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この怪異は誰のもの?  作者: イゼオ
第七章 遥かなる蜘蛛の呼び声
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遥かなる蜘蛛の呼び声①

「おまえは、沢音さわねを造りたかったのか」

 氷魚ひおたちが驚きで呆然としている中、凍月いてづきが静かに声を上げた。

 沖津おきつは穏やかな笑みを浮かべる。

「父から沢音さんの監視を受け継いだ日、僕は一目で沢音さんに心奪われた。この世にこんなに美しい存在がいるのかと、魂が震えるようだったよ。――だけど」と、沖津は悲しそうに首を振る。

「会えたのは、その一度きりだった。食料や物資の受け渡しは決められた場所で行うだけで、彼女の顔を見ることすら叶わない。想いは募る一方だった」

「なるほど。沢音への想いをこじらせた挙句、自分で造ろうって思ったわけか。気色悪さの極致だな」

「なんとでも言ってくれ。僕はこの手で、僕だけの沢音さんを造りたかったんだ。沢音さんが霊脈の影響を強く受けた存在であることはわかっていた。彼女はただのあやかしじゃない。限りなく神に近いあやかしだ。――彼女の誕生を再現するために、色々やったよ。新しい魔道書を手に入れるたびに、違う方法を試した。何度も何度も失敗した。やはり僕では無理なのかと、折れかけたこともあった。けどね、ある時使った呪文で、僕は声を聞いたんだ。遥かなる蜘蛛の呼び声を」

 恍惚とした表情を浮かべ、沖津は言った。

「呼び声……?」

「ああ。ここよりずっと遠く、南米の地下に棲むという蜘蛛の神の声だ。声は僕に囁いた。彼女の、沢音さんに等しい存在の造り方を。そこからは、驚くほど順調だったよ。茉理まつりさんの血が手に入ったのは望外の幸運だった。彼には感謝しかない。おかげで一気に完成まで持っていけたからね」

「で、おまえの懸想の行きついた先がこれか」

「懸想じゃない。信仰だよ」

「だから神か? 笑わせる。そこにいるのは神なんてものじゃねえ。できそこないの人造あやかしだ」

「違う。彼女は僕の神だ。沢音さんに勝るとも劣らない、至高の存在なんだ。それを今から証明してみせる」

 凍月に挑発するような物言いをされても、沖津は穏やかに微笑んだままだった。

 決して狂気に呑まれているわけではない。彼は紛れもなく正気なのだ。それが氷魚には恐ろしかった。

「ふざけるな! 何が至高の存在だよ。てめえがしたことは沢音への、いや、あやかし全体へのひでえ侮辱に他ならねえ!」

「凍月さん……」

 最初氷魚は、凍月はあえて沖津を挑発しているのだと思っていた。だが、それは氷魚の思い違いだった。

 毛を逆立てて、凍月は心の底から怒っていた。おそらくはあやかしばかりではない。命そのものへの侮辱に対して、凍月は怒ったのだ。

「小動物がよく吠える。零落した霊獣でも、起きたばかりの彼女の腹の足しくらいにはなるかな」

 水槽正面の分厚いガラスがスライドして開く。身体についた管が外れ、人造のあやかしがゆっくりと歩み出てくる。

「いさな! やるぞ!」

「ええ、冷静にね」

 いさなが鯉口を切って抜刀した。

「先輩、あたしは?」

「人造あやかしはわたしと凍月で相手する。弓張ゆみはりさんは沖津さんを無力化してくれるかな。協会に引き渡すから」

「わかりました!」

「――さあサワネ、食事の時間だ。あいつらみんな、食べていいよ」

 沖津は愛おしげに『サワネ』――いや、奏流にいうならば『絡新婦じょろうぐももどき』の脇腹を撫でた。

 それが開戦の合図となった。

 8本の脚を蠢かせ、目を瞠るほどの速さで絡新婦もどきがいさなと凍月に迫る。

 真正面、いさなは上半身を狙って逆袈裟ぎゃくけさで刃を振るった。

 絡新婦もどきは脚の一本を振り上げ、いさなの刀を受け止める。

 青い火花が散った。

 よく見れば、絡新婦もどきの脚の先は刀のような形状になっている。あれもまた魔導具なのかもしれない。

 絡新婦もどきが左二本、右二本の前脚を振りかぶる。

 そして、嵐のような斬撃をいさなに向かって浴びせかけた。

 氷魚には視認することすら難しい斬撃を、いさなはあるいは受け流し、あるいはかわす。

 巻き込まれ破壊された実験器具が飛び散る。

 あれでは同時に4本の刀を捌いているようなものだ。

 いさなは斬撃を凌いではいるが、防戦一方で攻撃に移ることができない。絡新婦もどきの攻撃が激しすぎて、凍月も手を出しあぐねている。

 その様子を見て、沖津が唇を歪める。

「当代の影無は魔術が使えないと聞いていたけど、本当のようだね。剣術だけでどうにかできるほど、僕のサワネは甘くないよ」

 そんな沖津に、床を蹴って接近した奏が拳を固めて殴りかかった。

 プロボクサーもかくやという奏のパンチを、沖津はこともなげに避けた。躱しざま、右手に握った何かを奏の首筋目がけて振るう。奏が慌てて首を逸らす。

「……っつ」

 首を押さえて、奏が後ずさった。

「僕特製の銀のナイフの味はどうだい。ハーフとはいえ、吸血鬼にはよく効くだろう」

 いつ抜いたのか、沖津は手にナイフを握っていた。刃先から血が滴る。

「ぜんっぜん痛くないですね。あなたのナイフ、錆びているのでは? ちゃんと研いだ方がいいですよ」

 半身に構え、奏は不敵に笑う。首筋からは、血が流れていた。

 吸血鬼は銀が苦手だというのは氷魚でも知っている。ダンピールの奏にとっても、銀は天敵ではないのか。

 そして、沖津が持つのはおそらくただの銀のナイフではない。魔導具だろう。

「その減らず口、いつまで叩けるかな」

 沖津が矢継ぎ早にナイフを振るう。どれも的確に急所を狙った振り方だ。

 沖津は明らかに刃物の扱いに慣れていた。

 ナイフが振るわれるたび、じりじりと奏が後退する。とても見ていられない。

「――!」

 奏の背中がテーブルに当たった。

 沖津がナイフを逆手に持ち替え、振りかぶる。

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