63.静寂の正体
――♧――
弓月の部屋は二階にある。
玄関から廊下を真っ直ぐ行くと、左にリビングとキッチン、右にトイレと風呂、真ん中に二階に上がるための階段がある。
そして、二階の構造は、上がってから一番手前に弓月の部屋、その次に霞さんの部屋、最奥に物置部屋だ。
それと、物置きは元々、幹柄さんの部屋兼書斎だったらしい。
あいつが熱を出した時にお姫様抱っこをして、階段を上った記憶が昨日のことのように思い浮かんでくる。
弓月の体重は軽かったが、それでも人一人を抱えながら上るのは結構しんどかったな。
霞さんを、リビングの二人掛けのソファーに寝かした彼方を見届けてから、俺は一人で二階へと向かった。
事後報告にはなっちまうが、とりあえず羽鳥に一報だけは入れておこうと考えたので、すぐに仮面を使って事の経緯を話した。
階段を上りながら、報告と同時進行だ。
獣に襲われていた霞さんと遭遇したこと。
何故か弓月が家出していること。
それについてを調べるために、俺達は弦野家にお邪魔していること。
その全てを、弓月の部屋に足を運びつつ、端的に掻い摘んで説明した。
『ならば、彼女は行方不明の状態で、幾日も家に帰っていないのか?』
「ああ」
『ふむ、分かった。元候補……弓月の部屋に何か手掛かりがないか、君の手で探してみてくれ。私が許可する』
「おう、悪いな」
『だが、弦野家の敷居を跨ぐだけでなく、自宅へと戻ることは……』
「はいはい第一の掟『組織の秘匿化に妥協は許されない』な、分かってるっつの」
羽鳥の下らねえ小言を聞きたくねえから、許可を貰ってすぐに「じゃあな」と通信を切った。
ぴーぴー喚くな、雛鳥かよお前は。
どれだけ口を開けて喚き散らしても、お前が食らうのは大剣だ。
剣を飲むマジックを叩き込んでやるぜ。
それにしても、弓月は一体どこに行ったんだ?
そこまで遠くには行ってねえと思うが、霞さんに黙って出て行ったまま何日も戻らねえとか、どうなってんだよ。
もしも俺を探すためだとしても、霞さんに心配をかけてまで家出なんてしちゃダメだろ。
思考がまとまらねえ。
知らねえ間に弓月がいなくなってて、俺もかなりのショックを受けたみてえだ。
深呼吸をどれだけ繰り返しても、ハラハラして落ち着かねえ。
冷や汗が、頬と背中を流れている。
「はぁっ……」
いや、それでもクールダウンしろ。
俺が動揺してどうすんだよ?
さっきは霞さんを安心させるために、落ち着いていられたじゃねえか。
落ち着け、落ち着け。
俺はそうやって心を沈ませて、平静を保ちながら弓月の部屋に入った。
久しぶりなその景色には、言いようのない安心感が漂っていた。
弓月の存在はいつも俺を安心させてくれる。
見渡してみたが、部屋の中に異常は無かった。
相変わらずのシンプルイズベストな内装で、やはり咲のお花畑とは大違いだった。
俺も知っている弓月の部屋だ。
机の上や床が散らかっているわけでもなく、なんなら部屋が荒らされている形跡も無し。
落ち着いた色のベッドも、参考書や弓道についての本が入っている本棚も、弓道グッズやクローゼットとかのその他諸々も代わり映えはしねえ。
「んー、んん? 気になるもんは何も……」
やっぱり、どこもおかしいところはねえな。
ベッドの下や、家具の隙間までくまなく確かめてみたものの、一向に怪しい痕跡は見つからなかった。
強いて言うなら、机に備え付けられた小さめの卓上本棚に入れられている、一冊の手帳が気になったくらいか。
意識しねえと、こんな手帳に関心を向けるなんてしねえくらいだ。
表紙は綺麗な無地の白一色で、羽鳥が持っている革表紙の手帳とはまた違っていた。
紙の枚数はかなりあり、分厚めな文庫本のような大きさだった。
サイズだけは羽鳥のと似てるな。
俺はそれを手に取って、パラパラと捲って見てみることにした。
なんとなく、仮面越しでそれを拝見するのが申し訳なく思ったから、側頭部の方へとズラして見る。
謎の原理で引っ付くこの仮面は、髪の毛を挟んでも落ちることはなく、その点に問題は無かった。
「日記か?」
弓月って日記とか付けてたんだな。
流石の霞さんもこの手帳に気付いていなかったのか、俺達と話していた時には言及をしていなかった。
あの人も意外と勘が鋭いんだがな。
弓月を抱えて家に連れて行ったものの、不可解な夢に恐怖していた俺を看破して、疲れてるみたいだからすぐに帰って休めと言ったり。
