7.同じ人
――♧――
「な、何が起こってるの……?」
「巨大な、剣?」
情が手にしていたペンダントは、大剣へと姿を変えた。
その大剣は凄絶たる存在感を放ちながらも、不思議と羽根のような軽さであり、重さという概念が存在しない武器だった。
故に、情は何の支障も無く、自然とそれを片手で持っていた。
下半分の二枚の葉が鍔の役割を担い、その葉と葉の間から生えた棒状の茎を模している光が柄であり、持ち手であった。
それに比べて、上半分の二枚は上方に長く伸び、小さな植物が成長したが如く、入れ違いに曲がりくねり、交差する二つの刃となっていた。
まさに、全てが赤い光で構築された、四つ葉のクローバーの大剣だ。
「グッ! グローバーァァアアア!!」
「喋った!?」
赤い大剣を目にした瞬間、黒い獣が憎しみを込めた叫びと、恨みを込めた爪の猛威を振るう。
咄嗟に大剣を横に倒して盾にした情は、獣の鋭い爪による攻撃を受け止めた。
「うわっ!?」
「グ、ゥゥゥ……!」
「俺が……! やるしかないのか……!!」
まるで空気のような軽さの大剣を上段に構え、不格好に獣を斬ろうとする情。
素人同然の振りかぶりで隙だらけだが、相手を警戒させ、攻撃の手を止めさせるには十分だった。
「う、ぉおおおっ!!」
「グアゥ……ッ!!」
大剣の反撃に、獣は先ほどの情の防御と同じように、咄嗟に右腕を構える。
その腕には硬い黒毛が生え揃い、堅い筋肉が阻み、固い意志が壁となり、並大抵の刃では通せないほどの強靭さを誇っていた。
「ガアアァッ!?」
だが、大剣の一撃は獣の右腕を難なく斬り通した。
「グガァァアアアアアアアッ!?」
そして、腕だけでは刃は止まらなかった。
守っていた上半身までも傷つけ、獣の右腕はぶらぶらと不安定な状態となった。
「重さを感じないのに、斬れる!?」
「グ、ガゥゥゥゥ!!」
痛みに苦しむ獣の赤黒い血を、月夜が照らす。
苦痛に悶えながら、獣は振り子となった右腕が振れ落ちないよう、左腕で抑えていた。
「今だッ!!」
獣が痛みで動けない今、更なる攻撃を叩き込むべきだと情は思案し、再び大剣を上段に構える。
「……っ!」
だが、情の体はピタリと止まった。
例え獣になったとしても、相手が元は人間であり、獣化してしまった哀れな結果だという現実が、情の決断を鈍らせた。
弓月を襲っていたとはいえ、自分が人の命を奪うというプレッシャー……その重荷が、雁字搦めに情を縛った。
「く、そぉ……!!」
吐血し、足りなくなった血液が脳に巡らずに、情は優柔不断な構えのままの格好で硬直してしまう。
そのまま獣を倒す決断が出来ず、数瞬が経った。
「ゴ、ガァッ……!」
すると、痛みと怒りに震える獣が、左手の爪を情に向け始めた。
情の顔に手を伸ばす獣の目は、恐怖する敵を真っ直ぐと見据えている。
「や、やばい!!」
「危ない!! 情!!」
さっきは運良く攻撃を防げたが、今度こそ殺されるという死の足音が、情の目を強く瞑らせた。
その怖れはガチガチと歯を鳴らす音色を奏でさせ、情は大剣を構えることも出来ず、無防備なままだ。
「ゴ、ボ……ァァ……!!」
「……?」
しかし、黒い獣の鋭利な爪が情を引き裂く瞬間は、いつまで経ってもやっては来なかった。
引き裂かれる痛みの代わりに、獣の涎混じりの吐息と声が、情の耳に届く。
「ゴ……ゴロッ……! ゼェェェ!!」
「はっ……ぁ?」
理解不能な事態に、情の理解は追いつけない。
「ゴロ……ィデグレェ……」
それはまさしく人間のように言葉を話し、人間のように乞い願う。
情に向けた手の平で、殺しを求める巨大な黒い獣。
理性を取り戻したその獣は、人間そのものだった。
「ダノ……ム……!!」
「お、お前……戻って……?」
「オ……デァ、ォバッ!?」
獣の様子がさらにおかしくなる。
痛みに対してではないが、何かに苦しんでいる、もがいている。
「ガッ! グァァアアアアアアアッッ!!」
「おい!? 大丈夫か!?」
何かに苦しめられながらも、獣の瞳孔は情を捉えて決して離さなかった。
「お前なら……! 戻れるんじゃないのか!?」
もしかしたら、理性を取り戻せた獣なら、獣化とは逆の事が出来るんじゃないのか?
