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この怪異は誰のもの?  作者: イゼオ
第七章 遥かなる蜘蛛の呼び声
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遥かなる蜘蛛の呼び声⑥

 たくさんのものを失った。

 亡き父から受け継いだ魔術の研究施設も、苦労して集めた魔道書も、魔導具も、心血を注いで造り上げた彼女も――

 彼女の亡骸は自分で埋葬したいと願い出たが、叶わなかった。研究材料として使われるのだろう。

 店のカウンターに置かれた椅子に座り、沖津おきつは天を仰いだ。

 店を開けるのはおっくうだが、これからのことを考えると少しでも在庫は売りさばいておきたい。

 協会の取り調べから解放され、帰ってきたのはつい先日のことだ。

 協会から言い渡された処分は被害者への賠償と、沖津が所持する魔術財産の没収、当面の間の魔導具作成の禁止、そして沢音さわねの監視役の解任だった。

 ほぼ無一文になったが、自分がしでかしたことを鑑みれば、十分に温情だと思う。店を取り上げられなかっただけでもありがたい。

 そんなことを考えていたら、店のドアが開いた。本日最初のお客さんだ。

「いらっしゃ」

 いのところで、沖津は固まった。

 店に入ってきたのは茉理まつりと――信じられないことに、沢音さわねだった。

 反射的に、沖津は下を向いた。

 どうやら、自分の命運はここまでのようだ。

 当然と言えば当然だ。この2人には命を取られても文句は言えない。

 あるいは協会はこの展開を見越していたのかもしれない。自分たちが手を下すまでもないと。

「――申し訳ありませんでした。僕の犯した罪は、僕のちっぽけな命では到底あがなえるものではありませんが、それであなた方の溜飲が少しでも下がるなら、どうぞこの首を持って行ってください」

 思ったよりも冷静な声が出た。これから死ぬというのに、心は落ち着いていた。

「おぬしの首などもらっても困るだけだ。いいからおもてを上げよ」

 沢音のおごそかな声が店内に響いた。

 恐る恐る、沖津は顏を上げた。

 沢音の顔は直視しないようにする。

「わしの目を見よ」

「しかし……」

「見よ」

 強く言われて、沖津は沢音の顔を直視した。

 何年振りだろうか。

 初めて見た時と寸分たがわぬ、美しいかんばせだった。過ぎ去った年月の分、沖津は年を取ったが、沢音はまったく変わっていない。きっとこれからも変わらず美しいままなのだろう。

「おぬしのしたことはすべて聞いた」

「申し開きのしようもありません。僕は、決して許されざることを……」

「わしは許す」

「――え?」

 聞き間違いかと思った。沢音は今、なんと言ったのか。

「許すと言ったのだ。なあ、茉理」

「そうね。私も、もう怒ってないわ」

 言って、茉理はやんわりと微笑む。

「どう……して?」

 そんなはずはない。

 茉理は血と妖力を取られ、沢音は自身の姿を汚されたのだ。

 しかし目の前の2人からは、確かに怒気は感じられない。

「時に、おぬしは源之助げんのすけという名に聞き覚えはあるか?」

 脈略のない質問だった。沖津は戸惑いながらも、

「――確か、沢音さんと共闘して恵淵の前の主を討った男の名ですよね」と答える。

 今ではすたれてしまったが、この辺り一帯に残る伝説だ。

「そうだ。源之助はおぬしの先祖だが、その様子では知らぬようだな」

「そうなんですか?」

 初耳だった。

まさきはおぬしに教えなかったのだな。わしは柾に聞いて知ったのだが」

「……すみません」

「いい。おぬしの非ではない。正直に話すとなると、都合の悪い部分もあるからな。堅物の柾はそれが我慢ならなかったのだろう。だから話さないことを選んだ。あやつらしい選択よ」