さっきの獣との戦いでも、弓月じゃないと助言をしてくれたり。
昔から色んなところに気付きやすい人なんだ。
それに、あんな短時間でも、俺が何者なのかを見破ろうともしていた。
弓月を知ってるかと問いかけてきたのは、正体を隠していた俺が近しい存在だと気付き、カマをかけたんだろう。
俺は、あの獣を弓月じゃねえのかと疑っていた。
しかも、「弓月」という名前を先に出してしまった。
それを聞いていた霞さんは、仮面を付けた俺が関わりのある人物だと疑ったから、まず最初の質問で「弓月を知ってるのか」と聞いてきたんだ。
そのせいで、俺が知らねえと言っても、どことなく訝しげだったしな。
弦野家に着くまでに、同じことを何回も聞かれた。
なんならほとんど俺の正体に気付いてたのかも知れねえ。
「普通の日記だな」
話が逸れたが、この日記にも変なところは無え。
日記の内容を流し読みで確認したが、弓道部の練習メニューやら、学校で起きたあれこれが書いてあった。
俺の名前も何個か入っていて、「早く気付け」とか「ばか」とかいう謂れのない罵倒が付け加えられていた。
気付かぬうちに、俺は何かやらかしてしまったんだろうか。
またオレ何かやっちゃいました?
「これも関係ねえか」
手帳の中身は一通り流し見をし終わったので、ひとまず机に置いた。
詳しく見るのは弓月のプライバシーを侵害するので、あくまで怪しい部分がないかの確認だけだ。
しかし至って普通で、特に収穫は無かった。
あーでも、部屋に勝手に入ってる時点で今更か。
そう考えながら、部屋を見渡しつつ手帳を机に置いた。
すると、置かれた拍子に、手帳が一人でにパラパラとページを送らせた。
強く押し付けられて、折り癖がついてしまっているようで、あるページが開かれた。
さっきはそれを見落としていたようだ。
「ん?」
そのページには異様なものが書かれていた。
いや、正確には描かれていた、と言うべきか。
一度は閉じようとしたものの、それに違和感を覚えた俺は、きちんと見てみることにした。
文字じゃなかったからかね。
何故か目についた。
開かれるまではまったく分からなかったが、いざ開いてみれば露骨に分かるような、無理に力を加えられたような折れ方をしていた。
まるで、それを急いで描いたような印象を受けた。
「……は?」
獣?
「いくらなんでもこれは……悪趣味が過ぎるだろ」
そこには獣が描かれていた。
黒い塵を全身から撒き散らしているかのような、咆える獣の絵だ。
妙にリアルな二足歩行をした狼が、手帳の二ページを贅沢に使って、全体に描き殴られていた。
なんで弓月がこんな変なもん描いてんだ?
あの夢をスケッチしたとは思えねえほどに、隅々まで獣を知っているような精巧さを感じる絵だった。
「……いや、違う」
どう考えてもおかしい。
これは弓月が描いたんじゃねえ。
弓月に限って、そんなことはあり得ねえんだ。
たとえ暇つぶしでも、あんな夢を見た弓月がこんな絵を描くはずもねえし、もしも描いた後だったとしても消さねえわけがねえ。
あそこまで怯えてたんだ、獣なんて一片たりとも思い出したくねえはずだろう。
これは咲が話していたあのマークの特徴に近い。
というか、聞いた通りのまんまだった。
「!」
それを見たことがねえ俺でも、その獣のシンボルが、弓月の日記に描かれていた意味を理解した。
最悪な状況が、今まさに起こっていた。
自分から家出なんかするわけがねえ。
黒い獣の時もそうだっただろうが。
弓月が、そんなことを。
「チィッ!!」
――♧――
階段を飛び降りるように段飛ばしをしながら、霞さんの目が覚めねえかを監視していた彼方の元に、全速力で走り寄った。
俺が部屋を調べていた中で、彼方はずっと霞さんを見ててくれたようだ。
でも、もうそんなことをやっている場合じゃねえ。
悠長に狩りを続けていたら、奴らを放置しているままだったら、弓月は……弓月は。
「彼方ッ!!」
「えっ……?」
「アジトに戻るぞ!!」
「ど……どうしたの……!?」
驚く彼方の腕を掴み、マッハで外に出る。
クソ、弓月が理由もなく家出するわけねえと思ってたんだ。
何日も帰って来てねえとかおかしいに決まってんだろ。
霞さんを放置してまでいなくなるなんて、それこそあいつらしくねえだろうがよ。
俺はどうすれば良かった?
