続・僕を調査に連れてって①
ふと、奏はなぜ映画やテレビに出なくなったのか疑問に思った。引退会見を見た記憶はないので、引退はしていないはずなのだが。
「と、起こしに来たのにもたもたしてたらせっかくの朝食が冷めちゃうね。降りようか」
「そうだね」
奏は部屋の入り口でにこにこと微笑んでいる。
「あの、弓張さん」
「なに?」
「着替えるから、部屋から出ていてくれると嬉しい」
素っ裸になるわけではないが、女の子の目の前で堂々と着替える度胸はなかった。
「! あ、し、失礼しました」
そそくさと、奏は部屋から出ていく。
食堂に入ると、焼きたてのパンのいい匂いが鼻腔をくすぐった。
「おはよう。ちょうど二回目のパンが焼けたところだ」
エプロン姿の沢音が出迎えてくれる。昨日の今日だから、というわけでもないだろうが、やっぱりお母さんみたいだと思う。
「おはようございます。二回目、ですか?」
「うむ。一回目はいさながほとんど食べてしまったからな」
どうやら、いさなはすでに帰ってきていたようだ。しかし、食堂にその姿はない。どこにいるのだろう。
「遠見塚先輩なら、もう眠っちゃったよ。昨夜は徹夜だったからね。あたしのコレクションの感想、聞きたかったんだけど」
氷魚の疑問を察したのか、奏が言った。
「聞きたいのは張り込みの成果じゃないの?」
「そっちは何もなかったって」
「そっか……」
いさなに何事もなくて安心はしたが、脅威が取り除かれたわけではない。張り込みが徒労に終わり、いさなはがっかりしていないだろうか。
氷魚と奏は向かい合わせで席に着いた。
「わしはもう食べたから、2人で食べられるだけ食べてくれ」
そう言い残し、沢音は食堂を出ていった。
「茉理さんは?」
テーブルの上には丸パンの他に、目玉焼きやサラダ、スープが乗っていたが、パン以外は2人分しかなかった。
「先輩たちと一緒に食べ終えてるよ。今は部屋でメイクしてるんじゃないかな」
「茉理さんって、かっこいいし、きれいだよね」
茉理のメイクはとても自然だ。派手すぎず、地味過ぎず、茉理のよさを引き立てていると思う。
「だね。自慢のお師匠だよ」
そこで氷魚は、スープ以外の飲み物がないことに気づいた。見れば空のグラスとピッチャーがある。ピッチャーの中にはオレンジジュースが入っていた。
「弓張さん、オレンジジュース飲む?」
「飲む」
氷魚は空のグラスを手に取り、ピッチャーからオレンジジュースを注いだ。
「どうぞ」と、奏に手渡す。
「ありがとう。――って、ごめんね。こういうの、あたしがやるべきだよね」
「え? どうして?」
「だって、女子だし」
「? 女子とか男子とか、関係ないでしょ。そもそも、おれの方が近かったんだし、気づいた人がやればいい」
「それはそうなんだけどね。あたし、同級生によく言われるんだ。女子力低いって。さっき、橘くんが着替える時も気が利かなかったし」
「弓張さんたちがどういう意味合いで女子力って言葉を使っているのか、おれにはわからないけど、弓張さんは魅力的な女の子だと思うよ」
「……そういうの、橘くんは真顔で言うんだ」
「ほんとのことだから」
「そ、そう。あ、ありがとう……」
「弓張さんだったら、言われ慣れてるだろうけど」
お世辞ではない。周りは当然のように奏を褒めるだろう。容姿も、演技も。
「そんなことないよ」
言って、奏は少しだけ寂しそうに笑った。
その笑みの理由が気になって、もう少し踏み込むべきか迷ったが、氷魚は直前で思いとどまった。会ったばかりの仲で、気軽に訊いていいようなことではないと思ったからだ。
「――そうだ。お師匠とあたしはこの後出かけるけど、橘くんはどうする?」
気を取り直したように、奏は言った。
「今度はどこに行くの?」
「お師匠の知り合いのところ。あたしも会ったことないけど、魔導具職人なんだって」
「魔導具職人……」
「氷魚くんは、道隆と知り合いだったわね」
そう言いながら食堂に入ってきたのは、茉理だった。
「そうですね。道隆さんの作った榴弾には助けられました」
正式名称は覚えていないが、すごい威力だった。
「他にもいろんな魔導具があるんですよね」
「そうね。興味があるのなら、私たちと一緒に来る? ここに残っていさっちゃんの寝顔を見つめているっていうのもありだと思うけど」
「それ、下手しなくても変態じゃないですか……。おれ、いさなさんに口をきいてもらえなくなりますよ」
「じゃあ、一緒に行きましょうか」
微妙に残ると言いづらくなってしまった。課題をこなしたい気持ちもあったのだが、まあ、まだ大丈夫だろう、きっと。
「はい、連れて行ってください」
ここに来て3日目。本来の目的があまり果たせていないことには、目をつぶる。




