59.攻め入る一歩
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羽鳥様に拾われて、スペードの継承者である僕は、『獣の狩人』のアジトへと連れて来られた。
最初はどういうことなのか分からなかったけど、羽鳥様とダイヤの話を聞いて、何故そうなったのかを知った。
あの頃の僕は、ダイヤからずっと監視されていたらしかった。
羽鳥様の命によって、ペンダントが落ちてきたという事件が起きた蒼井家の屋敷の中を、時には【極楽衝動】を使ったりしながら、隠れて見ていたようだ。
そして、僕には【悲劇】という能力があると教えてもらった。
ビックリしたけど、それと同時に腑に落ちた。
こんな不可解で超常的な能力を秘めたペンダントは、自然界にあっていいものじゃない。
言わば理の外、イレギュラーなんだ。
そして、人間の異端である……獣のところにこんな不思議な代物が落ちてきたのも、何か理由があったんだろうなと頷ける。
それがどんな理由なのかは知らないけど、一つだけ確かなことがある。
獣に対抗するためには、やっぱり獣に匹敵する力がなきゃダメなんだ。
だから、スペードとして僕が選ばれた。
きっと、獣としての素質があって、それぞれが司る感情が強く出る者が、ペンダントの継承者になるんだ。
でも、情と弓月だけはよく分からない。
あの女の人から、二人はペンダントを貰っていたけど、どうして情はクローバーの力を使えるんだろう?
元の持ち主は、あの女の人……お姉ちゃんなのに。
それに、情は怒りの感情にも不慣れだったはずだ。
父様だって一度僕のペンダントを使おうとしていたけど、それだけは出来なかった。
もしそれが出来ていたら、とっくに僕は殺されていたはずだ。
生かして、活かす必要すら無いから。
でも、そうはならなかった。
実際に情の髪と目には色の変化が起き始めているから、クローバーの継承者として問題は無いんだろうね。
割れてしまっていて片方でしかないにせよ、【赫怒】も武器の創造も、情はものともせずに使えているから、きちんとクローバーだと認められている。
ペンダントが、情を宿主だと認識している。
それがどういう原理なのかは未だに分からない。
「青い……獣……」
ベッドの上で膝を抱えて、伏せていた目を前へと向ける僕の視界には、上部から青い色がかかった。
この色にも慣れてしまった。
アジトに連れて来られた後、自分の姿を確認してみると、この見た目の変化があった。
その時にはもう、僕の髪の毛と目の色は、完全に青色になっていたんだ。
不思議なことに、全てが青く染まりきっていると、僕のせいで死んでしまった人達の手……青白い手に見えてしまう呪いは、既に取り払われていた。
もう、そういう風には見えなくなっていた。
それから、驚くことに体力が多くなっていて、疲れ知らずな体になっていた。
僕とハートにとてつもない持久力があるのは、まさにこれが関係してるんだと思う。
いきなり体力が変わったから、それだけは間違いない。
だけど、あの頃の僕は、それすらもどうでもよかった。
死ねなかったことを、ずっと後悔していた。
二度と力を使わないと決めていた。
使ってしまったが最後、誰かを傷つけてしまうだろうから。
「……」
僕は、人としての幸せを手に入れてはいけないんだ。
近付けば、絶対に誰かを不幸にしてしまう。
僕に近しい人が必ず痛い目を見る。
大切な人のためにこの力を使うと決めたけど、僕が幸せになりたいかどうかはまた別だ。
人を傷つけずに、ペンダントの力を行使して守り通すためには、その線引きが必要不可欠なんだ。
忘れてしまっていた。
幼い僕が声をかけていなければ、ハートをもっと傷つけてしまっていた。
そうなってしまうくらいなら、ああして最小限に関わりを断つべきだった。
あれで良かったんだ。
何をしても、人になれない獣……それが僕なのだから。
「……っ」
ごめん、ハート。
ごめん……
「うらぁあああああああああッ!!」
「……ッ!?」
涙に溺れていると、突然叫び声がした。
さらに、雄叫びと一緒に、凄まじい轟音がアジト内に鳴り響いた。
それは、隔たりとしての意味を失う扉の崩壊を表していて、鼓膜を破らんとする無機質な鉄の悲鳴でもあった。
体育座りのままで泣いていた僕は、心臓が飛び出るかと思いながらも、その音がした方向を見た。
何が起きたのか、理解するまで時間がかかった。