と、そんな期待を込めた視線を送る情だが……
「無理ダっ! だカらハヤくッ……!! 俺ガ俺デいルウちニ、オ前ノ手で!!」
それでも、獣が出した答えは変わらなかった。
今にも自我が保てなくなりそうで、必死に獣の本能に抗っていた。
「俺が……お前を……?」
情は大剣を振るうことに戸惑っていた。
だがやはり、獣を殺す結末になろうとも、弓月だけは何としてでも守るつもりだった。
相手は既に、元人間の「獣」なのだから。
「人を……!?」
だが獣の目は、理性を取り戻した人の目に戻りつつあった。
まだ両方が混じり合ってはいるが、それは獣と断言出来ないものになっていた。
「人を諦めるな」という言葉。
それは自分が生き残ることを諦めかけていた情が、戒めとして己にも向けた言葉だったからこそ、それを反故にする決断など下せるわけがなかった。
簡単に、目の前の「人」を諦められるわけがなかった。
「ハっ、早くしロォ……!!」
「なんで……! なんでだよ!?」
「人ノまま……死にタイ……!!」
「なっ!? ど、どうすればいいんだよ!? どうすれば……ッ!!」
しかし、黒い獣も人であることを諦めていないからこそ、殺して欲しいという嘆願をしていた。
獣のままでいてくれたら、どれほど楽だっただろうか。
情はそんな邪なことを考えてしまう。
「コ、ロせ……!」
「あ……」
辺りに舞っている血の臭いが鮮明になってきて、赤い大剣を持つ情の手が震える。
この場に絶望しか残されていないことに気付いた情は、確かな現実に怯え続けることしか叶わなかった。
「ゴろゼえええええええええ!!」
殺して欲しいという悲願の叫びに気圧され……
「あ……うわあああああああああああっ!!」
――♧――
その後の一間は誰も声を出さず、物音もなく、まるでこの世界に獣化など無かったような、ただただ静かな夜だった。
その静寂の一時を破り去るのは、ぽたぽたと大剣から滴り落ちる血の音と、黒い獣の小さく呻く声だった。
「あ……ありガ……と、ォ……」
覚悟も理解も出来ないまま、情は迷いながらも大剣を振り下ろした。
「お、俺は……! 人をッ!?」
斬られた獣の体が黒い塵と化して、春風に流されていく。
もう、その風は春の匂いだけではなかった。
「あ、ぁ……? えっ!?」
すると、情の目前に奇妙な現象が起こった。
黒い塵が風で舞い、飛んでいくと同時に、その中から一人の人間が姿を現し始めた。
そこには、放浪者の様なボロボロの男が倒れていた。
その男の顔を認識しようと、目を凝らす情だったが……
「げぶぁっ!?」
「情!?」
視覚外から迫った衝撃が、情の側頭部に直撃した。
最後に見た景色は、弓月が情へと手を伸ばしながら、叫んでいる姿だった。
――♣︎――
「……スペード、ハート。聞こえるか?」
『はい……』
『聞こえてますよ』
情の体を左肩に抱えつつ、白い仮面に付けられた無線機越しに、誰かへ話しかける謎の人物。
白鳥の仮面を付けている者は、呼びかけた彼らに次の指令を出す。
「指示通り、私がそちらにクローバーの継承者を担いで行くまで、誰にも見られずにその場で待機していろ。最悪の場合、感情を用いて対処しても構わん」
『でも……その……羽鳥様……?』
「どうした? スペード」
『情と弓月は……無事なんですか……?』
「ああ、継承者と元候補は問題ない。では後ほど」
羽鳥と呼ばれた者は通信を切り、倒れた男と弓月に目を向ける。
「情に何をする気なの!? 離して!!」
一瞬で情の側頭部を殴打して気絶させ、左肩に担ぐ者に怯えながらも、情のために食ってかかる弓月。
命を賭して獣から守ってくれた情を、彼女は同じように守ろうとしていた。
「……」
そんな弓月に対して、羽鳥は何も言葉を発さない。
その代わりに、肩から先を失っている右腕をしかと確かめるように、自らの欠けた体に少しばかりの視線を送った。
――♧――
「ゆづッ!?」
えっ、は?
