ。おまけに母親探しまで引き受ける始末だ」
いさなはじろっと凍月をねめつける。凍月はどこ吹く風といった様子だ。
「そうだったの……」
朝霞は物憂げに嘆息した。




