【FGA:5】事故
照りつく初夏の白い太陽の熱を吸収しあろうことか反射する憎らしげなアスファルトが亜蓮と雷人の身体を灼く時──鳩のつがいが一つ、バス停の屋根から飛び立った。
全く東京の──しかも都会も都会だというのに通りには車一つ通っていなかった。いや、車どころかさっき飛び立っていった鳩のつがい以外の生き物すら見受けられない。
珍しいこともあるんだな──と、至極真っ当で特におうとつの無い感想が無意識に沸いてきたところにバス停に「ちょっとそこらでジュースでも買ってくるわ」と言って数分前から自動販売機を探しに行っていた亜蓮が戻ってきた。
「ん」と軽く呼びかけ雷人に缶ジュースを投げ渡した亜蓮に、ついつい考えていた事が漏れる。
「なんか今日は車どころか人も……生き物も見えないよ亜蓮くん。あ、ハトはさっき2羽居たけど」
「んー?」と気のない返事をする亜蓮に雷人は「ふふ」と少し笑うと缶ジュースを開けた。
"採れたて新鮮オレンジジュース"という題字にでかでかと描かれた淡い色のオレンジが目立つ缶の中身を一口、乾いた口中に放り込む。
缶ジュースにしがみつく水滴に数時間前の散った汗の水滴に現れた自分の顔を映し重ねながら──すと、前々から思っていた事を口に出してみる。
暑い太陽とアスファルトとは対照的に吹いてくる──心地の良い涼風に背中がなぜられ、妙な緊張感と恥ずかしさが胸中に湧いてくる。
「ア、亜蓮くんはさ……何で僕なんかを亜蓮の母校に推薦してくれたの……?」
亜蓮は「ん〜〜」とこれまた気のない返事をすると片手に持ったジュースの缶を──もう飲み干したのか、バス停の横に併設されたゴミ箱に放った。
雷人と同じ主張の激しいオレンジが描かれた缶が──まるで意思を持った生き物の様にゴミ箱に吸い込まれていくと「かん」といやに耳障りの良い金属音が出る。
(あ、体育館のと同じ……軌道……)
そんな音とは裏腹に雷人はさきほどの体育館裏で亜蓮によって放られたペットボトルのキレイな放物線を思い出す。
少しの間その放物線に目を奪われる雷人を尻目に亜蓮は──まるで独り言のように、つぶやく様に、ゆっくりと口を開いた。
「オレにはさ……"藍葉 亜蓮"にはどうしても勝てないヤツが同世代に二人いるんだわ」
突如、亜蓮は「ぎゅっ」と雷人に方に向き直ると右手の人差し指を高く突き上げるとそのまま雷人の方へ降ろした。
唐突な亜蓮の指名に雷人は反射的に身を強張らせた。少し滑稽に見えるその雷人を見た亜蓮は「にかっ」と一転、大きな笑顔を見せる。
「一人はオマエ。オレの大事な幼馴染で親友で、そんでいてサイコーのライバル。"神戸 雷人"」
「えっ……え!? ぼ、僕!? や、やめてよ亜蓮くん、そんなジョーダン……」
まさか自分が──自分程度の選手が指名されるとはつゆにも思わず、雷人はまるで濃霧の中を文字通り五里霧中で彷徨う旅人のように狼狽えると必死に亜蓮の言葉を否定するかの様に、手足をバタつかせた。
亜蓮は曲芸師の様に舞い踊る雷人に「本気だぜ?」と、どこか寂しそうに、静かに、一言そう言うと今度は急にそっぽを向き──遠い青い空をどこまでも見透していく様な──そんな眼差しで一つ軽いため息をついた。
「それでオレが勝てねえヤツ、もう一人なんだけどな……」
さっきとは打って変わってどこか侘しい声色で自分と対をなすであろう人物を語り始めた亜蓮に自然と動転していた雷人の心に平穏が訪れる。
まるで今から数年前に恋人を事故で亡くしたと──そう語り始めるシリアス映画の主人公みたいな語り草に雷人たちの周りの草木や建物たちがひっそりと耳を立てているような──そんな錯覚をしてしまうほど辺りは静寂に包まれる。
「ソイツはオレの2個上で……オレが一年で早くもスタメン掴んでチームのエースとしてコートに立った時に──ソイツはすでにアメリカ中──いや、世界中のバスケファンの心を掴んでいやがった」
うっすらと腕や滲む汗に、額を流れる水滴に、二人はそれらを拭う事を忘れるほど──先ほどから吹いていた心地の良い風が止んだ事に気付いていなかった。
いや、風が止んだ事に気付いていないどころか──あろうことか、すでに来ているはずの空港行きの定刻のバスが来ていないことにすら気付いていない。
日本ほど交通機関の時刻の正確さに機敏な国はない──が、来ていない。来ていないのだ。バスの影はおろか車の影も無い。それも今に始まった事ではない。
先ほどから──さっきからずっと、車も人も見ていない。
いや。
正確に──正確に言えば。
あれだ──そう、つがいの、二羽の鳩が──
「そいつはすげーデカいヤツでFをやってて──でもデカいくせに俊敏くて──20歳の若さで"アメリカの至宝"なんて大それた愛称がつくほど────」
「亜蓮くん────ッッッッ!!!! 危な────」
「────‼︎────‼︎」
────昔小さい頃……どれくらい前だったっけ? ……あぁ、確かライトと出逢った時ぐらいの時か──あぁ、いやこっちの話。で、そん時にテレビで映画がやってたんだよ。
え? どんな映画だったか? いや、悪いけどなんの映画かは──出てた人すら覚えてねぇんだけど……ただ、一つだけ──ハッキリと、鮮明に覚えてるヤツがあってさ。
男が……男っつっても、今のオレたちと同じくらいの──そう、20歳前後の男二人がよ、宝探しをしてんだよ。
宝探しつっても宝の地図がどうたらとか──そんなレベルのヤツ、だけど意外と命懸けでよ──男のうちの一人が落とし穴に落ちそうになっちまうんだよ。
それで正に絶体絶命、って感じなんだけど片割れの男が──ソイツを助けるためにソイツの手を引っ張って代わりに落ちちまうんだよ。
ん? どうせ二人とも助かる? はは、いやまあそれは映画なんだし、そうなるんだけどよ──でも、実際同じような状況になった時、そんなすぐに手を伸ばせるか?ってなったら──多分、だいたいのやつは伸ばせないと思うんだわ。
実際、多分だけどオレも手伸ばせねえし。
え? 何が言いてえのかって?
居るんだよ、一人。オレが同じような状況に陥ったら手を伸ばしてくれそうなヤツが。
興味ない? いやまあそう言うなよ。
ソイツはオレの後輩なんだけどな──今、日本に居て高校生やってて──オレよりもバスケ、はるかに強えんだわ。
いやいや、ウソじゃねぇ。オレよりも──強え。
中学まではとんとんだったんだけどな……高校になったらオレよりも強くなっちまったんだよ。
あ、おい! どこ行くんだよ! だから嘘じゃねえって言って……ったく、しゃあねぇな。せっかく教えてやったのによー……。
────、オマエの渇きを潤せる選手を──────
────ん!
──────れんくん!
「あ、ラ、ライト……オマエに紹介したいヤツが……うぉ……」
「亜蓮くんっ!」
がんがんと響く後頭部をさすりながら上体を起こす。
混濁する脳中と激しい動悸に同時に襲われながら亜蓮は意識を覚醒させようと重たい瞼を開くとそこは──どこまでも広がっているような暗闇だった。