今、ここにある危機④
ほどなくして、部屋のドアが開いた。
「……お待たせ」
顔面蒼白のいさなが立っていた。氷魚の背筋が一瞬で冷たくなる。
「そ、その顔色、まさかいさなさんも吸血されたんですか!」
「え? ああ、これは違うの。心配しないで」
いさなは額を押さえる。そうは言っても、具合が悪そうだ。
「ただの魔力切れだ。ここまですっ飛ばしてきたからな」
いさなの影から凍月の声がした。
「すっ飛ばしてって、どうやって……」
奏が通話を終えてから、5分も経っていない。いくらなんでも早すぎる。
「大きくなった凍月に乗せてもらったの。わたしの魔力じゃすぐにガス欠になるから、あまり持たないんだけどね」
納得した。鎧武者に憑いていた蛇と対峙した際の凍月の大きさを考えれば、人ひとり乗せて運ぶなど朝飯前だろう。
「凍月さん、自動車より速いんですね」
「当たり前だ。俺があんな鉄の塊に負けるかよ」
「それで、電話で大体の状況は聞いたけど――」
いさなは、茉理が横たわっているベッドに目を留めた。
一瞬だけ不安そうな顔になったいさなだったが、すぐに表情を引き締め、部屋を見渡す。
開け放たれている窓に近寄ったいさなは、首を出して下を覗いた。
「沢音さん、玄関の鍵って、施錠してました?」
すぐに首を引っ込めて、いさなは沢音に尋ねる。
「してたぞ」
「わたしが来た時には、鍵がかかってなかった……」
「ってことは、誰かが鍵をこじ開けて侵入したってことですか」
氷魚が言うと、いさなはうなずいた。
「そうだね。つまり、壁抜けができる類の怪異ではないってことになる。まあ、窓が開いている時点でその可能性は限りなく低いわけだけど」
「鍵を開けるって、人間みたいですね。そんなに器用なのかな」
「みたい、というか、十中八九人間の仕業ね」
「え、でも、茉理さんの血と妖力を吸ったんですよね」
「そっちは怪異で間違いないよ」
氷魚は首をひねる。どういうことだろう。
「――あ! この部屋で呼び寄せたんですね!」
奏が声を上げた。
呼び寄せる――魔道書に載っていた呪文で怪異を召喚したということか。
魔道書というのは、つくづく物騒な代物のようだ。もっとも、使い手次第ではあるのだろうが。
「うん、わたしはそう考えた。――氷魚くん、胸が痛んだって聞いたけど、どれくらいの時間痛んでいたか、わかる?」
「痛くて寝てられなくて起きて……たぶん、10分未満だったと思います」
「それで、起きた時に悲鳴を上げた」
「はい」氷魚はうなずく。
「犯人が逃げたのはその時ね。氷魚くんの悲鳴を聞いて、誰かが来るのを警戒して咄嗟に窓から逃げた」
ここは二階だが、魔術を使えばどうとでもなるのかもしれないし、そもそも訓練している人間だったら問題なく飛び降りられそうだ。試してみようとは思えないが。
「だから今回の怪異――汚れたものを呼んだのは、人間と断定していいんじゃないかな」
「人間……」
やはり、魔道書を盗んだ人物なのだろうか。
しかし誰が、一体なぜ。わからないことがどんどん増えていく。
「あとは外を調べてみようか」
言うなり、いさなは部屋を出ていった。
「あ、先輩!」
ついていこうとした奏だったが、ドアの前で足を止めた。茉理が気になるようで、ベッドの方を窺う。
「わしがここで茉理を見ているから、おぬしたちは行くといい」
「ありがとうございます。お師匠をお願いします」
沢音の言葉で踏ん切りがついたようだ。
沢音に向き直り、一礼した奏は部屋を出ていく。
「氷魚、おぬしも行っていいぞ」
沢音に言われて部屋を出ていきかけた氷魚だったが、さきほどの奏同様、ドアの前で足を止めた。
振り向く。
「あの、日渡さん」
「なんだ」
「おれ、考えておきます。さっき、沢音さんの訊かれたことの答え」
きょとんとしていた沢音だったが、すぐに合点がいったようで、微笑んでうなずいた。
「――ああ、楽しみにしている」