ベッコリと足裏の形に凹んで、僕の部屋の内側へと倒れ伏している扉。
強引に蹴り破られていた。
異質な絨毯へと変貌してしまった扉を踏みつけつつも、誰かがズカズカと部屋の中に入り込んでくる。
「うぃーす」
「ぁ……え……?」
「お届け物でーす」
情だった。
驚きでまともに声が出なかった。
昨日、あんなことがあったというのに、情はそれを気にしていないかのように現れた。
あの時の僕は気が遠くなりながらも、何が起きたのか、自分が何をしたのかは覚えていた。
頭の中で昔の思い出がぐるぐると回っていたけど、妙に意識だけはハッキリしていた。
だから、情とまた疎遠になると思っていたのに。
そんな予想も蹴破られた。
「じょっ……!? クローバー……!?」
「はい、どうも配達担当の裁情でーす」
扉を蹴り破って、それを踏みにじる情は、ベッドで小さくなっている僕の方へと近付いてくる。
ダメだ、もうハートも君も傷つけたくないんだ。
放っておいてよ。
「こ……来ないで……!」
「ハッ、それは無理なご相談だぜ」
僕の気持ちも踏みにじりながら、情は首元を掴んできた。
また殴られると思うと、体が硬直した。
目を瞑った。
情に殴られるのは、痛いんだ。
体よりも心に突き刺さって、とても痛いんだ。
ズキズキと痛むんだ。
僕の呪いが、まだ巣食っているんだと知らしめられるから。
「ま、届けられんのはお前の方なんだがな」
「ぐっ……え、ぇ……?」
だけど、殴られなかった。
僕の襟を掴むと、情はキャリーバッグを運ぶかのようにズルズルと僕を引き摺った。
そうして無理やり部屋を出された。
殴られるのとは違う怖さがあった。
どこに連れて行かれるのか、情が何をしようとしているのか、全然分からなかった。
「もう昼前だぞ。朝飯食ってねえだろ、お前」
「ご……ご飯……?」
「お前が昼まで食わねえとうるせえんだよ、咲が」
「……!」
咲。
情がそう呼んでいることに気付いた僕は、何か考えがあってこんなことをしているんだろうと察した。
それと、何気なくハートを本名で呼んでいるのが羨ましかった。
僕だって、気兼ねなく「咲」と呼びたいのに。
情の強さは、僕にはない。
僕の弱さなんて、情には関係ない。
僕は、父様みたいに無いものねだりをしていた。
自分には無いものが、これほど羨ましいなんて……
――♤――
「あっ……」
しばらく後ろ手のままで運ばれて、とうとう食堂の前まで引っ張られてしまった。
中にハートがいることを気配で察知した。
動悸が激しくなって、呼吸が次第に浅くなる。
酷いよ、情はなんでそんなことをするんだろう。
ハートに合わせる顔なんて無いのに、僕はどうすれば……
「あうっ……!?」
情は食堂の扉を普通に開けると、僕をその中に雑に放り込んだ。
普通に開けられるのなら、僕の部屋の扉を蹴破らなくてもよかったのに。
情の思考が読み取れない。
「ん? んーっ」
髪の毛を括りながら、髪ゴムを口に咥えているハートは、無理に引きずられて来た僕を見ると、そんな声を上げた。
昨日の泣き顔が嘘のように、いつもの活発な表情をしていた。
人差し指と親指の間で一纏めにされていて、今から結ばれそうな、お決まりのポニーテール。
露わになっているうなじが綺麗で、ついそこに見惚れてしまう。
「ダメだ……見たらダメ……」
だけど、ハートとの恋は終わったんだ。
僕が終わらせた。
僕が不幸せにしてしまった。
自分勝手でしかない僕なんかが、そんな邪な視線を送っちゃいけない。
勝手なことばかりして、もう困らせたくない。
それに、ハートは僕を嫌ってしまっているだろうから、文句の一つでも言おうとしてるんだ。
でも、それが怖かった。
ハートを傷つけたくせに、逆に傷つけられるのが怖かった。
何を言われてもおかしくないのに、そんな言葉を言われるのは嫌だった。
自分の都合ばかり押し付けて、相手のことを考えられない僕は、人として終わっている。
獣でしかないんだ。
人としての幸せを、僕なんかが……
「彼方」
「え……?」
今、なんて?
「ハ……ハート……?」
「変だったかしら?」
「な……!? えっ……!?」
ハ、ハートが、僕の名前を呼んだ!?
「おはよう!」
「あ……ぇあ……?」
「お昼ご飯、食べましょ?」
「な……んで……?」
なんで?
あんなにこっ酷くハートを傷つけて、泣かせてしまったのに、なんでそんなことを言ってくれるの?
