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この怪異は誰のもの?  作者: イゼオ
第七章 遥かなる蜘蛛の呼び声
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眠れぬ夜は②

 昔、この辺りは気候も穏やかで、大きな災害が起こったこともなかった。

 ところが、だ。ある時から、近くの川が氾濫を繰り返すようになった。それも頻繁にな。

 川の側に住む村に住む人々はいぶかしがった。急にどうして、と。

 農作物は流され、時には家屋や人も流されて命を落とした。人々に対抗策はなく、ただ嘆くしかなかった。

 そんなある日、村に僧形そうぎょうのものがやってきた。ぼろぼろの身なりで、見るからに坊さん崩れといった感じだった。

 その坊さん崩れは、川の氾濫は恵淵めぐみぶちの主の仕業だと村の者に吹聴して回った。

 ならばどうすればいいと相談を持ちかけた村長に、坊さん崩れはこう言った。


「簡単だ。人身御供ひとみごくうを差し出せばいい」


 溺れる者はわらをもつかむと言うが、村人たちはこの無体な案にすがりつくしかなかった。

 かくして年に一度、村から人身御供が差し出されることになった。

 主に指定されたわけでもないのに、選ばれるのは決まって若い娘だった。

 不思議なものよ。そういうのも、固定観念なのかもしれぬな。

 もっとも、若い娘を好むあやかしは確かに多いがな。うまいのかどうか、人を喰ったことがないわしにはわからぬ。

 ともかく、人身御供は10年続いた。

 川の氾濫はぴたりと止まったが、村人の中には納得していない者も当然いた。

 今も伝説に残る源之助げんのすけもその1人よ。

 最初に選ばれた人身御供は他でもない、源之助の姉だった。

 悲嘆にくれていた源之助だったが、10年が経つ頃には、たくましい若者となっていた。

 かわいらしい恋人もできて、源之助はようやく姉を喪った悲しみから立ち直りつつあった。

 2人はやがて結婚するのだろうと、村人の誰もが考えていた。

 だが、そこに邪魔が入った。

 10人目の人身御供として、源之助の恋人が選ばれたのだ。

 娘に横恋慕していた村長の息子が、あの坊さん崩れに提言したそうだ。

 うむ。人身御供を選んでいたのは、村に住み着いた坊さん崩れだったのさ。

 下にも置かぬ待遇で、まるで救世主みたいな扱いだったとのことだ。やっていることはたちの悪い女衒ぜげんとそう変わらぬというのにな。

 姉に続き今度は恋人だ。

 源之助としては到底納得できる話ではないが、村の取り決めに逆らうことはできない。

 いっそ恋人と2人で逃げようかとも考えたが、そうすると村全体に迷惑がかかる。

 思いつめた源之助は、それならば自分が恵淵の主を退治してやろうと考えた。

 姉を奪われた悲しみも、ずっとしこりとしてあったのだろうな。いつか仇を取ってやると、胸の内に復讐の炎をたぎらせていたのかもしれぬ。

 かといって、無闇に戦いを挑んで勝てる相手とも思えぬ。なにせ相手は川を氾濫させることができるバケモノだ。

 まずはどんな相手か確かめるために、源之助は下見としてこっそり恵淵を訪れた。


 さて、ここに一匹の蜘蛛(くも)がいた。恵淵の側に住む蜘蛛だ。

 仲間が寿命で、あるいは天敵に捕食されて死んでいく中で、どうしたわけかその蜘蛛は不思議と死なず、齢100を重ねた。

 この地は人間が言う霊脈が通っている地で、稀に大地の力の影響を受ける生き物がでるのだ。その蜘蛛は、そんな生き物の一匹だったのさ。

 毎年、蜘蛛は人間が恵淵に人身御供を捧げるのを目にしてきた。

 見てはいたが、蜘蛛は人にも恵淵の主にも興味がなかった。

 人が死のうが生きようがどうでもいいし、蜘蛛の命を脅かさない限り、恵淵の主が何をしようが知ったことではなかった。

 冷たいと思うか? あやかしなど、そんなものよ。

 なんだ、氷魚ひおよ。そうじゃないとでも言いたげな目だな。

 まあいい。


 ある晩、蜘蛛は人間の若者が物陰から恵淵の様子を窺っていることに気づいた。淵は静まり返っており、何かが起こる気配はない。

 若者はしばらく粘っていたが、空が白みはじめる頃に諦めて立ち去っていった。

 それが三日三晩続いた。

 若者の顔は日に日にやつれていってな、見ていられなかった。せっかく立派に育ったというのに。

 そう。蜘蛛は、若者を知っていたのだ。10年前、姉を恵淵に残して泣きながら去っていくのを見ていたのさ。

 蜘蛛は、若者が無事に大きく育ったことを喜んでいる自分をいぶかしく思った。自分が若者を気にかけていることも。

 若者は何をしているのだろう。何をしたいのだろう。

 好奇心か、それとも他に何か思うところがあったのか。

 三日目の晩、蜘蛛は肩を落として立ち去る若者の後をつけた。

 恵淵から十分離れたところで、蜘蛛は若者に声をかけた。

「もし、どうされたのですか」とな。

 むろん、恐ろしい蜘蛛のままではないぞ。おなごの姿に化けたのだ。

 夜明け間近で、辺りに人家はない。そんな中で出会ったおなごを、若者は何かの化生けしょうではないかと疑ったが、おなごに害意がないのを感じ取ったのか、それともこの際化生だろうが構わぬと腹を括ったのか、すべてを話した。若者にはもう時間がなかったのだ。


 恵淵の主を討ちたいと願う若者は、名を源之助といった。


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