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この怪異は誰のもの?  作者: イゼオ
第七章 遥かなる蜘蛛の呼び声
139/281

今、ここにある危機⑲

「軟膏、ありがとうざいます」

「ん」

 氷魚ひおが軟膏を塗ったのを確認したいさなは背中を向けて、自分の肩とお腹に軟膏を塗る。触手に噛まれた傷は大丈夫だったのだろうか。

「それにしても、汚れたものを召喚したのは誰なんでしょうか。生半可な魔術師ではないとは思いますが」

 どうしたわけか気まずくなった空気を振り払うように、かなでが言った。

 召喚者、一連の騒動の犯人が誰か、氷魚はずっと考えていた。

 最初は疑念でしかなかった。廃屋と地下の探索を経て、確信したのはついさっきだ。

「そのことですが、犯人が誰か、わかったと思います」

「――え?」

 氷魚が言うと、いさなが驚いたように振り向いた。

「誰なの?」と奏も尋ねる。

「その前にいさなさんに確認したいんですが、泉間せんまで魔導具を作れる人って、1人しかいないんでしたよね」

 以前、いさなが道隆みちたかの話をした時に聞いた覚えがある。

「ええ、そうだけど」

 だったら、やはり間違いない。

「地元に詳しいこと、魔道書を読み解ける魔術師であること、怪物に合成するような魔導具を作成できること、茉理まつりさんが日渡ひわたりさんの家に泊まっているのを知っていること。――そして、日渡さんの家の場所を知るくらい協会と日渡さんに信頼されていること。すべての条件を満たす人は、1人しかいません」

「――それって」

 あの時一緒にいた奏は気づいたらしい。

「そう、沖津おきつさんです」

 土産物屋の店主にして、魔導具職人。

 茉理が親しげに話していた彼こそが、今回の事件の犯人だ。何気ない沖津との会話の中で、茉理が沢音さわねの家に泊まっていると口にしていたのを、氷魚ははっきりと覚えていた。

 いさなが小首をかしげる。

「沖津さんって、沢音さんの現地の監視役の? 確かに魔導具職人だけど……」

「間違いありません。――そうですよね、沖津さん」

 氷魚は、部屋の奥にある赤い液体で満たされた水槽に目を向けて呼びかけた。

 沖津はどこかで見ているはずだ。

「――まいったな。怪物を倒して、めでたしめでたしでこのまま帰ってくれればいいと願っていたんだけど」

 案の定だった。

 水槽の脇から、1人の男性が姿を現す。

 土産物屋で見た時同様、穏やかな顔つきをした、沖津だった。

「氷魚くん、だったね。まさか、協会に所属していない一般人に見破られるとは思わなかったよ。犯人が僕だと当てたのもそうだけど、何よりも不可視の吸血鬼だ。あいつには、気配を遮断するとっておきの魔導具を埋め込んでいたんだぜ。茉理さんですら気づけなかったのに、きみ、特異体質か何かなのかい」

「いえ、おれはただの高校生です。だから、あなたが作った粉が必要だった」

「皮肉かい? まあ、あそこで粉を売ったのは失敗だったかもね。怪しまれないためとはいえ、こういう展開は予想できなかった。――それにしても、ただの高校生だって? 行動を見る限り、狂気に片足を突っ込んでいるようだったけど」

 やはり、沖津は氷魚たちの行動を監視していたようだ。

「きみ、怖くなかったの? 見えないバケモノに立ち向かってさ」

「怖かったですよ。でも、命までは取られないとは思ってました。これまでの被害者がそうだったから」

 そこは確信があった。茉理も、キャンプ場の利用客も、命は無事だったのだ。

 つまり、沖津は命を奪うことまでは考えていない。

「だとしても、蛮勇だな」

「自分でもそう思います」

 沖津は苦笑して肩をすくめる。

「沖津さん、どうしてお師匠や人間の血を集めたんですか」

「あの弓張ゆみはり奏の質問なんだから、答えてあげたいのはやまやまなんだけど、僕が君たちに説明しなきゃいけない義務はないよね」

 奏を前にしても沖津に驚いた様子はない。

 これまで監視していたのだから当然といえば当然なのだが、もしかしたら土産物屋で眼鏡の効果を言い当てた時点で、沖津は奏に気づいていたのかもしれない。

「義務はなくても責任はある。傷害に汚れたものの召喚、協会の処分は避けられません」

 いさなが前に進み出る。

「きみは、遠見塚とおみづか道隆の妹だったね。兄妹そろって才能に恵まれて、羨ましい限りだ」

 言って、沖津は鼻を鳴らした。

「才能?」

「そうだろ。兄は天霧あまぎり以来の天才と呼ばれる魔導具職人で、妹は選ばれしものである影無。これが才能じゃなかったら、なんなんだ」

「――だから? わたしと兄のことは、今は関係ないでしょう」

 いさなの声が冷たさを帯びた。

「少しはある。僕は遠見塚道隆を妬んでいたからね。僕と彼は同世代で数の少ない魔導具職人、ずっと比べられてきたのさ。そして、いつだって僕は彼ほど評価されなかった。僕は自分の才能に見切りをつけたよ。僕は、どうやったって天霧先生や遠見塚のようにはなれない」

「それで? やけになって今回の事件を起こしたとでも?」

「まさか。僕は、今の生活に特に不満はないよ。土産物屋の店主をしながら自分が作った魔導具を売っていれば、生活には困らないからね。穏やかで、波風の立たない平穏さだ。――ただ、不満があるとすればただ一つ。僕は、自分の神様が欲しかった。僕のすべてを認めて、肯定してくれる神様だ」

「神様……?」

 いさながいぶかしげに呟いた。

 神様、集められた蜘蛛、蠱毒こどく――

 氷魚の頭の中に、閃くものがあった。

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