置いてけ堀哀歌②
「昨日。日曜日だったから」
「1人で行ったの?」
「いや、弟に道案内を頼んだ。本当は夕方がよかったんだけど、それじゃ怖いっていうんで、お昼を食べてから出かけた。途中でバケツとタコ糸とチーズかまぼこを買ってね」
「タコ糸とチーズかまぼこでザリガニが釣れるの?」
奏が不思議そうに訊く。どうやら、ザリガニ釣りをしたことがないらしい。
「釣れるよ。チーズかまぼこを適当な大きさにちぎって、タコ糸にしっかり結び付けるだけでいいんだ。そのままでもいけるけど、木の棒なんかを即席の釣竿にすると釣りやすいかな」
「ああ、おれもやった。懐かしいな」
その方法を氷魚に教えてくれたのは例によって姉だ。
一緒に釣りに行き、バケツいっぱいザリガニを釣ったはいいが、家の水槽では飼いきれず、戻してきなさいと母に言われて、泣く泣くリリースしたのを思い出す。
「おれも懐かしくなってさ。置いてけ堀についてすぐに弟は帰っちゃったけど、よし、久々に釣るか、って気になったよ」
「たくさん釣れた?」
氷魚が訊くと、薊は楽しそうに微笑んだ。
「面白いように、とまではいかないけど、食いつきはよかったな。お昼から夕方まで粘って、新しく持ってきたバケツと、弟が置いていったバケツがいっぱいになるくらいは釣れた。そこで我に返ったんだ。こんなに釣ってどうすんだってな。気づけば、辺りはすっかり薄暗くなってた」
薊は紙コップを手に取り、お茶を一口飲み下す。そうして、声のトーンを落とした。
「お昼に来た時は何とも思わなかったんだけど、周囲を木に囲まれた置いてけ堀は寂しい場所で、急に怖くなった。おれ以外に誰もいなかったし。人気のザリガニ釣りスポットでも、噂が広がったせいか、人が寄り付かなくなったんだろうな。――で、ザリガニを堀に戻そうか迷っていると、声がしたんだ。老人みたいなしわがれた声で、『置いてけ』って。……人間、怖いと本当に鳥肌が立つんだな」
その時の声を思い出したのか、薊は自分の腕をさすった。
「それ、ガチで怖いやつだね」
「ああ、肝を冷やすって、ああいう時に使うんだと思う。声を聞いた瞬間、ザリガニなんかどうでもよくなって、おれは逃げ出したんだ。……情けないけど」
「情けなくなんかないよ」
いさなが首を横に振る。
「そう、ですか?」
「逃げて正解。怪異はどんなことをしてくるかわからないからね。正体も判明してないのに立ち向かうのは無謀だから」
耳が痛い。いさなにそんなつもりはないのだろうが。
「そう言ってもらえると、少しは気が楽になります。弟にも申し訳がなかったんで。……っていうか、信じてくれるんですか? 怖い話を用意していったのに、みんな追い返されたって言ってたけど」
「全部あからさまな作り話だったからね。でも、薊くんの話は違う。表情が本物だった」
「本物って?」
「怪異に遭遇した人が見せる顏よ」
「……なるほど?」
薊は納得しきれてないようだ。
それはそうだろう。本物の怪異に遭遇した人の顔なんて、そうそう見る機会はない――はずだ。
「あとは任せて。この件は、キョーカイ部が責任を持って調査させてもらうね」
妙な部活名だな、という思いを隠しきれていない顔の薊は「よろしくおねがいします」と頭を下げた。




