5.不穏な行動
――♧――
私服に着替えて一階に降り、母さんに事情を説明した。
「概ねそんな感じ」
「そっか。コンロに鍋が置いてあったの、そういうことだったのね」
「一応弓月が作ってた出来かけのカレーは、俺が何とかして形にしてみたんだけど……」
「え!?」
弓月を家まで送った後に、あれはもう片付けてしまうつもりだったけど、それもなんだか勿体ないと思ったので見様見真似で作ってみた。
「あれが形にした!? 滅茶苦茶しゃびしゃびだったわよ!? ルゥ入れる量間違えたんじゃないの!?」
「う……」
だが、弓月が作ろうとしていたカレーは見るも無残なものと化した。
頭の中で「カレーを舐めるな!!」と、黄色い全身タイツのカ○ーメシのあいつが、仁王立ちで叱ってくる。
「私も味見してみたけど、あれは流石に……」
「うるさいな! しょうがないでしょ!? 作ったことないんだし!!」
どれだけ不味かったかを、全身全霊で伝えようとしてくる母さんの嫌な熱意に対し、俺は断固としてそれを否定する。
別に食えなくもないんだから良いじゃん!
ただちょっと薄いだけじゃん!
薄くてもカレーはカレー!
慣れている弓月は目分量で料理するから、何人前かがいまいち分からなかった。
俺、母さん、弓月の三人前だと思ったんだけどな……
「ゆーちゃんなら、自分の具合が悪いことも無自覚に分かりそうだし、日持ちするカレーを作ろうとしてたみたいね。ジョーは勘違いしてたようだけど、あの量はそんなに少なくないわよ?」
「……そっか」
「まあでも、ルゥが少なくて薄いってだけなら後から入れて煮込めばいいけどさ。熱を出してたっていうのに、ゆーちゃんの下準備は完璧だったし」
「……」
とことん敵わないな。
「そんで、いつもみたいに看病しに行くのね? だから私服に着替えてるのか」
やれやれといったジェスチャーをしつつ、母さんは俺の頭を撫でる。
「自分のこととなると寝坊助さんなのに、ゆーちゃんのためってなるといつもこれなんだから……」
「うっ」
くっそ、なんでこの歳になってまで頭を撫でてくるんだよ。
恥ずかしいでしょうが。
「ジョー? 学生は勉強が本分だよ?」
「そう、だけどさ……」
「だけどね?」
さっきの撫でる強さよりも重みを感じさせるように、母さんは俺の頭をぽんぽんとしてくる。
「それでいい!!」
「えっ……?」
「ジョーが立派に育ってくれて、私嬉しいよ!」
ぶっちゃけ、弓月を看病するために学校をズル休みしたいって言ってるようなものなのに、母さんは嬉しそうにニカっと笑う。
「人が人らしく生きるってことは、保身に走って自分を守るってことなんかじゃない。大事な人のために、心を込めて尽くすことこそが大切なの」
「母さん……」
「ゆーちゃんはそれを分かってるから、私はあの子が大好きなのよ」
弓月は自分を蔑ろにしてまで、人に尽くそうとしている。
自分のことなんて二の次で、「誰かを助ける」を全力で努めようとする。
だから、人に好かれる。
「情けは人の為ならずよ?」
「……うん」
「さっ、それじゃあ色々買いに行かなきゃね。学校には私から連絡しておくから」
「ありがとう」
――♧――
コンビニで一通り買い物を済ませてから、弦野家にお邪魔した。
弓月が体調を崩した場合、こうやって看病に行くのが習慣になりつつある。
というか、片方が病気で休む日には、もう片方が看病しに行くのが暗黙の了解となっている。
それを母さんが笑って許してくれたのにはかなり驚いた。
何度かこういうことがあったが、今まで俺も一緒に休んでいることについては言及されてなかったし、正直言うと申し訳なさでいっぱいだったから、なんだか気持ちが楽になった。
良かったんだなって。
「じゃあ、弓月をよろしくね。私もう仕事に行かなきゃダメなんだ〜……いつも学校休ませちゃって、ホントごめんね〜?」
「いえいえ。こうでもしないと弓月は一人になっちゃうし、俺がしたいんです」
それもこれも、母さんと霞さんは仕事を休もうにも休めないという大人の事情があるからな。
両家共に片親しかいないので、自然とそうなった。
弓月のお父さん……幹柄さんは10年前、俺達が6歳の頃に亡くなってしまったのだ。
俺からすれば、死亡と蒸発では天と地ほどの差があると思うけどね。
「そっか〜……ありがとうね、情君。これにて老いぼれは退散するでござる! さらば、忍々!!」
「老いぼれって……まだまだ二十代みたいな見た目してるのに」
昨日のふざけた口調のまま出かけて行く霞さんを見送ってから、弓月の部屋に向かう。
――♧――
「弓月。俺だ、入るぞ」
いくら幼馴染といえど、相手は女の子だしノックは欠かさない。
準備が必要だろうしな。
「ひっ!!」
「ん?」
扉の向こうから返ってきた反応は、俺が想像していたものではなかった。
怯えているのか?
