41人目のクラスメイト①
夏休み明けの教室はいつも独特の空気に包まれていると氷魚は思う。
みんなが過ごした夏休みの名残をそれぞれが持ち寄っているような、そんな雰囲気だ。
高校生になってもそれは同じだった。
夏休みが終わってしまったのはもちろん悲しいが、夏休み明けの独特な空気が氷魚は嫌いではなかった。
「橘くん、夏休みはどっか行った?」
朝のホームルーム前、隣の席の陣屋が話しかけてきた。
「うん。泉間に、ちょっと」
出来事をありのままに話した際の陣屋の反応を見たくもあるが、詳細は意図的に省いた。
もっとも、絡新婦の家に泊めてもらい、いさなや奏と廃屋探索をしてバケモノと戦ったなんて、正直に言ったとしても信じてはもらえないだろうが。
「ずいぶん近場だね」
「陣屋さんは?」
氷魚が訊くと、陣屋はこの世の終わりと言わんばかりに机に突っ伏した。
「どこにも行けなかったぁ。お父さんもお母さんも忙しくてさ。京都とかに1人で行ってもいいかって聞いたんだけど、駄目だったよ。ほんと、うちの両親は頭が固い」
京都に一人旅とは高校生にしてはしぶいチョイスだ。
にしても、京都みたいな古都には、やはりあやかしもたくさんいるのだろうか。
「それだけ陣屋さんを大切にしてるんじゃない?」
「っていうより、過保護だね、あれは。もう高校生なんだしさ、一人旅をするくらいいいじゃんね」
「まあ、そうかもね」
「でさ」
陣屋が何か言いかけたところで、教室の前のドアが開いた。担任の式見が入ってくる。
まだチャイムも鳴っていないのに珍しい。
式見はなんの前置きもなく、
「ホームルームの前に転校生を紹介する」と言った。
教室のざわめきがぴたりと収まった。
しかしそれもほんの一瞬のことで、波紋のようにおしゃべりが広がっていく。内容は当然転校生のことだ。
男子か、女子か。格好いいか、かわいいか。大体そんな感じである。
「静かに」
式見が一応形だけの注意をする。無駄だというのがよくわかっているのだろう。
当然だ。転校生が来るなんてビッグイベント、教室が沸かないわけがない。しかも高校でなんて。小学校や中学校より珍しいのではないか。
式見がドアの外に待っているのであろう転校生に目線で合図を送る。
そして、実に堂々とした足取りで、物怖じもせず、その少女は教室に入ってきた。
「――は?」
氷魚は己の目を疑った。
輝く長い金色の髪、鮮やかな紅い瞳、うそみたいに白い肌。女優であり、歌手でもある。生まれついてのスターと言われても納得できる女の子。
吸血鬼と人間のハーフであるダンピール――弓張奏だった。
どう転んでも氷魚と接点なんてできるはずのない存在の奏だが、夏休みにふとしたきっかけで知り合ったのだ。
茉理が転校を提案していたのは覚えているが、まさか本当に転校してくるとは。
驚いているのは氷魚だけで、他のクラスメイトたちはみな奏を一目見るなりすぐさま興味を失ったように視線を逸らした。
氷魚はその理由にすぐに気づいた。
奏がかけている眼鏡だ。装着者の存在感を薄くする魔導具である。
一度認識しているためか、氷魚はすぐに奏とわかったが、クラスメイトは誰一人として転校生があのカナカナだとは気づかないようだ。
実際、今の奏にはあの眩いばかりの存在感がほぼない。魔導具の力を改めて実感する。
奏は黒板にきれいな字で自分の名を書くと、教室を見渡した。
「弓張奏です。よろしくお願いします」
奏の名を見ても、声を聞いても、教室の反応は鈍かった。
今の奏は半分透明人間みたいなものなので、みんなの反応が薄くなってしまうのは仕方がないのだが、それでも氷魚は奏が心配になった。無視されたような形で、奏は傷つかないだろうか。
奏は気にした風もなくにっこりと笑うと、氷魚にウインクをして眼鏡に手をかけた。
「! 待って弓張さん、それは――」
氷魚は思わず立ち上がった。
遅かった。奏は眼鏡を外した。
最初に「え」という声を出したのは誰だったか。桟敷か、薊か、あるいは隣の陣屋だったかもしれない。
どよめきは徐々に広がっていき、ほどなくして教室中に爆発するような歓声が響き渡った。
「ええええー!?」
「なんで!? カナカナ!? マジ!?」
「顔ちっちゃ!」
「かわいすぎだろ!」
「まつ毛なっが!」
「あれホントにうちらのと同じ制服? 別物に見えるんですけど!」
「肌しっろ!」
狂騒は瞬く間に教室を席巻する。
本来なら騒ぎを注意すべきはずの式見ですら、口をぽかんと開けて奏を見つめている。
眼鏡を外しただけで場の空気を一変させた奏は、戸惑ったように立ち尽くしていた。
心配そうに見つめる氷魚と奏の目が合う。
そして奏は実に控えめに、氷魚に向かって手を振った。
教室中が水を打ったように静まり返った。
今まで経験したことのない、胃がせり上がってくるような緊張が氷魚を襲った。
いたたまれなかった。
許されるのならば、今すぐ逃げ出したかった。
だが、どこに?
自分が立ったままだったことに気づいた氷魚は、のろのろと腰を下ろした。
逃げ場などないのだ。
全方位、無数の視線が突き刺さっているのを感じる。針の筵とはこのことか。
「どういうこと?」
氷魚を除いた1-5全員の疑問を代表するように、陣屋が尋ねた。氷魚は呟く。
「……どういうことなんだろうね」
そんなの、氷魚も訊きたいのだった。




