65.青き憧憬
――♧――
早朝。
俺達は定めた時刻になるまで、軽く睡眠を取った。
その後は会議で決めた通り、彼方の生家である蒼井家の屋敷へと訪れていた。
屋敷の外観は、もはや廃墟だった。
「立ち入り禁止」と書かれた風化した黄と黒のテープが鉄柵の門に貼られ、誰も近寄らなさそうな異様な雰囲気が漂っている。
白い石材で出来た屋敷は所々汚れて、苔や葉といった植物が至る所に生え揃い、見るからに放置されていると分かる。
にしてもでけえな。
門から玄関までが遠く、屋敷の手前にある庭も広い。
水は濁ってるが、池とか、幅1mほどの小川とか、それを渡るための橋まである。
the・金持ちの家って感じだ。
ちゃんと手を加えれば、綺麗で立派な出来になるんだろうな。
「本当に三人だけで手がかりが見つかんのかよ?」
「どうかしら」
「僕もいるし……大丈夫……のはず……」
この探索に羽鳥はついてこなかった。
「私は他にやることがある」と言ったので、屋敷の探索は俺、咲、彼方の三人で行うこととなった。
ダイヤは起きてすぐに、俺と弓月の家を見に行ってくれている。
今夜の獣に関しても、あいつが出現する場所を教えていたようだし、事前に決めた予定に狂いはねえが……
別に、拠点に突入する時にさえいれば問題は無えけどよ。
「羽鳥様は本当にお忙しいですね?」と皮肉をくれてやったが、この探索とは別件で、必要な前準備があるんだとさ。
いつも自室にこもりっきりだし、監視以外にあいつが何をしてんのかはサッパリだ。
あっ、さっぱりぴーまんだな!
羽鳥が言うには、蒼井家と『先獣教』が関わっていたことを示す資料は、偶然見つけたものだったらしい。
10年前、ペンダントの力に目覚めた彼方をアジトに連れて行く際に、その資料を期せずして手に入れた。
そこには偽の拠点が複数点在していることと、詳しい場所が書かれていたようだった。
それと、妙なことも言っていた。
えっと、確か……BBがどうとかって。
何かの略称だろうか?
蒼井家がそのBBとやらを渡す対価として、『先獣教』から多額の金を貰ってたみてえだな。
それについての勘定が書かれたもう一つの資料が、書斎の机に置いてあったと。
「BB、か」
大手製薬会社の最高責任者が、そんなヤバい犯罪者集団を相手に、秘密裏に渡してた代物……ねえ?
裏金が動いてたんだったら、きな臭えブツなのは間違いねえんだが。
人類の抗体とも言われていた『Aoi Corporation』が、『先獣教』に与して癌化してたとはな。
多分、それが明るみに出たから、蒼井家は反社会勢力との繋がりがあると問題になったんだ。
その告発者、もしや羽鳥だったりしてな?
ピーチクパーチクうるせえし、小言はチクチク口走るし、チクリ魔のチキン野郎だ。
鳥肉の見立てでは、蒼井家がBBを渡してたのは、『先獣教』に縁のある場所の可能性が高いとのこと。
双方の重要人物しか知り得ねえような、互いが互いにとっての首輪にもなり兼ねねえ、危険なやり取り。
それを踏まえながらも、安全に取引が出来て、なおかつ両者が隠匿し合うとなればこそ、どちらも明確な信用を得る必要がある。
その条件に当てはまる取引場所は、絶対に部外者に知られる恐れがねえ、奴らの本物の拠点が最適だと……羽鳥はそう結論付けた。
だから、蒼井家の屋敷のどこかに「特定する方法はある」と断言したんだ。
ここにはまだ『先獣教』に関する何かが隠されているのだろうと判断した。
「ねえ、情。蒼井家って……」
庭を先導している彼方には聞こえないような微かな声で、咲が話しかけてきた。
言葉尻が切れてはいたものの、何が言いてえのかは分かった。
だから、無言で頷いておいた。
彼方に何があったのか、ようやく知る機会がやってきたようなもんだからな。
『先獣教』と蒼井家に繋がりがあるとは思ってもみなかったが、この際丁度良かったってわけだ。
特に咲が気にしている部分は、彼方が『獣の狩人』に入るまでの経緯だろう。
蒼井彼方という本名だけは知ってたみてえだが、あの蒼井家の一人息子とは知らなかったんだろうな。
