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この怪異は誰のもの?  作者: イゼオ
第七章 遥かなる蜘蛛の呼び声
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僕を調査に連れてって⑥

「これからどうします? まだ夜までは時間がありますけど」とかなでが訊く。

「ちょっと早いけど、キャンプ道具をレンタルしてテントを設営しちゃおうかな」

「ごはんは? 沢音さわねさんの家に戻るんですか」

「そうしたいけど、遅くなっちゃうから。今夜はキャンプ飯だね。茉理まつりさんが食材を買ってきてくれるって。まだ調べ物があるから、夕方になるみたい」

「だったら、まだ時間はありますよね。お昼はみんなで食べませんか。バスで最寄りの街まで行きましょうよ」

 奏の提案に、いさなは首肯した。

「そうだね。そうしようか」

「何食べます? この辺りだと、天丼がおいしいお店があるみたいですよ」

 歩きながら、奏はレビューサイトの『食べモグ』を開いてこちらに見せてくる。

「弓張さんって、食べるのは好き?」

「大好きですね」

「人間の生き血もか?」

 無造作に凍月いてづきが言った。冗談には聞こえなかった。

「――人の血は、口にしたことがありません」

 足を止めて、奏は言った。

「凍月!」

 いさなが鋭い声を出すが、凍月は止まらなかった。

「吸血したいという欲求はあるのか。ダンピールの中でも、人の血を好む奴がいるらしいが」

「ない、です。今のところは」

「おまえの母親は」

 奏はかぶりを振る。

「もう何百年も吸ってないそうです。母の一族は、元々穏健な一族だったらしくて、人との対立を望んでいません。過去に血を吸ったとしても、対象を殺めてはいないはずです」

「そうか。ならいい。嫌なことを訊いてすまなかった」

「いえ……」

「ちょっと凍月、どういうつもり?」

「こういうことは早いとこはっきりさせておいた方が、お互いのためだろ」

「協会に入って茉理さんと一緒にいる時点で、その必要はないでしょ」

「いいんです。先輩。この件を調査するにあたって、最初にあたしから言っておくべきことだったので。……怖くて、なかなか言い出せませんでした。どうしたって、あたしが人間じゃないと意識させちゃうから。先輩方なら、大丈夫だとは思うんですけど」

 氷魚は胸を衝かれた。

 さきほど鬼という言葉を聞き、自分は不躾ぶしつけに奏に視線を送った。

 奏はおどけてポーズを取っていたが、その内心はどのようなものだったのか。

「――弓張ゆみはりさん、ごめん。おれ、無神経でした」

 奏に向き直り、氷魚は深々と頭を下げた。その拍子に、落ちそうになった凍月が思わず爪を立てたのか肩に鋭い痛みが走った。声を上げそうになるが我慢する。

 大した痛みではない。奏に比べたら。

「ど、どうしたの突然」

 氷魚は顔を上げる。奏は戸惑ったような表情をしていた。

「さっき、鬼って言葉を聞いて、深く考えずに弓張さんを見た。それがどれだけ弓張さんを傷つけるか、想像すらしなかった」

「あ……」

 奏の戸惑いの表情は、困ったような笑みに変わる。

「そんなの、気にしなくていいのに……って、そうか。あたしが今、気を遣わせちゃったのか。こっちこそ、ごめんね。橘くんを責めるつもりなんて、これっぽっちもなかったんだ。さっきのは全然なんとも思ってないよ。本当に」

「でも、おれは――」

 不意に、奏は氷魚の肩をじっと見つめた。

「――?」

 見れば、シャツが少しだけ赤く染まっている。肩から血が出ているらしい。

「おいしそう」

 紅い目をらんらんと輝かせ、奏がぞっとするような声で呟く。

「え……」

 背筋が一瞬で冷えた。氷魚を背に庇う形で前に出たいさなが身構える。

「なんてね。びっくりした?」

 言って、奏はきれいなウインクをする。

 一気に脱力した。心臓に悪すぎる。

「ほら、こういう冗談が言えるんだから、あたしは大丈夫。それより橘くん、怪我の手当てをした方がいいよ」

「そうね。凍月、こっちに」

 相変わらず姿は見えないが、肩が軽くなった。凍月が下りたらしい。

「悪かったな、小僧」

 いさなの影から凍月の声がする。影に戻ったようだ。

「これくらい、平気ですよ」

 道の端に寄り、膝をついて肩をはだける。出血こそあるが、傷は大したことがなかった。

「じっとしててね」

 いさながバッグから取り出した軟膏を塗ってくれる。ひんやりしていて気持ちがいい。ずきずきする痛みがすっと引いていった。

「もしかして、例の軟膏ですか」

「そうだよ」

「貴重なものなんじゃ……」

「気にしないで」

 続けていさなはガーゼを手際よく患部に貼りつけ、サージカルテープで固定する。

「これでよし」

「ありがとうございます、いさなさん」

「うちの凍月がごめんね」

「おまえは俺のかーちゃんかよ」

「かーちゃん、か」

 いさなはふ、と笑う。

「よし。お腹もすいたし、ごはん食べに行こうか。氷魚くんのシャツも選ばなきゃね」

「え、なんでですか」

「血がついちゃったでしょ。お詫びに新しいのを買わせて」

「土産物屋で売ってるような、めっちゃダサいTシャツにしようぜ。背中に変な漢字が書いてあるヤツ」

「いいね」

 もちろんよくはないが、氷魚に拒否権はなさそうだった。せめて無地の物にしてほしいと思う。

 それにしても、と氷魚は肩をさする。

 凍月を知らない人間からすれば、この怪我は唐突にできたものに見えるだろう。凍月は姿を消していたからだ。氷魚だって、見えていなかった。

 凍月に害意はなかったが、もし、姿を消せて、かつ害意を持っている怪異に襲われたら、なすすべがないのではないか。

 みんながみんな、いさなが使っていた不可視のものが見えるようになる粉を持っているわけではないのだ。

 恐ろしい外見の怪異は当然脅威だが、『見えない』というのもまた脅威になる。

 見える怪異と見えない怪異、どちらが恐ろしいのだろう――。

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― 新着の感想 ―
[一言] 奏の言葉は見方によっては自分に言い聞かせているようにも見えますね。 言葉や動作の端々から登場人物たちの優しさが伺える文章でとても好きです
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