「どうした?」
「なっ……なんでもない。入って……いいから……」
「お、おう?」
そう言われて、俺は弓月の部屋のドアを開ける。
熱冷まシートを額に貼り、マスクを着けた分厚い寝巻きのもこもこ生命体が、ベッドの上から俺を凝視してくる。
なんでこんなにジロジロ見てくるんだ?
「情……?」
「ん? なんだ?」
「情……だよね……?」
「え?」
まるで、俺が俺じゃないみたいと言いたげだな?
「俺はいつも俺でしょうが?」
「う、うん……」
意味不明な質問に困惑している俺を差し置いたまま、構わずじ〜っと見つめる弓月の視線が刺さる。
様子がおかしい、しかも昨日とは違うような。
「え、どこか変なところでもある?」
「ん〜ん……そうじゃない……じゃないけど……」
ちょこんと寝癖が付いているから、さっきまで弓月は寝てたようだ。
そして、何かに怯えるこの表情。
これって……
「……変な夢でも見たのか?」
「!?」
ビンゴ、かよ……
「それは俺が獣になる夢か?」
「なっ、ええ!?」
しかも、ダブルのおまけ付きかよ。
なんだよこれ……
「なんで!? なんで知ってるの!?」
「俺も……見たから」
「え?」
――♧――
「ということ」
「なるほどね……だから私が脅かした時に、あんなに腰抜けになって……」
「言い方! 腰抜かしてた訳じゃないから!!」
そう、あれは腰が抜けたわけではない。
ただ単純に驚いただけだ。
それだけは断言する。
「情と私が獣になる夢……」
俺達は、この怪奇現象に驚きを隠せないでいた。
「さっきの様子だと、俺が看病しに来る夢を見たんだよな?」
「そう……でも情が獣になっていって……私……!」
「……喰われたのか?」
「うぅっ……」
弓月はぶるぶると震えだす。
体温の低下から来るものなどではなく、不可解な状況への恐怖だ。
思い出したくもない強烈な痛覚を、弓月も俺と同じように味わったみたいだ。
確認のためとはいえ、弓月にそれを直接聞くのは可哀想だったか……
「……あんなのは夢だ。現にこうして俺と弓月は無事で、人間のままだし。いくら現実に近かったと言えど、正夢なんて他にいくらでも見るだろ? な?」
「そう……だよね……」
そんな言葉を交わすが、あの夢を見たのが自分だけではないという確固たる現実が、俺達にのしかかる。
「……ほら、飲み物とか薬とか買ってきたから。今日一日はゆっくり休んで、また一緒に学校行こう」
「うん……」
ただの高校生二人には重すぎる難問に、何も出来ないので誤魔化す、という選択肢以外に残されてはいなかった。
――♧――
「買ってきたのはこんなもんだ。今からでもお粥なら作れるけど、食べる?」
「お腹空いたし……食べる……」
あのお調子者の代名詞と言える語尾が、綺麗さっぱり無くなっている。
そりゃそうだよな。
普段通りなんぞ出来るわけがない。
「弓月?」
「うん……?」
こんな時は、俺が励ましてあげないと。
「俺は変わらないし、大丈夫だよ」
「……私もずっと同じ。情と同じ」
「そう、同じだ」
弓月も励まし返してくれた、やっぱり優しいな。
まだ自分も怖いはずだけど、同じ境遇である俺のことも気にかけてくれている。
そうでもしなきゃ、俺達はあの夢の恐怖に耐えられそうにもなさそうだしな……
「あ、そういえば……」
弓月は思い出したかのような素振りを見せ、顎に指を添わせる。
「あのね。私が喰べ、られて……夢から覚めた時にね? ペンダントが赤く光ってた気がするの」
「ペンダントが?」
「でもすぐにその光は消えちゃって、私も気のせいだと思って寝直したの……」
「ふむ?」
俺が夢を見た時は身につけていなかった。
一階に置いてたはずだけど、多分母さんも気付かなかったのかな。
ペンダントって光ったりするものだっけ……?
いや、そんなことはないはずだ。
この10年間一度も、ペンダントが光ったことなんてなかった。
「……弓月は覚えてるんじゃないのか?」
「何を?」
「これを渡した人」
もしも俺達の夢と、その赤い光とやらに関わりがあるなら、このペンダントを渡したであろう、あの赤髪の女の人にも関係があるはずだ。
俺達に、このペンダントを渡した意味があるに違いない。
「んっ、えっと、あれ?」
「どうした?」
「私もあんまり覚えてないかも……? 誰かが渡してくれたっていう覚えはあるんだけどな〜……」
「俺もそんな印象なんだけど、弓月の方がまだ詳しいんじゃ?」
これを俺は拾ったとずっと思ってたけど、弓月は違う。
貰ったとハッキリ言っていた。
覚えている範囲とかが俺とは違うんだろう。
「わっ……分かんない」
俺と弓月は……何を忘れているんだ?
