41人目のクラスメイト②
どうにか体育館まで移動して、奏の存在にざわつく始業式を乗り切り、やっとのことで教室に帰り着いた。しかし教室とて安息の地ではない。
朝からずっと、周囲の視線が付きまとって離れない。
皆、氷魚を問い詰めたいのだろうが、互いに牽制しあっているような空気が出来上がっている。
15年間生きてきて、これほど注目されたことは未だかつてない。精神を亀の子たわしで削られているような感覚だ。奏の眼鏡を借りたいくらいだった。
当の奏は氷魚以上に注目を浴びているのに、けろりとしている。奏にしてみれば、クラスメイトの視線くらいどうってことはないのだろう。戸惑っていたのは最初だけだ。
あれ、そういえば弓張さんの席――
教壇に立った式見が、今更のように言う。
「ああ、そうだ。弓張の机と椅子がまだだったな。誰か取っ」「おれが行きます!」
反論を許さぬ速さで、氷魚は教室を飛び出した。
朝のホームルームは『転校生はカナカナだった事件』のせいでうやむやのままに終わっていた。そのまま始業式だったので、奏は席につく暇もなく、当然机がないことにも気づかなかったのだ。
それにしても、転校生の机なんて事前に準備しておくものではないだろうか。
式見は時折そういううっかりを見せる。
だが、そんな式見のうっかりがこの時ばかりはありがたかった。
使わない机や椅子が放り込んである空き教室に入った氷魚は、大きく息を吐き出した。2階の端っこにある空き教室は日当たりが悪く、昼間でも薄暗い。
誰も座っていない椅子と机が無造作に並んでいる光景は、ちょっと不気味だ。
空気に耐えきれず逃げるように教室を出てきたが、あまり奏を待たせても悪い。早く持っていこう。
氷魚が机に手をかけた瞬間だった。
「橘くん」
背後から声がした。
「――!」
振り向けば、いつ教室に入ってきたのか、奏がいた。
「弓張さん……どうやってここに?」
「橘くんが教室を出てすぐに追いかけたの」
「そうだったんだ」
全然気がつかなかった。よほど気がせいていたらしい。
「ごめんね。迷惑をかけちゃったね。――自分でもびっくりだよ。眼鏡を外しただけでああなるなんて」
奏は笑って机に手をかける。
「これ、自分で持っていくね」
ぎこちない笑みだった。理由は察しがつく。
「――迷惑なんかじゃないよ。驚きはしたけど」
「でも……」
奏は氷魚の態度を気にしているのだろう。
氷魚の方からは奏に話しかけようとはせず、奏もそんな氷魚に気を遣ってか、話しかけてこなかった。奏が話したそうにしているのに気づいてはいたが、あえて目を逸らしていた。
我ながらひどい態度だとは思う。だが――
「……ごめん。慣れてないんだ。あんなにたくさんの人に注目されるの。だからちょっと怖かった」
猿夢騒動の際にもクラスで注目を浴びたことがあったが、あの時はいさなが目立っていて、氷魚はさほど気にされてはいなかった。
しかし、今回は違う。奏には及ばないが、氷魚も注目の的だった。
「怖いって、怪異に立ち向かう度胸があるのに?」と奏は不思議そうに言う。
「それとこれとは話が別だよ。怪異はなんかこう、非日常的っていうか、そんな感じだから」
怪異に立ち向かう度胸がある、というのも違う気がする。単に無我夢中になるだけだ。
「ふわっとしてるね」
「自分でもそう思う。でも、とにかく、そういうわけなんだ。迷惑だなんて、絶対に思ってない」
そこは強調しておく。
「そうなの?」
「うん。おれは、弓張さんにまた会えて嬉しいよ」
嘘偽りのない本音だった。意外な形での再会だったが、嬉しくないわけがない。
「――そ、そっか。そう言ってもらえると、あたしも嬉しい」
「にしても、眼鏡を外すなんて思い切ったね」
「……やり直したかったんだ」
埃っぽい机の表面を人差し指でなぞり、奏は呟いた。
「やり直す?」
「うん。前の高校じゃ、ずっと眼鏡をかけてたから」
それはつまり、最初から半透明人間状態だったということだ。確かにいるのに、まるでいないもののように扱われる奏の心情を思うと胸が痛んだ。
以前、通っている高校の居心地が悪いと言っていた理由がわかった気がした。
奏は埃のついた指にふっと息を吹きかけ、
「遅れ気味の高校デビューのつもりだったけど、失敗しちゃったね。お師匠の言ってたことは正しかったよ」と寂しそうに笑う。
無造作に眼鏡を外したように見えたが、実際には奏は強い覚悟を持って臨んだのかもしれなかった。そんな奏の覚悟を尊重したいと氷魚は思う。
「失敗かどうかはまだわからないよ」
「……そうかな?」
「そうだよ。これからこれから。弓張さんが楽しい高校生活を送れるように、おれも協力するからさ」
猿夢騒動以降、大半のクラスメイトから変わり者の烙印を押されて微妙に距離を置かれている自分が奏の力になれるかどうかはわからないが、できるだけのことはしたい。
「橘くん……ありがとう」と奏が微笑む。
氷魚も笑みを浮かべ、机を持ち上げた。
「そろそろ戻ろうか。みんな早く帰りたいだろうし」
「あ、じゃあ、あたしは椅子を持つね」
「うん、お願い」
そうして2人は連れ立って空き教室を出た。




