今、ここにある危機③
「こやつはこれでも繊細でな。虫が入ってくることを嫌うから、窓を開け放したまま寝るなどありえぬ」
「茉理さんの妖力と血を吸った何者かは、窓から逃走した……?」
氷魚の呟きに、沢音は首肯する。
「そういうことになるのではないか」
そうすると、その正体不明の犯人は一体どこから侵入したのだろう。
浮遊する怪異であれば高さは問題ないにしても、窓を開けたのなら、茉理が気づきそうなものだが。
そもそも、茉理が黙って吸血されたのかというのも気になる点だ。
しかし、今はそれよりも――
「――あの、沢音さん、お師匠は大丈夫なんですか?」
氷魚が訊きたかったことを、奏が訊いてくれた。
「ん? ああ、問題ない。普段の振る舞いを見ていると忘れそうになるが、茉理は大妖だ。放っておいてもじきに回復するさ」
「じゃあ、助かるんですね」
「うむ。医者ではないが、わしが太鼓判を押そう」
「よかった……」
安堵したのか、奏は床にへたり込んだ。氷魚もほっと胸をなでおろす。
「奏よ、安心している場合ではあるまい」
「え?」
「おぬしの仕事は何だ。茉理の心配をすることか?」
「あ……」
奏の目が開け放たれた窓に向く。
「キャンプ場で出た意識不明者と、今回の茉理の症状、無関係とは思えぬな」
「同一犯――いや、同じ怪異の仕業、でしょうか」
「それを調べるのがおぬしの仕事だろう。いつまでそうしているつもりだ。しゃんとせい」
「は、はい」
奏は弾かれたように立ち上がった。
「いくら見習いだろうと、怪異は待ってはくれぬぞ。どうするのだ」
奏は救いを求めるように茉理を見た。しかし茉理の意識が戻る様子はない。
顏には出さないようにはしているが、氷魚には奏の焦りが手に取るようにわかる。
無理もないと思う。
ダンピールで、女優で、歌手だけど、それ以前に、奏は15歳の少女なのだ。自分と同い年だ。見習いということは、怪異との関わりもまだ不慣れに違いない。
もし氷魚が奏の立場だったら、きっともっとあたふたしている。
「弓張さん。ひとまず、いさなさんに連絡してみたら?」
氷魚が言うと、奏の顔がぱっと輝いた。
「そうだね。ありがとう!」
言うが早いが、奏は部屋を飛び出した。携帯端末を取りに行ったのだろう。
「要らぬ世話だな、氷魚よ。いさなに連絡をするのは正解だが、自分で気づかせればよかったのだ」
沢音が咎めるように言う。
「日渡さんのような大人の目線じゃなくて、おれのは同じ目線なので」
「同じ?」
「おれが弓張さんと同じ立場だったら、冷静じゃいられないですよ。師匠はダウンしているのに正体不明の怪異の対応をしなくちゃいけないなんて、おれだったら絶対にパニックになります」
「だから助け舟を出した、と?」
「そんなつもりはありません。ただ、自分だったらそうしているなってことを言っただけです。困って、自分だけじゃ解決できそうもなかったら誰かを頼るって、悪いことじゃないと思うので」
「おぬしの言うことには一理ある。が、それが通用せぬ時もあるのが奏たちの生きている世界なのだ」
「でも、今回は通用しますよね」
「――おぬし、意外とああ言えばこう言うタイプなのだな」
それではっとした。
「……すみません。部外者なのに、余計なことを」
自分の物差しと沢音たちの物差しは違う。
決して失念していたわけではないが、喋りすぎたかもしれない。
沢音からすれば、素人が何を甘いことを言っているんだという感じだったのではないか。
「いや、別にわしは怒っているわけではない。昨日もだが、あやかしであるわしにはっきりと物申すおぬしに少し驚いただけだ」
「驚く、ですか」
「うむ。おぬし、わしの素顔を見ただろう。なのに、まったく態度が変わらぬ。怖かったはずだ。おぬしの顔には怯えがあったからな」
「――そうですね。怖くなかったと言えば、嘘になります」
「ならばなぜ、おぬしは変わらぬままでいられるのだ」
「なぜ……」
「戻りました。遠見塚先輩、駆けつけてくれるそうです。5分くらいで着くって言ってました」
氷魚が考え込んでいると、携帯端末を手にした奏が戻ってきた。
「5分? ここからキャンプ場まで車で20分くらいかかったよね」
タクシーを呼ぶにしても5分では無理だ。そもそもこんな時間にタクシーが来てくれるのかわからない。一体どうするのだろう。