「都合の悪い部分?」

「気にするな。――それにしても、わしの監視役に選ばれた柾から、自分は源之助の子孫だと聞いた時は驚いた。奇妙な縁もあったものだ」

 沢音が協会の監視対象になったのは、今から数十年前に恵淵一帯の開発計画を妨げたからだと聞く。その際に当時の影無かげなしが沢音を討ち、現在住んでいる屋敷に封じることになった。

 その後、沖津の父が現地の監視役に選ばれたのだ。

 父は鳴城なるしろから時折やってくる影無と協力して監視の任に当たっていたのだが、当時の影無とは馬が合わなかったようで、ことあるごとに「あんないい加減な男が影無だなんて、信じられない」とこぼしていた。

「その、源之助が何か?」

「人の母とは、子を許すものなのだろう? だったら、わしは源之助の子孫であるおぬしを許すよ。源之助は、わしにとっての子みたいなものだからな」

「母……」

「とある少年に言われたのだ。――それで、その、おぬしさえよければなのだが、これからもわしの監視役を続けてはもらえぬか」

 思いもよらない沢音の申し出だった。

 胸が詰まりそうになる。

「ですが」

「協会にはわしと茉理で話を通しておいた。こうして外出許可も取り付けたしな。聞けば、おぬしは血を取った相手にきっちり償いをしたそうではないか」

「沢音が許すのなら私も許す。沖津ちゃん、あなたはまだやり直せるわ」

「そうだ。なあ、真琴まことよ」

 沖津の名を呼び、微笑む沢音の顔が写真の中の母と重なる。

 沖津には母の記憶がない。

 物心ついた時に、母はすでにいなかった。亡くなったのか別れたのか、父は一言も教えてくれなかった。家には1枚の写真があるきりだ。

 意識したことはない。だが、もしかしたら、自分はずっと母親の面影を追い求めていたのかもしれない。

 その時沖津の脳裏をよぎったのは、『彼女』の顔だった。

 すとんと、腑に落ちた。


 ――ああ、そうか。僕の想いは、彼女を造ることで昇華されたんだ。


 ならばやはり――

「せっかくの申し出ですが、僕は泉間せんまを出るつもりです」

 協会に処分を下されてから、漠然と考えていたことだった。

 店を売って、この地を離れる。

 沢音と話したことで、その決意が固まった。

「なぜだ?」

「ここで沢音さんの厚意に甘えたら、『彼女』に申し訳が立たないから」

 自分だけがのうのうと、この地で以前のような暮らしをするわけにはいかない。

 違う場所で、静かに彼女を弔いながら暮らす。たとえ亡骸がないとしても。

 それが沖津なりの、自分が造りだした命である彼女への責任の取り方だった。

「おぬしは――」

 沢音は、呆れたように笑った。

「おぬしは、そういうところが父親にそっくりだ。頑固で、融通がきかない」

「そうですか? 自分じゃ似てるとは思ってませんけど、やっぱり親子なんでしょうね」

「ああ。――おぬしがそうと決めたのなら、止めはせぬ。もう会うこともなかろう。息災でな」

「ありがとうございます。沢音さんたちも、お元気で」

 そして、沢音と茉理が店を出ていく。


「――さようなら、沢音さん」



「なあ、茉理」

「ん?」

「源之助も、その子孫も、わしから離れていくのだな」

「そりゃそうよ。子どもなんでしょ。親離れして当たり前よ」

「む――そうか」

「そうよ。でも、私や凍月ちゃんは変わらずにいるし、それに――」

「それに?」

「今は面白い子たちがいるでしょ?」

「――そうだな」



 庭でバーベキューをしたし、花火もした。

 みんなでかなでが持ってきたボードゲームで遊んだし、なぜか日渡邸に置いてあった雀卓で麻雀も楽しんだ。氷魚ひおは全然勝てなかった。というより他のみんな、特に沢音が強すぎたのだ。