あの痛みがある夢と関係があるなら、何としてでも思い出さないといけない気がする。
「うっ!」
「え?」
急に頭を両手で押さえ、弓月は苦悶の表情に顔を歪ませる。
「うぐぁあっ!?」
「弓月!?」
「頭……! 頭、いたい!」
これ……!
昨日の俺と同じ頭痛!?
「しっかりしろ! 大丈夫か!?」
「つな、がり……?」
「はっ?」
繋がり?
「ペンダントはっ、繋がり……!!」
「どうしたんだ!? 繋がりってなんのことだよ!?」
「絶対に失くしちゃ、ぅぎっ!?」
全身から力が抜けていき、座っていたベッドから転げ落ちる弓月は、そのまま頭から床に倒れそうになる。
「あっぶなっ!!」
俺の方向に倒れてきたから、昨日と同じで弓月の腕と背中を支えて、なんとか転倒は阻止したが……
「……っ」
「弓月!? 弓月ッ!!」
昨日の状況とはガラリと変わって、弓月は目尻に雫を溜めて気絶してしまった。
――♧――
しばらくの間、気絶してしまった弓月を看病しながら、俺は待ち続けた。
窓の外を見ると、空は闇を帯びてきていた。
「何が起きてるんだよ……外も暗くなってきたっていうのに、全然気が付かない……」
弓月は寝息を立てて眠ってはいるものの、一向に目覚める気配がない状態が続いてしまい、かれこれ数時間は経っていた。
現実味のある夢、そして俺達の失われたであろう記憶。
その謎多き存在達が、俺の不安を募らせる。
「弓月、繋がりって言ってたよな。あの女の人がお守りとして持たせたのか?」
意識のない弓月に話しかけるが、返事はない。
「これが繋がり? 何と繋がってるって言うんだ……」
俺は首にかけたペンダントを見つめ、次に弓月の首にかけられているペンダントを確認するが、割れている以外は何の変哲も無いアクセサリーだった。
「そういえば、何故こいつらは割れている? う、くっ、思い出そうにも……」
「ただいま〜。情君、弓月は元気になった〜?」
霞さんが帰宅した。
仕事終わりと思えないほどの疲れを感じさせない声で、俺を呼ぶ。
――♧――
「霞さん、おかえりなさい。弓月は……」
この不可解な怪奇現象に、霞さんを巻き込んでもいいのだろうか?
「ん? どうしたの〜?」
無駄に不安にさせるだけなんじゃないのか?
これは俺と弓月にしか起きてないんだし、霞さんを不用意に巻き込むわけにはいかないだろ。
言ったところで、どうしようもない。
「……部屋で寝てます。今までずっと頑張ってたし、疲れが溜まってたんでしょう」
「そっか……情君に来てもらってるのに、悪いわね〜」
「仕方ないですよ。あいつは病人ですし、今は無理しないことが肝心ですから」
俺は本当に、このまま帰ってもいいのか?
弓月があんな状態になってるっていうのに、俺は……
「でも、情君も無理してたんじゃない? 疲れた顔してるわよ。思い詰めたような、そんな顔」
「え?」
それは分からなかった。
自覚してなかったな。
弓月のことを気にかけすぎていて、自分がそんな表情をしているとは思っていなかった。
「今日は本当にありがとうね〜。明日も学校休ませるわけにはいかないし、早く帰って休んで頂戴よ?」
「で、でも……!」
「弓月は私が見ておくからさ〜。もう外出禁止になるまであと二時間しかないし、帰りな〜」
22時が外出禁止時間だから、今はもう20時なのか。
「もうそんな時間に……」
「あらあら〜、時間忘れるくらい、そんなに? ふふふふふ〜」
「?」
たまに、霞さんの考えてることが分からない時があるんだよな。
そんなおかしかったか?
「じゃあ……お言葉に甘えます」
「あいあい〜、また後日お礼するからよろしくね」
「いえいえそんな……」
他愛もない話をしてから、弓月が気掛かりなままの状態で、俺は帰路に就く。
―――――
「弓月〜、入るわよ〜ん?」
ふわりと弦野霞の頬を撫でる、一陣の風。
「……え?」
――♧――
家に帰って靴を脱ごうとした時に、インターホンの連打が家中に鳴り響いた。
今帰ったばかりなのに、誰からだ?
「はーい」
焦っているような音に、俺も急いで玄関を開けてみる。
「情君ッ!!」
「うぉっ!?」
すると、玄関を開けた途端に、慌てた霞さんが飛び出すようにうちに入ってきた。
「弓月が! 弓月が部屋にいないの!!」
「え、なっ!?」
は、はぁ!?
なんで?
今までずっと寝てたはずだろ!?
「で、でも俺! 確かにあいつを!!」
俺と霞さんが話してた間に、部屋から下まで降りてきたら分かるはず。
なのに……
「あの子の部屋の窓が開いてたのよ! きっと二階から飛び降りて……!!」
「なんだって!?」
弓月……!
お前、どこに行ったんだよ!?