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感情の色  作者: そつぼのろんしっし
乖離する運命 秘めた想い
54/65

54.試される器量

――♡――



「この……この……獣が……!」

「スペード?」

「獣……獣め……」

「だ、大丈夫?」


 名前を呼びかけても、スペードは何もしない。

 何も動かせない。

 あたしに何も反応を返してくれなかった。

 うわごとのように震えた声をひり出して、気が動転しているように見えるスペードには、あたしの声は微塵も届いていなかった。

 まるで何かに取り憑かれたみたいに、何度も「獣」と呟きながら、ブルブルと。

 頭を抱えて髪の毛を掻き回した後、スペードはそのままテーブルに両肘をついた状態で動かなくなった。

 流していた髪の毛は元に戻り、その顔には影が差し、表情が見えなくなってしまった。


「具合でも悪いの? 誰か呼ぶ?」

「……」

「ね、ねえ?」

「……」

「あたし、どうすればいいの?」

「……」

「なんとか言ってよ……」


 それが怖くなってきて、あたしは何度もスペードに呼びかけた。

 それでも全然変わらなくて、どんどん恐怖が強くなってきて。

 スペードは独りぼっちの殻の中に閉じこもった。

 あたしは何か、悪いことでもしたんじゃないか。

 スペードが嫌がっていることを、知らず知らずのうちにしてしまっていたんじゃないか。

 こうなったのは、あたしのせいなんじゃないかと不安になった。

 一度そう思ってからは、そうとしか考えられなくなって怖かった。

 スペードが何を不幸せに思ってるのか知らないまま、あたしは自分の幸せを押し付けてしまった。

 先に、スペードのことを知ってあげれば良かったと強く後悔した。

 今日をやり直せるなら、やり直したいとさえ思った。

 冷や汗が横顔を伝っていく感触が、あたしを更に不安にさせる。


「もう……」

「え?」

「やめて……くれ……」

「!」


 なんて声をかければいいのか迷っていると、スペードは口を開いて、あたしを拒絶した。


「な、なんで?」


 さっきまで、あんなにも楽しかったのに。

 スペードも楽しんでくれたから、お揃いの指輪を買ってくれたんだと思っていたのに。

 でも、そうじゃなかった。

 そう思っていたのはあたしだけだった。

 どうして、そんな悲しそうな声を出すの……?