そんなの、分かりきってたはずだろ。
ショッピングなんて甘ったれたことしてねえで、俺だけでも町の中を見回りしておくべきだったんだ。
羽鳥の予言に頼りきりで、見落としが無かったとよくほざけたもんだ。
「弓月が拉致された証拠を見つけた! 『先獣教』のシンボルがあった!!」
「拉致……!?」
『先獣教』は、黒い塵や俺達の妨害という目的を放棄してまで、弓月を連れ去って潜伏してたんだ。
静かにしている危険性に勘付いてたのに、そんなことにも気付けなかった。
「くっ、そが!」
呑気にしてる場合じゃなかったんだ。
どうして『先獣教』が何もしねえなんて、間抜けな思考回路でいられたんだ。
「あぁあああっ! クソクソクソクソォッ!!」
なんでこんなことになった?
弓月が誘拐された理由は?
レタリーだ。
それ以外に、原因が考えられねえ。
あいつの仕業に違いねえ。
やっぱり、あいつも『先獣教』と繋がってやがったんだ。
俺の素性をしきりに確認したがっていたのは、俺の弱点である弓月を突くための策略だった。
戦いは、始まる前から始まっていたんだ。
「クソがぁああああああああああッ!!」
許せねえ。
『先獣教』の獣どもが、ぶっ殺してやる。
もうお前らを殺すのに迷ったりはしねえ。
絶対に許さねえ。
人道を外れて、人を諦めた獣どもが。
弓月を守るって決めた。
あの笑顔を守るって、決めたんだ。
絶対に二度と悲しませねえって、約束した。
そう約束したのに、俺は……
「弓月っ……!!」
全然、守れてなんかねえじゃねえかよ。
――♧――
俺達はアジトへと戻り、二手に別れた。
彼方は、咲にも説明をするためにあいつの部屋に行き、ダイヤにも通信を飛ばしておくと言っていた。
確かに継承者全員に知らせるのは重要だが、問題はそこじゃねえ。
俺は羽鳥の部屋の扉を蹴破って、弓月が誘拐されたと叫んだ。
鉄の扉には大砲を撃ったような穴が開いた。
俺の怒りの強さが、扉の破壊具合に表れていた。
「なんだと!?」
「しらばっくれてんじゃねえぞお前ッ!!」
羽鳥が驚く反応にキレた俺は、その首を掴んで絞める。
片手で掴めるくらいに細く、折れそうな、脆そうな首だった。
だが、いくら握力を込めても折れなかった。
本気で首をへし折って殺そうとしていたが、羽鳥には効かなかった。
ふざけんなよ。
俺を戦いに巻き込みながら、何一丁前に驚いてんだよ。
弓月を戦いに巻き込んで何がしてえんだよ。
「羽鳥、お前俺に言ったよな?」
「……」
「俺と弓月を監視してたって……! 弓月の代わりに戦えって! それがあいつを守ることになるって、そう言ったよな!? なあ!?」
手に込めた力がさらに強くなる。
首を掴んだ手とは反対の、もう片方の手に大剣を握らせる。
『先獣教』も、羽鳥も許せねえ。
お前、いつもこの部屋でふんぞり返って、下らねえことばかりしてたよな?
その時間を弓月に当てりゃ良かっただろうが。
「アジトでぬくぬくと俺を監視してる暇があんなら、代わりに弓月をちゃんと見てろよ!」
「……すまない」
「ごめんで済むわけねえだろうが!!」
「やめて!」
俺が荒げた叫び声を聞いて、現れた咲が羽鳥の首を掴んだ腕を剥がそうとしてくる。
なんで俺の邪魔をしてくるんだよ、お前。
「羽鳥様を責めても仕方ないじゃない!」
「どいてろ咲!!」
「やめなさいって!」
「うるせえ!!」
「うぁっ!?」
咲に肩を当てて、突き飛ばした。
いつの間にかその背後にいた彼方が、タックルされた咲を支えた。
なのに、羽鳥はうんともすんとも言わずに、ただ突っ立ってされるがままだった。
俺が殺意を向けているのに、何もしなかった。
【「くっ……はぁああ!!」】
羽鳥の反撃が来ると考えて、予め【赫怒】を使っていたが、その攻撃を繰り出した相手は咲だった。
俺に向かって、鞭を振るう咲。
髪と目が光っていて【狂喜】が込められているのが分かった。
大剣で鞭を受け止めたが、逆に絡め取られた。
なんでお前が俺の邪魔をすんだよ。
「何しやがる!?」
「これがあんたとの約束だからよ、情!」




