置いてけ堀哀歌⑬
翌日の放課後、学校から帰った氷魚は制服から私服に着替え、家を出た。
自転車を駐輪場に止めて鳴城駅の駅舎に入る。待合室にはいさなと奏の姿は見当たらない。どうやら一番乗りだったようだ。
立ち食いそばを食べる人や、売店で買い物をしている人、椅子に座って携帯端末をいじっている人、鳴高の生徒もちらほら見受けられる。
いつかの猿夢とは違う。日常の、夕方の駅の光景だった。当たり前で、平穏で、でも、とても貴重な光景だと思う。
「氷魚くん、お待たせ」
椅子に座ってぼんやりしていたら、後ろから声がかかった。振り向けば、私服姿のいさなと奏がいる。
「急な話だけど、おうちの人は大丈夫だった?」
「はい。部活関係って言ったら、あっさり」
「なら、よかった」
「にしても、平日のこんな時間に泉間に行くなんて初めてで、ちょっとどきどきしてます」
「そうだね」といさなが微笑む。
休日以外で泉間に行くなんて、滅多にない。
鳴城市民にとって、鳴城にはないものがたくさんある泉間に遊びに行くというのは特別なことだ。
だが、今日は遊びに行くのではない。
昨日の今日だが、早い方がいいだろうということで、これから耀太の母親に会いに行くのだ。時間的に、出勤前には間に合うらしい。
「そろそろ電車が来ますね。行きましょうか」と奏が腕時計で時間を確認して言う。
「あ、待って、駅弁買わなきゃ。2人は?」
「あたしは飲み物を買おうかな」
「おれも」
買い物を済ませ、3人は改札を潜った。到着した電車に乗り込む。
帰宅ラッシュちょっと前だったので、氷魚たちは4人掛けのボックスシートに座れた。いさなと奏が窓際で向き合って座り、氷魚はいさなの隣に腰かける。
いさながさっそく駅弁を広げた。オーソドックスな幕の内弁当だ。
「今回のは旅じゃないけど、駅弁を食べてると旅してるって感じがするよね」
「わかります」
「食べるのが好きって言ってたけど、弓張さんは、仕事でロケに行った時とか現地でいろいろ食べたりしたの?」
「ええ。撮影で一緒になった方に、おいしいお店を教えてもらったりしました。必ずって言っていいくらい、1人は食通がいるんですよ」
「いいなあ」
割と本気で羨ましそうないさなだった。
「先輩も仕事であちこち行くんじゃないんですか?」
「わたしは東北メインだね。先々代は全国からお呼びがかかっていたらしいけど」
「全盛期のジジイは引っ張りだこだったぞ」
いさなの足元から、凍月の声が聞こえた。
「さすがだよね」
「もっとうまい物が食いたいのなら、おまえも早く名を揚げるこったな。ガキの母ちゃん探しをしてる場合じゃねえぞ。金にも名声にもなりゃしねえ」
「凍月だって心配してたくせに」
「……俺は、別に。ああ、そうだ。今はやりのユーチューバーなんかどうだ。バケモノ退治を生配信すりゃあ、一躍有名になれるんじゃねえか」
「いいですね、それ。JKがガチでバケモノとバトってみました、とか」
凍月の冗談に奏が乗っかった。めちゃくちゃ胡散臭く聞こえる企画名だ。
「炎上待ったなしだよ。わたしたちが秩序を乱してどうするの」
凍月と奏の革新的? なアイデアを、いさなはあっさり一蹴した。
バケモノ退治系ユーチューバーなんて、今までも、そしてこれからもきっと現れないだろう。たとえば今まで氷魚が出会った怪異を生配信なんかしたら、画面の向こうはえらいことになる。
もっとも、信じる人の方が少ないかもしれないが。
「まあ、退治はないにしても、友好的なあやかしを紹介するような動画を配信できたら面白そうだとは思いますね。人とあやかしがお互いを理解できれば、あやかしにとって、もう少し住みやすい世界になるんじゃないでしょうか」と奏が言った。
「若者ならではの発想だな。実現は限りなく難しいだろうが、おまえだったら可能性があるかもな」
「あたしが、ですか?」
「そうさ。弓張奏、木に止まって蝉の鳴きまねをしていた小娘が、今やビッグネームだ」
蝉の鳴きまねで氷魚にはぴんと来た。
奏の愛称、カナカナの元になったCMである。蝉の着ぐるみを着た幼い奏が木にしがみついてカナカナ言っていたのだ。確か清涼飲料水のCMだった。
「そ、そのことは言わないでください。っていうか、なんで凍月さんが知ってるんですか!」
「いや俺、テレビ観るの好きだし。おまえ、有名人の過去をほじくり返す系のバラエティであのCMが流れるたびに赤面してたよな」
「大妖怪なのに割と俗っぽい!?」
「わはは。――まあ、おまえに何があったかは知らんが、カナカナだったら、人とあやかしの懸け橋になるのも、あるいは可能かもなって思ったのさ」
「急に真面目になるのはずるいですよ……」
「俺は、人はともかく、あやかしの未来を多少は憂いているからな」
「――」
言うだけ言って満足したのか、それきり凍月は沈黙した。
「弓張さん、凍月の言ったことはあまり気にしないで」
うつむいてスカートを握りしめた奏の手に、いさなはそっと自分の手を重ねた。
奏は「いいえ」と緩く首を横に振る。それから顔を上げ、微笑んだ。
「懸け橋になるなんて、今まで考えたこともありませんでした。あたしにもまだできることがあるかもしれないって、凍月さんのおかげで思えたんです」
そうして、奏はいさなの足元に視線を向ける。
「ありがとうございます、凍月さん。あたし、もっと考えてみますね」
影は何も言わなかった。
ひょっとしたら、と氷魚は思う。
凍月は、人とあやかしがもっとわかり合えるような世界だったら、耀太のような境遇に置かれる子どもはいなくなるはずだと考えたのかもしれない。
正面切って尋ねたとしても、凍月はきっと答えてはくれないだろうが。