CMのメロディは嫌ってほど耳につくことで有名だが、そんな些細な記憶は覚えてなくても仕方ねえ。
そもそも10年前に組織に入った咲が『Aoi Corporation』を知ってたかどうかすらも怪しいが。
「……」
「スペードは哀れなだけだった」「自分の家族を殺した」と言っていたダイヤの声が、何度も頭の中で再生される。
こいつの過去に何があったのか、これでハッキリする。
霞さんを見つける前に、彼方も何かを話そうとしてたしな。
来るべき時が来た、知るべきことを知るんだ。
「ここが……入り口だよ……」
玄関の前で、彼方が足を止めて振り返った。
開くかも分からねえくらいに色々な植物が侵食していて、触るのも億劫な気分になる。
誰も触れちゃいけねえ聖域にすら見えてきたな。
「じゃあ、まあ……なんだ。入るか」
「そ、そうね」
「うん……」
誰が出したのかが分からねえ、ごくりと喉を鳴らす音が、緑色に染まる扉を開ける合図となった。
――♧――
恐る恐る入ってはみたものの、屋敷の中には灯りなんてものは当然無く、やっぱり暗かった。
かろうじて窓から朝日が入ってきていて、辺りを薄く照らしていた。
外と同様に中も植物に蝕まれ、とても人が住めるような状態ではなくなっていた。
変な虫があちこちに飛んでるし、色んなところが蜘蛛の巣まみれだった。
足の踏み場はあるが、どこもかしこも埃が積もってて、歩くだけでもくしゃみが出そうだ。
咲も隣でけほけほと咳き込んでるしな。
だが、流石と言ったところか。
何よりさっきの玄関からもう既にデカかったし、中も負けず劣らずだ。
まず天井が規格外に高い。
目前に広がるエントランスの真ん中には、クソ高そうなシャンデリアに、豪華な装飾が施された巨大な階段。
その上には人が何人も寝転べそうな踊り場と、そこから左右に分かれた二つの階段がある。
真横を見れば、これまた長い廊下が続いていた。
暗くて見えにくいが、最奥までには数多の扉があり、何個も部屋があるみてえだった。
しかも、廊下の壁には燭台がずらりと列を成していた。
漫画でしか見たことねえぞ、こんな豪邸。
もうなんか、あまりに常識とかけ離れ過ぎてて、感嘆と溜息が混じった「何だこれ」しか出てこねえんだよな。
いや、ただただ俺が青臭えだけなんだろうけど。
平々凡々の庶民には、この無数の部屋がどう使われてたのかも分かんねえよ。
部屋ってこんなに要る?
ビッグ◯ディとその一家なら使いこなせそうだが。
でも、彼方は一人っ子だしな。
「これどっから探せばいいんだ?」
「とりあえず……父様の書斎に行くべき……じゃないかな……?」
慣れた様子でまた先を歩き始める彼方を見て、本当にここで暮らしていたんだなと改めて思った。
階段を上り、踊り場を右に曲がってから、二階へと行く。
一階と同じような、もう使われていない燭台が並んだ廊下を練り歩き、周囲を確認しながら前へと進む。
その廊下にも死ぬほど部屋があった。
こりゃビッ◯ダディ干からびるな。
いや、俺が本当に知るべきなのは、屋敷の内装とか用途なんかじゃねえ。
まず第一に昔の彼方に何があったのかを聞かなきゃいけねえだろ。
「なあ、彼方」
「情……? えっと……何かな……?」
「お前のこと、そろそろ話してくれねえか?」
「!」
俺の一言で歩みを止めた彼方は、何かについて考えているのか、自分の足元を見ながら固まった。
すぐさま咲がオロオロして焦りだしたが、どうやら問題は無さそうだった。
また歩き出したから。
「うん……僕も……そのつもりだったよ……」
――♧――
俺達はある部屋に案内され、中へと招かれた。
本棚と、数えきれないくらいの本があるから、ここがさっき話してた書斎なんだろうな。
だが、書斎ってこんなに広い造りにするもんなのか?
俺のイメージでは本棚がぎっしりと並んで、必要最低限の空間しかない感じだったんだが。
何故か人が何人も寝転べそうなほど、中央の空間だけが妙に広く取られている。
無駄なデッドスペースになっている印象だ。
こういうものなんだろうか?
