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この怪異は誰のもの?  作者: イゼオ
第七章 遥かなる蜘蛛の呼び声
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針の城に咲く青いバラ

「――吸血鬼とは限らないんじゃないですか。血を吸うっていうのなら、たとえばチュパカブラがいますよね。UMAの」

 沈黙を破った氷魚ひおに全員の視線が集中した。美男美女による顔面の暴力にひるみながらも、氷魚は続きを口にする。

「その、チュパカブラは南米のUMAだから、可能性は低いと思いますが」

 チュパカブラは人や家畜を襲って血を吸う未確認生物で、イラストでは全身緑色の毛で覆われた姿で描かれることが多い。

 どこかかわいらしい響きの名前とは裏腹に、氷魚が見たイラストはどれも結構グロテスクだった。

 遺伝子操作で生まれたミュータント、宇宙人が連れてきたペット、カルトが召喚した悪魔、現実的なところではオオカミやコヨーテとの見間違いなど、様々な説があるが、チュパカブラの正体は今も謎に包まれている。

「氷魚くん、UMAも調べたの?」

「ネットの知識だけですが」

 夏休みの課題が遅れた一因でもある。都市伝説やUMAのことを調べ始めたら止まらなくなったのだ。

 最初は勉強のつもりだったが、純粋に面白くて、いつの間にかはまっていた。世にその手の番組や本が溢れている理由が少しだけわかった気がした。

「氷魚くんの言う通り、原因が吸血鬼とは限らない。だから私とかなでで調査するというわけ」

「人選に協会のほのかな悪意を感じますけどね」

 ほうじ茶を一口飲み、奏は呟く。

「あなたは私の弟子だからね。他意はないはずよ。死者が出ていない案件だし、場数を踏ませたいんでしょ」

 奏に諭すように言ってから、茉理まつりはいさなに視線を向けた。

「でまあ、せっかく近くまで来たんだから、沢音さわねの顔を見ようと思ったの。まさかいさっちゃんと氷魚くんがいるとは思わなかったわ」

「そうだったんだ」

「調査の拠点は決めたのか?」と沢音が尋ねる。

「まだよ。泉間せんまの街中の宿を探そうと思ってるわ」

「せっかくだから、囮も兼ねてキャンプしましょうよ。野宿の仕方は父に習ってますし」

 さすがは弓張ゆみはりとおるの娘だ。一見繊細そうだが、ワイルドなところもあるらしい。

「却下よ。私とあなたじゃターゲットに選ばれるかどうかわからないからね」

「ああ、一理ありますね。あたしはともかく、お師匠を狙うのは命知らずすぎる」

「あら、これでもか弱い乙女のつもりなんだけど」

 頬に手を当て、茉理はわざとらしくしなを作った。

「マジのバケモノがよく言うぜ」凍月いてづきがすかさず突っ込む。

 この言い方、もしかして、茉理もまた人ではないのだろうか。

 氷魚は思わず茉理に目を向ける。氷魚の視線に気づいた茉理はほれぼれするような笑みを浮かべた。氷魚が女の子だったら、一発で恋に落ちていたに違いない。

 氷魚は慌てて目を逸らす。人かどうかはわからないが、人間離れした美貌なのは間違いない。

「とまあ、そういうわけ」

 茉理は沢音に向き直った。

「ふむ。だったら、この屋敷を使うといい。部屋は余っているからな」

「いいの? 助かるわ。実は、ちょっと期待してたのだけどね」

「最初からそう言え」

「そこまで面の皮は厚くないわよ。――奏もこのお屋敷に泊めてもらうってことで、いい?」

「もちろん。沢音さん、ありがとうございます。――あ、でも、あたしたち、邪魔じゃないですか?」

 いさなと氷魚を交互に見て、奏は言う。

「そんな、全然。ね、氷魚くん」

「ええ。帰ったら家族に自慢……はまずいですね。黙ってます」

「言っちゃっても構わないよ。迷惑じゃなければ、証拠にサインも付けちゃおうか」

「それはさすがに悪いよ」