「どうしてよ……」


 目頭が熱くなってきて、徐々に涙が(にじ)み出てきた。

 スペードが何を考えているのか、それが全然分からなくて、あたしは困惑するだけしか出来なかった。

 こんなの、こんな、なんでこんなことに……

 あたしはどうすればいいのか。

 どうすれば、スペードを幸せにしてあげられるのか。

 理解したかったはずなのに、今はもう、それを理解するのが一番嫌だった。

 だって、スペードがこんな風になってしまったのは、どう考えてもあたしの……


「……っ」


 あたしは独りよがりだった。

 スペードの気持ちを、不幸せを、過去をちゃんと知ろうとしないで、身勝手だったんだ。

 なんてことをしてしまったんだろう。

 あたしだけが有頂天になって、嬉しくなっていた。

 自分だけか満足していて、そんなことにすら気付かなかった。

 スペードに元気を与えようとしていたはずが、あたしがそれを奪ってしまっていた。

 あたしが、スペードを苦しめた。


「うっ……う、ぁ……!」


 涙が溢れて、止めたいのに止められなかった。

 スペードにこんなところなんか見せたくないのに、あたしは涙を抑えられなかった。

 あなたの前で泣きたくないのに、こんなの……嫌なのに。


「うぁぁあぁああっ!! あぁああっ……!!」


 ごめんなさい、スペード。

 ごめんなさい。



――♧――



「おい」

「……」

「何があった?」


 スペードに疑問を投げかけたところで、こいつは何も言おうとはしなかった。

 ハートが泣いてるっつうのに、スペードはハートを放置して、ただ呆然と突っ立ってただけだ。

 それに腹が立った。

 スペードの肩を掴む手に、無意識に力が入る。


「ハート、大丈夫?」

「う、うっ……」


 俺の背中から降りたダイヤは、ハートに駆け寄って、気遣(きづか)う言葉をかけてあげている。

 だが、ハートは何かに怯えているかのように、小さく嗚咽を上げ続けていた。

 手で顔を押さえながら、ビクビクと怖がっている。

 二人がこんなことになってしまった状況に、俺はただ傍観(ぼうかん)する他なかった。

 スペードが何故、ハートを放置してただ突っ立っていたのか、それが皆目見当もつかなかった。


「……」

「なあ、なんとか言えよ」


 俺が肩を掴んで話しかけているのに、スペードは目を逸らして無言を貫いている。

 誰にも話しかけられてねえみてえに、俺を無視している。

 ふざけやがって……

 次第に語気が強くなっていた俺は、怒りが増していることを自覚していた。

 怒りが内側で沸々と湧いてくるものの、それと同時に酷く落ち着いてもいた。

 今までになかった静かな怒りが、俺の腹の中を巡り巡っていた。

 荒れ狂う激怒が、理性と共存していた。

 何があったのかは知らねえが、何故こんな状況になっているのかは分かった。

 それは、俺にも理解できた。

 スペードが、ハートに……咲に。

 涙を流させた。


「はぁ……」


 俺が嫉妬されていた件で(こじ)れちまったのか、それとも他の何かで咲と喧嘩をしてしまったのか、どっちかは分からねえ。

 分からねえが、一つだけは確かだった。

 咲がこんなに泣いているのは、それ相応の理由があった上での結果だ。

 あんなにデートを楽しみにしていた咲が、あんなにスペードをものにしたいと意気込んでいた咲が、あんなに俺から見ても眩しく輝いていた咲が、涙を流している。

 スペードの過去を許そうとしていた俺は、スペードそのものが許せなくなった。

 湧き出るこの感情を、止められそうもなくなっていた。

 すまねえなダイヤ。

 幻滅しないで欲しいっていうお前の願い、俺には無理そうだ。

 もう、止められねえよ。


「スペード。歯を食い縛れ」

「ぐ……ッ!」


 掴んだスペードの肩を引っ張って振り向かせてから、その情けねえ顔をブン殴った。

 スペードに正気を取り戻させるために、全力を尽くした一撃を放った。

 重く鈍い打撃音が響き、咲とダイヤは驚いた顔で俺を見る。

 拳の皮がベロンと(めく)れて、痛みが走る。

 そこから血がだらだら出てきたが、どうでもいい。

 こんなんもんじゃねえ。

 ハートが……咲が受けた傷は、俺の拳よりも、殴られたスペードよりも、ずっと痛かったはずなんだ。


「やっ、やめてクローバー!」

「あ?」

「あたしが全部悪いの! あたしが……!!」

「お前が悪いわけねえだろうが」

「だって、あたしが……」

「黙ってろ」


 咲を(さと)すように、俺は叫ばず静かに語りかけた。

 前までの俺だったら、ただがむしゃらに叫び散らしていたはずだが、そうするのにも嫌気が差していた。

 スペードに対するこの怒りは、信頼の裏切りと失望が混じっていたからだ。

 咲が悪いはずねえだろ。

 スペードのために頑張ってきただけなのに、デートをしたかっただけなのに、振り向かせようとしただけなのに、恋人になりたかっただけなのに。

 それの何が悪いってんだよ?

 咲は、スペードが好きだっただけだろ。


「スペード、咲が好きなんじゃなかったのか?」

「……」

「俺に言ったよな、心から笑える子が好きだって」


 咲から聞いた話じゃ、スペードは「心から笑って欲しい」と言ってたはずだろうが。

 お前もそれを望んでたんだろ?

 咲に笑ってて欲しかったんだろ?

 それなのに、なんで咲を泣かしてんだよ。

 なんで、お前が……

 咲を笑わせたいはずのお前が、なんで笑顔を奪ってんだよ。


「スペード」

「僕……は……」

「俺の質問に答えろ!」

「獣……」

「!」


 口から血を出しているスペードの服の襟を右腕で掴み、ぐいっと近くに引っ張る。

 その俺の腕に力無く自分の手を添えたスペードの目には、違和感があった。


「何だよ、それ」


 そこには()()()()()()

 光が宿っていなかった。

 その目にはまるで生気が感じられなかった。

 虚空を見つめているスペードの視界には、俺が映っていなかった。

 瞳が、暗い闇に囚われていた。

 そのスペードに気取られていると、いつの間にか近くに来ていた咲が、俺の腕を引っ張る。


「もう、いいの、いいから……」


 咲が絞り出したその懇願は、俺の腕の力を抜かせるには十分だった。

 俺にはどうしようもなかった。

 今のスペードは、誰にも変えられねえ。

 少し考える時間が必要だ。

 スペードは何故、こうなったのか。

 何故、二人のあの楽しかった時間は奪われたのか。

 こんな状況になってしまった原因は何だ?