あと、もう一つ気になる点があった。
その中央の広い空間に敷かれた絨毯には、古びた大きな血痕があった。
凄まじい量の乾いた血が、床一面に染み付いていた。
俺と咲は目を見開いて驚いたが、彼方だけは「やっぱり……まだあったんだね……」と背中を見せたまま俯いてたから、この血痕があることを知ってたんだろう。
すると、再び彼方が振り向いた。
俺らの反応を確認していたが、なにやらさっきとは様子が違っていた。
何が違うのかは分からねえが、何かが違った。
「この血は……僕と父様のものなんだ……」
俺と咲の顔を交互に見遣る彼方は、目を軽く伏せて記憶を辿り始めた。
そして、ぽつりぽつりと、いつもの呟く口調で話をし始めた。
だが、やはり様子だけは違う。
「僕はここで……毎日……蹴られてたから……」
ああ、そうか。
どことなく、いつもより悲しげに見えるんだ。
それから俺と咲は、彼方に何があったのかを知ることになった。
――♧――
蒼井家は忍の末裔で、『足斬』という暗殺術を受け継いできたこと。
6歳の頃、スペードのペンダントがこの家の庭に落ちて、母と使用人の全員を死なせてしまったこと。
そのせいで父が自分に恨みを持っていたこと。
この書斎で「教育」を受けていたこと。
父に洗脳され、利用され、命令とはいえ何人もの人を殺してしまったこと。
その中で優しい人に諭され、自分達が間違っていたと教わったこと。
これ以上の犠牲を生まねえために、自らの手で父を殺したこと。
過去の自分に何が起き、何をしたかを、彼方は事細かに説明してくれた。
ゆっくりとした物言いだったが、俺達に伝えたいと思う気持ちが分かるほどに、強い意志が込められていた。
ずっと悔やんだ顔をしていた。
話が終わるまでに、一時間は経っていた。
だが、あっという間だった。
「うっ、そんなの……そんなのって、酷過ぎるわよ……」
「あ……」
俺の隣に立っている咲が、嗚咽混じりの声を出す。
悲痛な表情で喋る彼方を見て、咲は話の途中から涙を流していた。
ぽたぽたと、泣き続けていた。
きっと我慢してたんだろう。
彼方が自分を責める度に、何度も励ましてやりたそうにしてたが、それを口の中で噛み殺していた。
一生懸命に話す彼方を気遣って、あえて何も言わなかったんだ。
そうして、体をわなわなと震えさせながら出した最初の言葉が、それだった。
そんな咲に対して、俺は……話が終わった今も声が出なかった。
どんな言葉を彼方にかけてやりゃいいのか、何を伝えればいいのか、答えが見つからなかった。
家族と共に暮らす幸せを知っていた俺なんかが、覚悟を決めて父親を殺した彼方に、何かを言えるはずもなかった。
「お前の辛さは分かる」なんて、口が裂けても言えるわけがなかった。
ただ、同情の目を向けることしか、出来なかった。
「そ……そう……だよね……」
「? えっ?」
「実の父を……殺すなんて……」
「!?」
「酷い……よね……」
「ち、違うッ!!」
彼方が馬鹿げた勘違いをした瞬間、咲は強く否定した。
さらに、彼方の胸元に飛び込む咲は、華奢な両腕で体を抱きしめると、その背中を優しく撫でた。
「彼方が悪いわけない!!」
「え……?」
「どうしようもなかったんじゃないの!?」
「さ……咲……」
「だから、あなたは悪くなんて、ないわよ……」
俺は、二人を見た。
自分のことのように悲しんでいる咲と、目尻に涙を溜めて、今にも泣き出しそうな彼方を。
何故か俺の目頭まで熱くなって、鼻の奥がツンとした。
「彼方。その、話してくれてよ。ありがとな」
「あっ……ううん……? 僕の方こそ……聞いてくれてありがとう……」
俺まで泣きそうになった。
視線を斜め上に外して誤魔化した。
哀れで、悲しくて、俺が彼方だったら頭がどうにかなってしまいそうになるほど、やるせなかった。
昔の自分に戻ってしまうのが嫌だった。
沢山の人を殺したペンダントを、使いたくなかった。
そんな力で、人間だった獣を狩りたくなかった。
もう二度と、誰も殺したくなんてなかった。
そんな辛く苦しい気持ちが、割れてしまいそうな心が……痛いほど伝わった。
それでもそのトラウマを乗り越えて、今までスペードの継承者として戦ってきた彼方は、一体どんな覚悟をしたんだろうか。
自分にとって、忌々しい呪いとも言えるペンダントの力を、もう一度使おうと決めたきっかけは何なんだ?
どうしてお前は、そうまでして『獣の狩人』に入ったんだよ?
「憧れ……だよ……?」
俺がそうやって思っていると、わんわんと泣き叫んでいる咲をなだめながら、彼方が呟いた。
まるで、羽鳥のように。
心を見透かしたみたいに。
「憧れ?」
「うん……」
彼方は笑った。
俺をじっと見つめて、優しく微笑んだ。
「羽鳥様が……僕にそれを教えてくれたんだ……」
「あいつが?」
確か、彼方を狩りに慣れさせるために、逃げ場を奪ってしまったと羽鳥は言っていた。
過去の自分に意識を向けさせねえように、ある事をして無理にでも吹っ切れさせた。
二人のデートが上手くいかなかったのは、その反動が来たせいだとも。
でも、悲観的だった羽鳥とは違い、彼方は少年のように目を輝かせていた。
それを俺に話せるのがとても嬉しそうに、答えてくれた。
もう、悲しげではなかった。
「僕は……憧れの人に……一歩でも近付きたくて……だから……獣と戦うって決めたんだ……」




