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この怪異は誰のもの?  作者: イゼオ
第七章 遥かなる蜘蛛の呼び声
138/281

今、ここにある危機⑱

 正眼に構えたいさながイソギンチャクもどきと対峙する。

 イソギンチャクもどきが触手を一本、小手調べと言わんばかりにいさなに向けて伸ばした。刃が煌めき、触手が斬り飛ばされる。

 いさなが踏み込み、刀を振り下ろす。イソギンチャクもどきはカギ爪で迎え撃った。

 よほど頑丈なのか、カギ爪はいさなの刀でも斬れず、火花が散った。

「あのカギ爪、たぶん魔導具だよ」

 氷魚ひおを背中に庇いつつ、かなでが言う。

「魔導具? 怪物に埋め込んだってこと?」

「うん。さっきのゴリラもどきもそうだけど、イソギンチャクもどきを召喚した召喚者は呼び出したバケモノをいじったみたいだね。イソギンチャクもどきの気配が感じられないのは、単に見えなかったからだけじゃない。あたしの眼鏡みたいな魔導具が使われているのかも」

「そんなこと、できるものなの?」

「魔術に長けていて、魔導具の知識があれば可能なんじゃないかな」

 氷魚の中で疑念が確信に変わる。だとしたら、犯人はやはり――

「先輩! 危ない!」

 奏が叫んだ。

 触手が数本、それ自体が意思を持っているかのように、頭上と足元からいさなに襲いかかる。到底、1人でさばききれる物量ではない。

 だが、いさなは1人ではなかった。

凍月いてづき、下はお願い!」

「おう!」

 カギ爪を押し返したいさなは、身を引きつつ頭上から迫る触手を薙ぎ払う。同時に、足元の触手を凍月が爪で引き裂く。

 息の合った、抜群のコンビネーションだった。

 痛みを感じたのか、イソギンチャクもどきがわずかにひるんだように見えた。

 その隙を逃さず、一気に踏み込んだいさなは刀を袈裟懸けに振り下ろす。刃がイソギンチャクもどきの身体を切り裂いた。

「一気に仕留めちまえ!」

「言われなくても!」

 刃を返し、Vの字を描くように左上に向かって振りぬく。

 血しぶきが舞う。

 いさなは刀を大上段に構える。最後の抵抗とばかりにイソギンチャクもどきが触手を伸ばす。

 腹部と肩に触手が食いつくが、いさなはひるむことなく刀を振り下ろした。

「おおおっ!」

 防御のためか交差するように振り上げたカギ爪ごと、いさなはイソギンチャクもどきを叩き斬った。

 真っ二つに斬られたイソギンチャクもどきの身体が、黒い塵のようになって消えていく。

 同時に、氷魚の胸の痛みもすっと引いていった。

 イソギンチャクもどきが消滅したのを見届けたいさなは血振りをし、納刀した。いつ見てもほれぼれするような所作だ。

「お疲れ様です、先輩。これ、返り血を拭くのに使ってください」

 こちらに歩いてくるいさなに駆け寄った奏がタオルを差し出した。運動部のマネージャーみたいだ。

 タオルで汗ではなく返り血を拭くというのが若干バイオレンスではあるが。

「ありがとう。これ、たぶん氷魚くんの血だね」

 顔に付いた血をぬぐって、いさなは言う。

「え……?」

 いさながイソギンチャクもどきを斬った際、結構な量の血が飛び散っていた。血を吸われていたのは一瞬だったはずだが、実はかなりの量を吸われていたのかもしれない。

 そう思うと、急に立っているのがつらくなってきた。我ながら単純だ。

「怪物が氷魚くんの血を吸った瞬間、姿が少しだけ見えたの。誰かの血を吸うと可視化するみたいね」

「そうだったんですね」

 自分の血であんな怪物が見えるようになるのは、なんだか嫌だ。たとえそれで可視化できたとしても、怪物に献血をする趣味はない。粉があってよかったと思う。

「氷魚くん、胸の痛みは?」

 いさなに訊かれ、氷魚は自分の胸を撫でた。

「もう大丈夫です。肩の方が痛いです」

「見せて」

 氷魚は肩をはだけた。傷を見て、いさなは眉をしかめる。

「ずいぶん派手にひっかいたね」

 言って、バッグから軟膏が入った容器を取り出す。

「すみません。いさなさんにもらった薬、全部使っちゃいました」

「どこか他に怪我をしたの?」

「いえ、おれじゃなくて……」

「――」

 いさなは無言で奏のお腹に目を向けた。それから、

「氷魚くんが塗ったの?」と尋ねる。

 なぜそんなことを訊くのか。誰が塗ったかなんて重要ではないと思うが。

 内心首をかしげつつ、氷魚は「はい」とうなずいた。

 瞬間、何か言おうとしていた奏が、あちゃあ、といった感じで顔を手で覆った。

 そして、いさなの顔からは表情が消えた。

「――そう」

 いさなは容器の蓋を乱暴な手つきで開け、氷魚にずいと突き出す。

「自分で塗って。それか、弓張さんに塗ってもらうか」

 急にどうしたのだろう。この前は塗ってくれたのに。

「いさなさん……?」

「なに?」

 怒ってますか、とは訊けなかった。明らかに不機嫌だったからだ。

「……なんでもないです」

 軟膏を指ですくい取った氷魚は、自分で傷に塗りつける。

 しみて、痛かった。


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