俺の家?
いつの間に寝てたんだ?
なんで俺、自分の部屋のベッドで寝てる?
「夢……だったのか? ……いや、違う!!」
あれは夢なんかじゃない!
服を脱げば脇腹にデカい痣がある! あいつに殴られた時に出来た痣が!!
「いっ!?」
なんだ? 頭にも痛みが……?
ていうか、握ってたペンダントはどこ行った?
(ゴロ……ィデグレェ……)
「!」
獣のやつ、確かに人間に戻ってた!!
あ、あいつは……!
「俺っ、人を殺して……!?」
何度思い返しても、俺は人を殺してしまったんだ。
人を殺してしまったという変わらない事実と、肉を切り裂いた感触が、俺の手にまとわりついて離れてくれない。
「う! ぁぁあああああ!!」
怖い。
殺人を犯してしまった自分の手が、血に塗れて見える。
俺は、なんてことを……
「あぁっ……!!」
自分が、怖い。
「大丈夫」
荒んだ俺の心と震える体を後ろからぎゅっと抱きしめて、安心させるように誰かが囁いた。
「情は私を守ってくれた、でしょ?」
「ゆ、づき?」
「情は逃げないで、私を守ってくれた。逃げて欲しかったけど、嬉しい気持ちもあったよ……」
俺の部屋に、何故か弓月がいた。
背中で感じる、とくんとくんと呟く優しい鼓動。
間違いなく弓月だった。
「獣に痛めつけられて、情の反応がなくなった時、このまま死んじゃうんじゃないかって思ったけど……」
「……弓月」
「それでも情は諦めないで、私と一緒に生きる道を選んでくれた……! そうでしょ?」
俺は、弓月のその鼓動と優しい言葉に、ただ目を瞑っていた。
荒みかけた心が、落ち着いてきた。
すると、いきなり俺の部屋の扉が開いた。
「ジョー、がっこぉあらあらあらあらぁ!?」
あの凄惨な出来事に溺れていた俺を、日常に連れ戻してくれる母さんの声。
なんだか嬉しそうな表情で、手を口に当てながら俺と弓月を交互に見る母さん。
「母さん……?」
「私邪魔だったかしらね!」
「え?」
「おほほほほほほほほっ!!」
痣を確認するために服を脱いだせいで、上半身が裸になっている俺と、それを後ろから抱きしめている弓月。
徐々に、母さんから見た俺達の状況を理解してきた。
それはもう、説明のしようもないくらい……アレだった。
「今日も学校休みなさい! あー私はもう仕事行くから!! ごゆっくりねー!!」
「あっ、ちょっ!!」
とてつもない速さで、母さんは家の中を走り抜けていく。
瞬足でも履いてるレベルで。
「行ってきまーす!」
玄関を開けるまでも速くて、動揺している俺なんかお構い無しに、母さんは勘違いしたまま自己完結してしまった。
「ちょっと待って!! 違っ、あ?」
「おほほほほー!!」という遠のく声とは反比例して、更に強くなる抱擁。
「情が無事で……! 本当に良かった!!」
緊迫していた状況から解放され、安堵した弓月が俺の存在を確かめるように、強く抱きしめた。
弓月の体温が背中に押しつけられ、俺もその温かさに安らぐ。
「……心配かけて、ごめん」
色んな事が引っ切り無しに起きたから、なんだか置いてかれてる気分だけど……
「私こそ……」
弓月を助けられた。
今の俺には、それだけで十分だった。
――♧――
「あ、あの?」
「もう少し、もう少しだけ……情を感じさせて……?」
俺の後頭部に頬擦りしている弓月の、柔らかい髪の毛が首元に触れる。
くすぐったいんだけど、それよりも気になり始めたことがある。
これは重大な事件だ。
「情ぉ〜……」
いや、あのね?
