今、ここにある危機①
電車に乗っている。
通路に立つ氷魚の眼前には、槍を構えたおぞましいカエルのバケモノが立っていた。こちらに向けられた槍の穂先が不気味に光っている。
いつかどこかで見た景色のような気がするが、頭は霞がかかったみたいにぼんやりしていて、はっきりと思い出せない。
氷魚は蛇ににらまれたカエルのように身動きができない。
相手がカエルのバケモノなのが、この上ない皮肉だった。
この状況、以前は誰かが自分を助けてくれたような――
カエルのバケモノが槍を突き出した。
穂先は、氷魚の胸を容易く貫通した。頭に抜けるような白い痛みが走る。
槍が引き抜かれ、氷魚は床に倒れ伏す。血だまりが広がっていく。
と、誰かが氷魚を抱き起こした。黒髪の少女だった。
見覚えがある気がする。
自分にとって、大切な人のような気がする。
少女は氷魚に向かって呼びかけているが、もう氷魚の耳には何も聞こえない。
カエルのバケモノが、逆手に持った槍を少女の背中に向ける。
危ない、と言おうとしても、声が出ない。
バケモノが槍を突き出す。穂先が少女の華奢な身体を貫き、少女は背を弓なりに逸らした。
少女の口からこぼれ出た血が氷魚の顔を濡らす。
自分の悲鳴で目が覚めた。
身を起こした氷魚はTシャツの胸元を強く握りしめる。
胸が痛い。
とっさに部屋の角に目を向ける。薄暗い部屋の隅に煙は見えなかったし、嫌な臭いもしなかった。
どうやら、時の腐肉食らいではなかったようだ。
しかしまだ安心はできない。胸の痛みは現実で、夢ではなかった。
「橘くん、すごい悲鳴が聞こえたけど、大丈夫!?」
ドアがノックされ、奏の声がした。どうやら、氷魚が発した悲鳴は隣の奏の部屋まで聞こえたらしい。
返事をしようとしたが、カラカラに乾いた喉からはうまく声が出てこない。
「開けるからね!」
日渡邸の個室は鍵がついていない。すぐさまドアが開けられ、奏が部屋に踏み込んできた。
奏は部屋の照明をつける。
氷魚の様子に気づいた奏は目を見開いた。
「橘くん、汗びっしょりじゃない。それに、ひどい顔色」
「おれは平気。それより……」
かすれた声で言って、氷魚はベッドから降りる。
「近くに、汚れたものがいる」
和らいではきたが、この胸の痛みは間違いない。
「あたしにはわからないけど――って、そっか! 橘くん、汚れたものを察知すると、胸が痛むって言ってたものね」
氷魚は弱々しくうなずいた。
「早く、日渡さんと茉理さんにも知らせないと」
「そうだね。あたしが知らせに行く……って、橘くんを1人にするのは危ないか。一緒に行ける?」
「うん」
胸の痛みより、今見た夢の衝撃の方が大きい。無性に胸騒ぎがする。早くみんなの無事を確認したい。
部屋を出た氷魚と奏は、同じ二階にある茉理の部屋に向かった。
「お師匠、夜遅くにすみません。緊急事態です」
ドアをノックして奏が呼びかける。中から返事はなかった。
「……もしかして、下でまた日渡さんと飲んでいるのかな」
希望的観測だった。
部屋から出る時に持ってきた携帯端末で確認すると、時刻は夜の3時を過ぎている。いくらなんでも部屋にいるだろう。
「お師匠、開けますね」
意を決したようにノブをつかみ、奏はドアを開けた。




