【FGA:3】送迎会
館内は思った通り立ちくらみがする程の暑さだった。
先ほど外へ涼みに出て霧散させたはずの汗が雷人の額に足早に滲み出てきてしまうほどの熱気に、忘れたはずの嫌気が甦ってくる。これはもはや"暑さ"ではなく"熱さ"なんじゃないかと──そんな幼児じみた考えすら何の疑問も持たずに脳裏をよぎるほど──それほど、体育館は暑かった。
ところで、先ほど私立椿ヶ丘高校には大型の体育館が"3棟"あるという話をしたのを覚えているだろうか。
冒頭でさらりと流す様に説明したので疑問に持つ人は少なかっただろうが──実はこの椿ヶ丘に訪れる人間の中には「そんなに体育館があっても仕方が無いのではないか?」と考える人がいる。
確かに。実際のところ、他の高校(公立、私立含め)を比べても体育館が──しかも大型の──"それ"が3棟もある事は無いだろう。
事実、この私立校に入学する前の中学生たちはこれらについての過剰さに思わず当校の運営に質問をなげかける事が恒例行事になっているほどだ。
だがしかし、その質問への答弁は実際に本校に入学し目の当たりにすると、自ずと見えてくる──のだが、我々はこの私立校に入学する訳にはいかないのでここでその質問の答えを口頭で説明しようと思う。
実のところ、これらそれぞれの体育館はその数の多さに手持ち無沙汰になっている訳ではなく驚くほど明確にその使用用途が別れている。
まず第一の体育館であるが──と、説明をする前に一度、想像して欲しい事がある。
運動部──それも館内競技をやっていた(あるいはやっている)人間はこんな経験は無かっただろうか。
大会が近い──ので、体育館を全面的に使わせて欲しい──という、違う部の人間とのいざこざ。
何曜日は休みにしたい──から、この日はお前たちが使ってもいいがこの日は使わせてもらう──という、異なる部の人間とのトラブル。
挙げ句の果てには、ただでさえ半面しか使えないのに日程の問題で更に半面の半面になるといった──窮屈さを強制される問題に。
思ってみれば────。
そういう経験をした人間は少なくないと思う。現にここにいる"日本一のバスケットプレイヤー"、藍葉 亜蓮とその"幼馴染であり終生のライバル"、神戸 雷人が中学生だった時はそういったいさかいにメンタル面を──違う方向で悩まされていた事もあった。
そういった問題を。
部活動を頑張る青少年たちの抱えるどうにもならない、やるせない問題を──全面的に解決していこうとしたのがこの私立椿ヶ丘高校の創立者であり"現"椿ヶ丘高校理事長である木吉 満だ。
さて。ここで三度思い返し見ると、冒頭で紹介した過剰すぎる施設のそれぞれに──れっきとした理由があるということが推察できるだろう。
それでは改めて──本校の体育館の用途であるが──ここまできたらおおよその察しが付くだろうか。
つまり。とどのつまり。ここ──私立椿ヶ丘高校の3棟にも及ぶ大型体育館の用途であるが──それはそれぞれの館内競技の部活動に所属する生徒の──そういった問題を発生させないために緻密に、綿密に計算された日程で──"全"館内競技の部活動の永続的な利用を可能にする事だ。
もっと砕けた言い方をすれば「館内競技の部活動に所属する人間はいつでも体育館を使えますよ」という訳なのだが──。
さて。
そんなこんなでどの館内で行われる部活動はいつだって広い体育館を使えるわけだが──だがしかし、使えるからと言ってどの体育館も我が物顔で使って言い訳ではなく、件の──バスケットボール部はここ──第三体育館を主に使用している。
閑話休題。
話を亜蓮と雷人に戻そう。