「チッ」


 スペード。

 お前、どうしちまったんだよ。



――♧――



 羽鳥がどこからともなく現れて、スペード達にモール中の人間の気絶と、記憶の抹消を命じていた。

 咲はすぐに【狂喜】を広範囲に発動したが、スペードは気絶した人の記憶を消そうとするまでに時間がかかった。

 亡者(もうじゃ)のように(うつ)ろになっていて、羽鳥に何度も言われてから、やっと指示された行動に移っていた。

 それから俺は羽鳥に叱られた。

 人目を(はばか)らず、目立つ行動をするなと言われた。

 知らねえよそんなの。

 俺には、スペードのムカつくサマしか見えてなかった。

 周りにいた奴なんか知るかってんだ。

 大体、あんなのただの喧嘩にしか見えなかっただろうが。

 いちいちうるせえんだよクソが。


 ダイヤが咲を介抱し、俺達より先にアジトに帰っていった。

 スペードと羽鳥と俺は、何も話さずにモールから帰路に着いて、俺達は自分の部屋へ戻った。

 あっという間に夜になり、狩りの時間が近付いていた。

 そうすると、ダイヤが俺の部屋に顔を見せて、「スペードを悪く思わないで欲しい」と言い残し、国外の狩りに出て行った。

 あいつにも色々と苦労をかけたっつうのに、それを歯牙(しが)にも掛けねえで、ダイヤは本当に仲間想いなやつだ。

 仲間を泣かせる誰かさんと違って。

 一体何なんだよ。

 目を離した隙に、二人は大丈夫そうだと思った矢先に、どうしてこうなった?

 最悪で胸糞悪い一日になった。


「羽鳥」

「なんだ?」


 話しにくかったが、そうも言ってられなくなった俺は、一人で羽鳥の部屋に行き話しかけた。

 まずは咲の部屋に行こうとして、慰めの言葉の一つでもかけてやろうかと思ったが、それはやめておいた。

 今は一人にしてやらなきゃダメな気がする。

 スペードを殴った俺なんかに気を遣われるよりかは、ゆっくりと休んだ方がいいだろうからな。

 それに、スペードがああなったのは、咲と二人で作戦会議をしてたせいかも知れねえ。

 あいつが嫉妬をしたから歪んじまった可能性がある。

 しばらくは二人だけでの会話は控えるべきだろう。


 とりあえず、スペードがあんな風になったのはどういうことなのかと、羽鳥に聞きに来た。

 こいつならあの状態になった理由を知っているはずだ。

 スペードを……誰よりも知っているはずだ。


「……スペードは、過去の自分を忌み嫌っている」

「それを詳しく教えろって言ってんだ。今日起きたアレも含めて」


 ネガティブとか、引っ込み思案とか関係ねえ。

 もうそんな言葉じゃ片付けられねえんだよ。

 あいつは過去の自分を嫌っているくせに、その足環(あしわ)に引き()られ過ぎてる。

 矛盾してんだよ、何もかもが。

 変わりてえならさっさと変われってんだ。

 いい加減こっちもイラつくってんだよ。


「ふむ……」


 俺はそれから、スペードの暴走の訳を説明された。

 羽鳥が言うには、()()()()()んだとさ。

 それに「私のせい」であるとも。

 スペードが『獣の狩人』に入った、初期の頃の話だ。

 最初、あいつは獣を殺すことに恐怖を感じていた。

 人を殺し回っていた過去の自分に、戻ってしまうと恐れていたから……らしい。

 だが、継承者として獣の狩りに慣れさせるために、羽鳥は「彼の逃げ場を奪ってしまった」と言った。


(僕も最初は……獣を狩れなかったんだ……)


 そう言って俺にかけたあの言葉は、嘘偽り無しの励ましと、共感だったんだと改めて気付いた。

 俺が獣を殺すことに恐れたのとは違い、代わりにスペードは過去の自分を何よりも怖がっていた。

 それを、羽鳥がある事をして吹っ切れさせて、今までの獣狩りを担当させていた。

 だが、その積み重ねの反動が来たことによって、あんな風に塞ぎ込んでしまった。

 だから羽鳥は自分が悪いのだと。


「そのある事ってのは?」

「それは教えられない」

「は?」

「スペードの、名誉に関わるからだ」


 はぐらかされ、イライラが爆発しかけていた俺は、羽鳥を今すぐにでも殺してやろうかとも思った。

 傷ついた咲を見たからなのか、焦らされ、余裕が無くなっていた。


「……だが、スペードの過去を知ることは止めはしない」

「じゃあ教えろよ!」

「私はそれでも構わんが……最良の選択は、スペード本人の口から聞き出すべきだ」


 確かに、口止めされている羽鳥からあいつの過去を知ったところで、スペードが余計に傷つくのが容易に想像できる。

 なんとしてでも過去のスペードに何があったかは、本人から言わせた方がいい。

 あいつ自身に懺悔(ざんげ)させるしかねえ。

 今の俺と、スペードに必要なのは……


「クソ……」


 スペードを許すことだ。

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