「全然。もっとも、今のあたしのサインに大した価値はないけど。あたし自身の価値が大暴落したからね。関わったものも、全部」

 奏はおどけたように笑う。

 どこか悲しそうに笑う奏を見ていたら、なんだか腹が立ってきた。

 奏に、ではない。奏にそういうことを言わせた何かに、だ。

 奏が芸能界から姿を消したのには、氷魚には想像もつかないような深い事情があるのだろう。

 女優として、歌手として、活動を続けられなくなった奏は自分と自分が関わった作品の価値を信じられなくなったのかもしれない。

 でも、それは違う。断じて。

「――そんなことない」

 気づけば、氷魚はそう言っていた。

「え?」

「弓張さんの事情は知らないけど、弓張さんの歌と、演技と、出演した作品のすばらしさは、何があっても決して色あせないよ。――それに」

 氷魚はまっすぐに奏の紅い瞳を見つめた。

「自分の価値を決めるのは他人じゃないと思う」

 しばし呆気にとられたようにぽかんとしていた奏は、頬をさすっていさなに視線を向ける。

遠見塚とおみづか先輩、ちょっと訊きたいのですが」

「なに?」

たちばなくんて、いつもこういう感じなんですか」

「そうだよ。オブラートは持ち合わせていないみたい」

「なるほど。混じりっ気なしの天然か」

 笑いあう2人を見て、氷魚は我に返った。

 勢いに任せて、自分は今とんでもないことを口走ったのではないか。

 同い年とはいえ、奏は自分より遥かに濃い人生経験を積んでいるに違いないのに。

「……ごめん。えらそうなこと言って。おれが言っても説得力がなかった」

 本来なら、氷魚が言うようなことではない。奏の周りの大人が言うべき言葉だろう。

「――ううん。びっくりしたけど、嬉しかったよ。ありがとう。まさか自分の初主演作のセリフで励まされるとは思わなかったな」

「え――?」

「あれ、ひょっとして、無意識だった?」

「いや、待って。そういえば……」

『針の城に咲く青いバラ』のクライマックスが氷魚の脳裏をよぎる。

 運命と対峙するために、一度は逃げ出した針の城に戻ってきた奏演じる主人公は、再会した城主に自身の価値を否定される。『おまえは価値のない、塵芥にすら満たない存在だ。そんなおまえに、何が成せるというのか。私の庇護の元、何もせず、何も求めず、安穏に暮らすのがおまえの幸せだ』と。

 かつての彼女だったら折れていたかもしれない。だが、数々の困難を乗り越えた主人公――アリスは堂々と胸を張り、城主を見据えてこう言うのだ。

『私の価値を決めるのはあなたじゃない』と。

 そして主人公は見事城主を討ち果たし、自分の人生を取り戻す。

「あ……その、おれ、あの映画は何回も観ていて……」

 猛烈に恥ずかしくなった。

 言われてみれば、映画のセリフほぼそのままだ。たぶん、無意識に連想していたのだろう。

「そっか。セリフを覚えるくらい、観てくれたんだ」

 恥の上塗りでも構わない。こうなったら、言えるだけ言ってやろうと思う。本人に直接感想を言える機会など、そうはないのだから。

「……弓張さんの演技、すっごくよかったよ。がんばるアリスの姿に、何度元気をもらったかわからない」

「うん、ありがとう。あたしもあの役、好きなんだ」

 言って、奏は勢いよく立ち上がった。

「色々もやもやしてたんだけど、ちょっとすっきりした」

「なら、よかった」

 奏はうなずくと、茉理に向き直る。

「ではお師匠、拠点も決まったし、さっそく調査に行きましょう!」

「ええ、そうね」

 ゆっくりと立ち上がった茉理は微笑み、奏の頭に手を置いてやさしくなでる。

「ちょ、ちょっとお師匠?」

「観てみるわ」

「え?」

「人が作った映画には興味がなかったんだけど、あなたが出ている映画、観てみる」

 その言葉を聞いた奏は、すばらしい笑顔を見せてくれた。

「――ええ、ぜひ」

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