つい今しがた、その第三体育館のコートに戻ってきた両者だが──そこにベンチに腰掛けていた初老の、白髪混じりの小柄な、短髪の男性が声をかけてくる。
「お、亜蓮。お前どこ行ってたんだ? 試合終わったからって急にトンズラして言い訳じゃないんだぞ」
「あ〜〜いや。別にトンズラしてたワケじゃないんすケド……。ちょっとライトと一緒に外に涼みに行ってたんすよ」
そう言って「たはは」といかにも作り笑いっぽい声を出すと亜蓮は改めて姿勢を正しその初老の男性に向き直った。
自然と雷人の身体が竦む。そんな2人を見た初老の男性──田代 優我椿ヶ丘高校バスケット部顧問は「うむ」と一回頷くと隣に座っていたバスケ部マネージャーに目くばせをした。
ピィー。
笛の甲高い音が館内に響き渡る。すると途端にコートのそれぞれに散らばりシューティングをしていた生徒たちが迅速に集まってきた。
軽く息を切らしながら集まってきた椿ヶ丘バスケット部の選手たちを亜蓮は見渡した。
それぞれ背が大きいのも居れば小さいのも居る。バッシュも派手な色合いのを履くものも居れば地味めのものを履くものも。シューティングスリーブやヘッドバンドを付ける者も居れば付けていない者……みんな違う姿カッコをしているがひとつ共通しているものがある。それは亜蓮が居た頃から変わらない──"精悍な顔立ち"だ。
常勝必勝優勝。その標語を胸に秘め、常に勝つ事を意識し仲間を信じ闘っていく──その信条に違わぬ面構えに亜蓮は少し懐かしく──それでいて寂しく思えた。
かつて自分の居場所だったそのコートと後輩たちの姿を見て──自然と目頭と心の奥底が温かくなり──少しセンチメンタルな気分になる。
「あ〜〜はい、注目。…え〜〜、お前たちが知っている通りの当校バスケット部のOBである藍葉がNBAドラフトで一位指名を受けた。改めてその偉業を成し遂げた藍葉に大きな拍手を」
静かになった体育館にこれでもかという程の拍手の音が鳴り響く。
パチパチパチという音に混ざり飛び交う祝福の声に亜蓮は鼻先にむず痒さを覚え、恥ずかしそうに──それでいて嬉しそうに鼻をさすった。
反面、雷人は思わずその場から走り出してしまいたくなる様な居た堪れなさを覚え、目を逸らさずにはいられなかった。
「……はい、OK。それで藍葉は一位指名の凱旋のための帰国だったが本日、またアメリカに飛ぶことになる。残念だが藍葉の顔を見れるのは今日限りになってしまう……が、実は嬉しい事に藍葉本人から空港へ行く時間ギリギリまでここに残るという事を聞いた。なので……」
そう言うと田代監督は再びマネージャーに目くばせすると"にやり"と不敵に笑った。
と、同時に他の部員たちも"にやり"と笑うと突としてバスパンに手を突っ込み──パンッパンッパンッ‼︎と景気良い音が館内に鳴り響く。
亜蓮がその音の正体がクラッカーであった事を認識した刹那、どこからともなく長テーブルが現れ、そのベールが脱がされていった。
未だ驚きで目を見開く亜蓮に今度は鼻から胃袋をくすぐるような香ばしい匂いが入ってくる。
ピザ、ポテト、フライドチキン、唐揚げ……多くのタンパク質にそれらを色鮮やかに変化させるサラダ類。
「今から藍葉の送迎会を行う! お前ら今日は無礼講だ派手にやれ!」
その田代監督の掛け声を「待ってました」とばかりにあっという間に亜蓮の周りを部員たちが囲む。
思いもよらぬ祝言に亜蓮は満面の笑みを浮かべ、「よせやい! 泣いちまうじゃねえか!」と鼻濁音混じりの声をあげるとその勢いのまま出された食事にむしゃぶりついた。
────田代監督曰く、その日の椿ヶ丘高校バスケット部は創部史上"いち"の盛り上がりを見せたらしい。