僕は決して、許される立場じゃないのに。
どうして、君は……
「一緒に食べたいからー、かしらね?」
そんなにも優しくて、強いの?
――♤――
情は「飯はさっき食った。俺は用事がある」と言って、僕を食堂に移動させてからすぐに、どこかへと行ってしまった。
僕を放っておいてはくれないのに、今度は逆に放ったらかしにした。
それから僕はハートに右手を取られて、半ば強制的に向かいの席へと座らさせられた。
重なったお互いの右手には、まだあの指輪が付いていた。
その銀の輝きは変わってないはずなのに、何故か眩しく感じた。
これからも僕だけは付けていようと思っていたけど、まさかハートも付けたままだとは思わなかった。
身勝手なことにそれが少しだけ嬉しかった。
僕は最低だ。
「あの……ハート……? なん……」
「咲よ」
「え……?」
「あたしの名前は、咲」
僕の言葉を遮って、ハートは自分に対する呼び方を訂正してくる。
まるで、そう呼ばれることを望んでいるかのように。
都合の良い勘違いをするな、ハートは怒ってるんだ。
僕はもう、この恋に期待を寄せてはいけないんだ。
「彼方、好きよ」
そんな諦めを強く否定して、優しく囁くように、ハートは僕の目を見ながらそう言った。
聞き間違いかと思ったけど、他の代案が見つからなかった。
確かに、そう言った。
「……っ」
それが辛かった。
僕も、ハートに好きだと言いたい。
僕から好きだと言うべきだったんだ。
僕の方こそ……
「ねえ?」
大好きなのに。
「な……何……?」
「彼方は、何が食べたい?」
「食べ……?」
質問の意図が分からない。
僕の耳に言葉が上手く入ってこない。
ハートにどうしても目を奪われてしまう。
「お昼ご飯。お腹が空いたでしょ?」
「な……なんで……?」
「朝から何も食べてないわよね?」
食事を意識し始めた途端に、お腹が鳴った。
過去のことに気を取られていたせいで、こんなに空腹になっているのを知らなかった。
どれだけ長い間、思い出に浸っていたんだろう。
食堂の時計を見てみると、情が言った通りに、もう正午近くになっていた。
昨日から寝ないでそうしていたけど、まさかそんな時間になっているとは思わなかった。
「何がいいかしら?」
僕は、どうすればいいの?
こんなにも君に迷惑をかけて、それでも遠ざけようとしていた。
君の幸せを願うばかりに、不幸せにしてしまった。
それなのに、怒ってないの?
「じゃ……じゃあ……」
僕はどうすれば良かったんだろう。
「君が……食べたいものを……」
「うん。なら、オムライスを作るわね?」
「お願い……します……」
――♤――
「美味しい?」
「あ……うん……美味しい……」
「よかったわ!」
ハートは相変わらずな屈託のない笑顔を向けてきて、僕を元気付けるように微笑みかける。
その笑顔を奪ってしまったのは僕なのに、ハートはいつも優しくて、強い。
もっと責めてもおかしくないのに。
「……」
黙々とオムライスを口に入れていると、ハートは僕の顔をしきりに見ていた。
その綺麗な瞳で、真っ直ぐと。
今、ハートはそんな視線を向けながら、頭の中ではどんなことを考えているんだろう。
内気な僕に優しくしてくれて、折れない強さを持っていて、何度も歩み寄ってくれて、責めたりせずいつも通りに接してくれる。
自分をあんなにも拒絶した僕を、受け入れてくれている。
嫌われてもおかしくなかったのに。
「ハー……」
「咲」
「その……えっと……ハ……」
「さ・き」
「う……」
「付いてるわ」
僕の口元に付いているケチャップを指で掬うと、ちゅっという軽快なリップ音を出しながら、ハートは小悪魔的な表情でまた優しく笑う。
今この瞬間が幸せであるかのように。
どうしてかは不明だけど、ハートは僕に本名を呼ばせたいみたいだ。
だから、あんなにもアッサリと僕の名前を……
「さ……」
「さ?」
「さ……!」
呼んでいいのかな。
傷つけてしまったのに、こんなにもハートは歩み寄ってくれている。
全部僕のせいなのに、全部僕のために。
悲しい過去なんかではなく、今この瞬間のためだけに。
それに応えるには、僕も……
「さ……! さっ……!」
「なーに?」
「咲……ッ!!」
「ふふっ。やっと名前を呼んでくれたわね、彼方?」
君の名前を呼ぶよ。
そう、呼ばせて欲しい。
つよい(小並感)




