41人目のクラスメイト④
いさなと奏の行き先は見当がついていた。
氷魚は郷土資料室のドアを開ける。案の定だった。錆の浮いたパイプ椅子に、いさなと奏が座っている。星山の姿はなかった。
「あれ、部長は?」
「帰ったよ。今日のお昼は香椎さんとどっかで食べるって」
「そうだったんですね」
気を遣ってくれたのだろう。
「橘くん、さっきはありがとう」と奏が頭を下げた。
「あんまり役に立てなかったけどね」
いさなが来てくれて助かったというのが本音だ。
「そんなことない。嬉しかったよ。友達だって言ってくれたことも、カラオケのフォローも。……みんないい人だっていうのはわかるんだけど、あたし、カラオケが苦手で」
「そうなの? あんなに歌がうまいのに――って、うまいへたは関係ないか」といさなが言う。
「歌は好きなんですが、場所が、ちょっと……」
奏は言葉を濁した。カラオケボックスに苦手意識でもあるのかもしれない。
「いさなはマイクをつかんだら絶対離さないよな。たまに1人カラオケで熱唱してるもんな」
いさなの影から凍月の声がした。
「その情報、今開示する必要はある?」いさなが冷ややかな声を出す。
「さあてな」と、姿を現した凍月が机の上に乗る。
知らなかった。いさなの趣味の1つなのかもしれない。いさなならば、歌っている姿もさぞ様になっているはずだ。
「氷魚くん、なんか変な想像してない?」
いさなが鋭い視線を向けてきたので氷魚は慌てて顔を引き締めた。
「いえ、してませんよ」
「――本題に入ろうか。弓張さんの転校について、茉理さんは知ってるんだよね」
小さく息を吐いて、いさなは話題を変えた。
「はい。お師匠には相談に乗ってもらいました。その上で、いいと思う、と。あと、先輩たちには当日まで隠しておけって指示を受けました」
サプライズがすぎますよ茉理さん、と氷魚は心の中で突っ込む。
「いかにも茉理さんらしいね。眼鏡の件は?」
「それは……あたしの独断です」
奏は申し訳なさそうに身体を縮こまらせる。
「なるほど」
「すみません。浅はかでした。これから、先輩にもご迷惑をおかけすることになるかもしれません」
「わたしは構わないよ。でも、弓張さんは大丈夫なの? 週刊誌とか、そういうの」
それは氷魚も気になっていた。奏が鳴城にいることを知ったら、マスコミが押し寄せてくるのではないだろうか。
「あ、そこは全然問題ありません。どこも報道できないし、記事にもできないでしょうから」
「協会の圧力、じゃないよね」
「はい。協会は無関係です」
奏はきっぱりと言い切った。
とすると、奏が芸能活動を休止しているのも協会とは関係ないのだろうか。
「訳ありみたいね。わかった。今は訊かないから」
「すみません。ありがとうございます」
「何はともあれ、郷土部兼怪異探求部は弓張さんを歓迎するわ」
「え?」
いさなが言うと、奏は虚を衝かれたような顔になった。
「してくれないの? 入部」
「いいんですか?」
「もちろん。それとも、放送局の方がいい?」
いさなはいたずらっぽく笑う。
「いえ、こっちがいいです! でも、あたしがいたら……」
「だいじょうぶ。変なのが来たらわたしが追い払うから」
「なら、せめて」
奏は鞄から眼鏡ケースを取り出した。いさなが手を伸ばし、そっと奏の手を押さえる。
「教室の外で聞かせてもらったわ。ずっと我慢してたんでしょ。もう眼鏡をかける必要はないよ」
「先輩……」
どうやら、奏の告白は教室の外にも聞こえていたようだ。
もしかして、と氷魚は思う。自分の友達宣言も聞こえていたのだろうか。
いさなや他のクラスの生徒たちにも訊かれていたのかと思うと、今更ながら恥ずかしくなった。
「ずいぶんと男前だな。小僧もそう思うだろ?」
凍月がからかうように言う。
「男前かどうかはわかりませんが、格好いいとは思います」
気を取り直し、氷魚は答えた。
「ですね。あたしも惚れそうになりました」
「……褒められてるのかしら」
いさなはちょっと困ったように笑った。それから、「まあ、とにかく」と気を取り直したように言う。
「これからよろしくね。弓張さん」
「はい! よろしくお願いします!」
奏は、素敵な笑顔を見せてくれた。
そうか、と氷魚は改めて実感する。
今日から奏とはクラスメイトで、しかも同じ部活なのだ。そこらの怪異よりよほど非現実的だが、間違いなく現実だ。
いさなと出会ってから信じられないこと続きだが、今回の件も相当なものだと思う。
「小僧、嬉しそうだな」
「ええ。キョーカイ部の仲間が増えるんだから、当然ですよ」
「本当にそれだけか?」
「――? 他に何かありますか」
「はは、まあいい。いさなはうかうかしてられねえな」
「え? 何が?」
「……おまえら。いや、らしいと言えばらしいか」
凍月はなぜか呆れたようにため息をついた。
「それはそうと、弓張さん。今日のお昼はどうするか決まってる?」
いさなが尋ねると、奏は首を横に振った。
「いえ、まだです。コンビニで適当に見繕うつもりでした」
「だったら、一緒に食べに行かない? 鳴城はね、おいしいお店がいっぱいあるの。和洋中、何でもござれよ」
そう。なぜだか鳴城は総じて飲食店のレベルが高いのだ。
太平洋に面しているので海の幸が新鮮でおいしいのは当然なのだが、その辺にあるちょっと店構えがぼろくてテーブルが油っぽい中華料理屋とかもやけにうまい。アンジェリカは言うに及ばずだ。
和洋中、泉間の有名店と比べても引けを取らないどころか、なんなら鳴城のお店の方が上かもしれない。地元のひいき目もあるだろうが。
「いいですね。連れてってください」
「うん。何食べたい?」
「そうですね……」
奏は考え込んだ。完全に外見からの連想だが、なんとなく洋食を選びそうな気がする。とすると、アンジェリカ辺りになるのだろうか。
しかし奏はにこりと笑ってこう言った。
「ラーメン!」




