置いてけ堀哀歌③
薊が退室したのを見届けてから、いさなは「みんなは置いてけ堀についてどれくらい知ってる? 鳴城のじゃなくて、オリジナルのね」と言った。
氷魚と奏は顔を見合わせた。それから2人は示し合わせたように星山に目を向ける。
星山は笑って、「お先にどうぞ」と言った。
「おれは、アニメの昔話の知識しかないです。小さい頃に観たのでちょっとあやふやだけど」
「あたしは観たことないな。聞かせてくれる?」
「確か」と氷魚は記憶をたどる。
「男性が置いてけ堀って名前の堀に夜釣りに行って、たくさんの魚を釣るんだ。で、帰ろうとすると、水の中から『置いてけ』って声が聞こえてくる。男性は魚が入った魚籠を持ったまま逃げ出すんだけど、その帰りに女性や蕎麦屋の主人に会うんだ。でも、みんな目も鼻もないのっぺらぼうで、驚いた男性は魚籠を投げ捨ててほうほうの体で自宅に帰り着く。何かあったのかと聞く奥さんに、男性はバケモノに会ったんだと説明する――」
「あ、わかった。奥さんが、そのバケモノはこんな顔だったでしょって言うんだね。そして、奥さんものっぺらぼうだったと」
オチを先に言われてしまった。
「まだ続きがあったはずだけど、そんな感じだね」
「正体って、何だったの?」
「そこまではわからない」
「河童や川獺、狸、貉って言われてるね」
そう言ったのは星山だった。
「変化球では、ギバチ――鯰の一種っていう説もあるらしい。あと、面白くもなんともないんだけど、追剥とか」
「部長、詳しいですね」
「本の受け売りだよ」
だとしても、知識として身についているということに他ならない。
「河童だったら自分で魚を捕まえればいいのに」と奏が身も蓋もないことを言う。
「河童の場合はちょっと話が違うんだ。自分の皿を釣り上げられて、それを『置いてけ』って言ったらしい」
星山は本当に詳しい。いさなが星山にいてくれと言った理由がわかった。
にしても、皿を釣り上げられるなんて、河童には気の毒だが、ユーモラスな光景かもしれない。
そういえば、沢音は遠野で河童と博打を打ったんだったか。
「鳴城7不思議では聞いたことないですけど、鳴城のお堀にも河童がいるんでしょうか」
氷魚が言うと、星山は微笑んだ。
「いたら面白いな」
それから、「橘くんは、妖怪の存在を信じるかい」と訊いてくる。
「はい」
氷魚はうなずいた。かつては半信半疑だったが、今の氷魚は妖怪、あやかしが間違いなく実在していることを知っている。
「そうか。俺もだ。会ったことはないが、いつか会ってみたいと思ってるよ」
実際に怪異に遭遇している星山だから、あやかしの存在も信じられるのだろう。
にしても――
実は目の前にいるんですよと氷魚は口に出して言いたくなった。
奏は半分吸血鬼だし、いさなの影は大妖凍月である。
改めて、すごい部員たちがいる部活だ。
もちろん、星山に言えるはずもないが。
ふといさなの影に目を向けると、口が牙を見せてにやりと笑っているのが見えた。
「あたしも妖怪がいるって信じてますよ」
「わたしも」
奏といさながしれっと言う。
「だったら、いつかみんなで遠野に河童を捕まえにでも行くか」と、星山が軽い口調で言った。
「確か、カッパ捕獲許可証がいるんでしたっけ」
言って、奏が携帯端末を操作する。
「なんと、捕まえると賞金1000万ですよ」
大金だとは思うが、妥当な金額かどうかは氷魚には判断がつかない。もっと高くてもいいような気はする。
「1000万か……。鳴城の置いてけ堀が河童の仕業だったら、捕まえて遠野に連れていくのも手かも」
いさながぼそりと言う。目が割と本気っぽい。まさかやらないとは思うが、そんなことをしたら協会に怒られるのではないだろうか。人とあやかしの秩序ぶち壊しだ。
「遠見塚は、やっぱり調査に行くのかい」と星山が尋ねた。
「もちろん」といさなはうなずく。
「だよね。遠見塚なら大丈夫だとは思うけど、十分気をつけて」
「うん、ありがとう。――氷魚くん、弓張さん、次の日曜日は空いてる?」
「あたしも行っていいんですか?」
「ええ。もしかして迷惑だった? それか用事があるとか?」
「いえ、ぜんぜん! 空いてます。すごく暇です!」
奏は勢いよく頭を横に振った。
奏を家に誘うチャンスだったかもしれない。家族の前で一応の約束をしてから、ずっと言い出せないままだ。
9割9分くらいの確率で断られはするだろうが、誘ったという事実は作っておきたい。駄目だったとしても、嘘をつかずに済むからだ。
よし、と氷魚は覚悟を決めた。
調査が終わったら、声をかけてみよう。
「氷魚くん、ずいぶんと気合が入った顔だね」
「……え? そうですか? キョーカイ部の活動は鎧武者以来だから、そのせいかもしれませんね」
「そう? まあ、わたしも楽しみだけど」
そう言って微笑むいさなを見ていたら、心がちくりと痛んだ。いさなを裏切ったというわけではないのだが、奏を誘うのはなんだか後ろめたく思う。
待てよ。だったら――
氷魚の頭に名案が浮かんだ。
これなら、なんとかなるかもしれない。