弓月がまだ不安がってるから、俺は逆に頭が冴え渡ってきたんですけれども。
あるよね?
泣いてる人がいると、こっちは逆に冷静になるって。
いや、そういうことを言いたいんじゃないんだけどさ。
そうじゃなくて。
脳が活性化したせいで、あることに気付いちゃったんです。
「うぅ〜……!」
「おうっ!?」
固定資産税がかかりそうな大きなお山さん達が、俺の背中に惜しげもなく当たっていることに。
「弓月? あー、えっと」
「情っ、情ぉ〜……」
困った。
そういう目で弓月を見たくないんだけどな。
でも悲しきかな。
ただの男子高校生には、この嬉しすぎる状況に抗えないのが必定なんですよね。
嬉しいけど、嬉しいんだけど、同時に怖くもある。
「あー、離れて、欲しいんだけど……」
「な、なんで?」
「その……」
「?」
こいつが大事だからこそ、怖いんだ。
だって……この心地良い関係が壊れてしまいそうで、怖いんだよ。
一瞬で、壊れてしまいそうで。
「母さんが俺を臆病だって言ってたのは、強ち間違いじゃないな」
「え?」
「もう、いいか?」
「あっ……うん」
うあぁぁ……やっと離れてくれた。
息が詰まって、昨日よりよっぽど死ぬかと思った。
昔はそんなに大きくなかったはずなのに、いつの間にこんな暴力的ダイナマイトになったんだ?
体力だけじゃなくて、隠蔽工作まで化け物級だったとは。
「ごめんね、嫌だったかな〜……?」
「嫌ではない、けど」
「けど?」
でもこれを言えば、俺達の心地良い関係がががが。
この歳になってまで、関係が壊れてしまうのが怖いとか……こんな事がバレた日にゃ、一生このネタで弓月に弄られるな。
「さ、さて、朝飯でも食べようか! うん、それがいいな!!」
「あっ、誤魔化すなぁ〜!!」
「弓月も食べ……」
あ、すっかり忘れてた。
「そういえば、霞さんも昨日の事は知ってたんだったな……」
「……そうだね。あんなに取り乱さなくてもいいのに」
俺が弓月を探しに出たきっかけは、霞さんが家に知らせに来たからだ。
ん、あれ?
ちょっと待て。
「ねえ、それより……」
「あ、それと!」
まだだ。
弓月が二階から飛び降りてまで、部屋を出た意味は何だったんだ?
それは今、絶対に聞かなければ。
「熱を出してたのに、どうして外に行ったんだ?」
「私、何も覚えてないの。気付いたら獣道公園の近くにいて……」
「……そうなのか」
その会話で一つだけ、疑念が浮き彫りになった。
覚えていないはずの弓月が……
「さ、朝ごはん食べよっか〜」
「そう、だな」
何故、霞さんのあの時の様子を知っている?
弦野弓月は弓道部所属。
↓
弓を弾く際に弦に当たってしまうので、サラシか何かで抑える必要有り。
↓
ほぼ毎日通う部活動の練習時間は肝要であり、部の更衣室で用意するのは手間もかかる。
↓
普段からサラシを巻くのが当たり前になり、それが習慣化する。
↓
着ている寝巻きは大きめでもこもこ、弓月の理解者である情でも認識不可である。
↓
んほぉ〜wこのヒロインたまんね〜w
胸のこととか隠れ巨乳だとか、全然まったく一切なんにも別に少しも断じて毛ほどもマジで微塵も完全に1ミクロンでさえも、僕は書いてなんかないです。
弓月ちゃんのおっぱいを想像してしまった愚かな人は、自分の浅ましさを心から反省してください。
僕はしました。