今、ここにある危機⑬
見る間に奏の腹部の傷が塞がっていく。
ほどなくして、奏は手を離した。
「ありがとう。おかげで楽になった。あんまり吸いすぎないようにしたけど、身体、しんどくない?」
「……100メートルを全力疾走した後みたいだ」
虚脱感はあるが、覚悟していたほどではない。
「遠慮してない? おれはまだ大丈夫だよ」
「ううん、もう十分。これ以上魔力を吸ったら橘くんが倒れちゃう」
「――魔力か。おれにも魔力があったんだね」
「誰にでもあるよ。あたしたちは魔力って呼んでるけど、霊力って呼ばれたりもする。あやかしなら妖力だね。――もしかして、あたしが血を吸うと思った? 首って言ってたし」
「うん。正直、そのつもりだった」
覚悟を決めていたので、ちょっと拍子抜けだ。
「血は吸わないよ。そんなことしたら、先輩に退治されちゃう。魔力を貰うのだってぎりぎりな感じだし」と奏は苦笑する。
「いさなさんに? どうして?」
奏の命がかかっていたのだ。いさなはきっと怒らないし、ましてや退治しようなどとは思わないはずだ。
「どうしてってそれは……。ほら、まあ、人を害したってことで」
どうもよくわからない。氷魚が自ら申し出たのだから、害するわけではないだろう。
「いいから、そろそろ先に進もうか」
奏は先頭に立って歩き出す。何か誤魔化されたようなのが気にはなるが、どうやら元気が戻ったようで一安心だ。
奏の後に続き、氷魚はぶち抜かれた扉を通り抜けた。
「しかしここ、なんなんだろうね」
どこに続くのかわからない通路を歩きながら、奏は呟いた。
「何かの施設とか?」
言って、氷魚は天井を懐中電灯で照らす。
無機質な通路からは、なんとなく研究施設っぽい印象を受ける。
「施設ね。吸血事件の犯人のアジトではあるんだろうけど」
「犯人か……」
「どうかしたの?」
「いや、なんでもない」と氷魚は首を横に振る。
今はまだ断定できない。迂闊なことは言わない方がいいだろう。
更にしばし歩くと、三叉路に差し掛かった。
「うーん。どこに進もうか」
立ち止まり、奏は通路を順に眺める。
その時、氷魚の胸がかすかに痛んだ。
なんとなく、左の方から嫌な気配を感じる。
「弓張さん。もしかしたらなんだけど、こっちに汚れたものがいるかも」
氷魚は左の通路を指さした。
「じゃあ、そっちに行こうか」
奏の決断は早かった。
「いいの?」
「後ろから迫ってこられたら厄介だからね」
一理ある。脅威は早めに取り除く方が安全だ。
「――あれ」
通路を歩き始めてほどなくして、胸の痛みがすっと消えた。近づくにつれて痛みが強くなるのではと思ったのだが。
「どうしたの?」
「痛みが消えた。汚れたものがどこかに行ったのかな」
「移動したのかもね。とりあえず、進んでみようか」
曲がり角を曲がると、行き止まりだった。
2人は注意深く突き当たりの壁に近づく。
「どう?」
「全然痛くない」
「中にはいないのかな」
奏は軽く拳で壁を叩く。
「さっきと同じで、ここの壁、ちょっと薄いみたい。――よし、橘くんは下がってて」
またぶち破るつもりらしい。奏は壁に向かい、構えを取った。
そうして、奏が拳を繰り出そうとした瞬間、壁が斜めに切断された。
「――!」
奏は咄嗟に後ろに跳んで距離を取った。氷魚を背中に庇うように身構える。
一体何が起こったのかわからない。
重い音を立てて、壁が倒れた。向こうには広い空間が広がっているようだ。
そこから現れたのは――
「――氷魚くんと、弓張さん?」
刀を携えた、いさなだった。