 まだ監視対象になる前、遠野に遊びに行って博打で河童から妙薬を巻き上げただけある。


 怖い思いをたくさんしたし、命も落としかけた。

 それでも、そんなのが消し飛ぶくらい楽しい経験もいっぱいした。

 こんなにも充実した夏休みは、氷魚にとって初めてだった。


 楽しい時間はあっという間に過ぎ去って、鳴城に帰らなくてはいけない日が来た。

 帰りは駅まで茉理が送っていってくれることになった。

 荷物を積み込み、沢音に挨拶を済ませたいさなと奏が車に乗り込む。

「それじゃあ日渡さん、お世話になりました」

 玄関先で、氷魚は見送りに出ていた沢音に頭を下げた。

「うむ。また顔を見せに来るといい」と沢音は微笑む。

 沖津が犯人だったと聞いて、しばらく浮かない顔をしていた沢音だったが、昨日茉理とどこかに出かけて帰ってきてからは、吹っ切れたような顔になっていた。

「はい。では」

 踵を返しかけて、氷魚はぴたりと足を止めた。

「そうだ、日渡ひわたりさん」と沢音に向き直る。

「どうした。忘れ物か」

「そうです。忘れそうになりました」

 危うく、大事な課題を残していくところだった。

「ならばすぐに取ってくるといい」

「いえ、この場で済みます」

「うん?」と沢音は小首をかしげる。

「日渡さん、おれに訊きましたよね。日渡さんの素顔を見たのに、おれの態度が変わらないのはなぜかって」

 沢音はすぐに思い出したようだ。

「ああ、訊いたな。おぬしは答えを考えておく、と返した」

「で、考えました」

「答えは出たか」

 ずっと考えていた。それでようやく答えが出た。

「はい。姿形が変わっても、沢音さんの精神性――うまく言えないけど、魂のようなものの美しさはそのままだったからだと思います」

 これが正しい答えかどうか、無論氷魚にはわからない。だが、考えに考えて導き出した、氷魚のたった1つの答えだ。

「――氷魚よ」

「はい」

「おぬしは、おぬしが口にしたことが、あやかしにとって最上級の口説き文句なのを知らぬようだな」

「口説き――って、ええ!?」

 誓って言う。

 まったく、ぜんぜん、そんなつもりは微塵もなかった。

「ふふ。このことは、他の者には決して言うでないぞ。特にいさなには」

「……恥ずかしくて言えませんよ」

 身の程知らずもいいところである。初日に続き、とんだ赤っ恥だ。

「――さて、皆も待っているだろう。そろそろ行くといい」

「そ、そうですね」

 あたふたと、氷魚は逃げるように車に駆け込む。最後の最後でやらかした。

「どうしたの氷魚くん、顔が赤いけど」

「な、なんでもないです」

「――?」

 いさなが不思議そうな表情を浮かべるが、経緯は絶対に知られてはいけなかった。知られたら最後、自分は恥ずかしさで死ぬと思う。

「じゃあ、出発するわよ」

 車が走り出す。

 バックミラーで、沢音が嬉しそうに小さく手を振っているのが見えた。

 そして氷魚は、距離的に聞こえるはずのない沢音の声を聞いた気がした。


「ありがとう、氷魚」と。







 遥かなる蜘蛛の呼び声 終


 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。7章終了です。

 だいぶ長くなってしまいましたが、楽しんでいただけたでしょうか。

 書いていて時々気が遠くなりかけましたが、投稿中の感想や評価、いいねが大変励みになりました。


 と、次の話ですが、1~2週間以内には投稿したいと考えてます。

 投稿した際には、また読んでいただけると幸いです。

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― 新着の感想 ―
[一言] おぉ~なんとか丸く収まった感じですねぇ いやそれにしても協会の処分がこの程度ならやはり沖津の立ち回り次第では沢音とうまくいった可能性もありそうだなぁ まぁそんなことを言っても後の祭り、世の中…
[良い点] 沖津が被造物である「彼女」への筋を通したこと。 [気になる点] 遥かなる蜘蛛について、今回は呼び声だけで済んだ(?)が、これをきっかけに目をつけられたりするのだろうか。 [一言] 沖津さん…
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